2017年5月17日水曜日

第32回「参火会」5月例会 (通算396回) 2017年5月16日(火) 実施

「現代史を考える集い」 26回目  昭和51・52年「混迷の時代へ」




今回は、NHK制作DVD26巻目の映像──
ロッキード事件証人喚問・田中角栄前首相逮捕・児玉誉士夫邸にパイパー機突入・鬼頭判事補ニセ電話事件発覚・ソ連機ミグ25函館空港に強行着陸・台風17号で長良川決壊・山形県酒田市で大火・鹿児島に五つ子誕生・オリンピック モントリオール大会開催・具志堅用高が世界Jフライ級チャンピオンに・第34回衆議院選挙で自民惨敗し三木首相退陣・福田赳夫内閣成立・ロッキード事件丸紅ルート初公判・日ソ漁業交渉でソ連の200海里が北方領土にも適用・ワシントンで貿易不均衡問題に関する日米首脳会談・成田空港建設反対派の鉄塔撤去される・日本赤軍日航機をハイジャック・東京で青酸コーラ殺人事件・長崎でバスジャック・有珠山大爆発・王貞治756号ホームラン世界新記録・樋口久子が全米女子プロゴルフ優勝・ピンクレディー空前の人気ほか、約51分を視聴しました。

その後、この時代を振りかえる話し合いをする予定でした。ところが、新ソフィアンズクラブになってから、ソフィア会内部での連携がいまだにとれていないようで、DVDの視聴がうまく出来ず、25分遅れのスタートになってしまいました。そこで今回は、メンバーの竹内光氏に、ロッキード事件に敢然と対峙した三木首相についての印象を語ってもらいました。氏は、卒業後すぐに毎日新聞に入社、社会部記者・サンデー毎日編集部を経て、昭和51年に政治部に移ったばかりの時だったそうです。田中角栄前首相を逮捕に踏み切った三木武夫首相の「凄さ」に妙に感動した記憶がある半面、その人物が、ネクタイに汁をこぼしながらミカンを食べるその落差など、興味深い話を聞かせてくれました。今後も、20数年間にわたる政治部記者としての体験が聞けそうで、大いに期待したいものです。




「この時代の背景」

昭和51年は、「ロッキード事件」のニュースに始まりました。これは、アメリカ合衆国の航空機メーカー・ロッキード社が、日本への航空機売り込みにからむ疑獄事件です。三木武夫内閣の発足から1年あまりが経過したこの年の2月4日、ロッキード社の極秘資料が、アメリカの上院多国籍企業活動調査小委員会に誤配されたことから、同委員会は、「ロッキード社が、日本などに対する旅客機の売り込みのため、多額の違法な政治資金を渡していた」と公表したことがきっかけでした。

2日後の2月6日には、ロッキード社副会長のコーチャンが、同小委員会公聴会で、航空機売り込みのために各国(日本・西ドイツ・オランダ・イタリア・スウェーデンなど)の政府高官に贈賄したことを暴露しました。日本については 30億円をこえる資金を投じ、約20億円を右翼運動家の児玉誉士夫に支払い、その資金の一部は国際興業社主の小佐野賢治に渡ったこと、約10億円はロッキード社の輸入商社である丸紅に支払い、その資金は、日本政府関係者に渡ったであろうと証言。これにより、全日空へは旅客機トライスターの売り込みに成功し、防衛庁に対しては次期対潜哨戒機 P-3Cオライオン の採用を工作中と述べました。

この証言は日本の政界に衝撃を与え、全国民的な関心と憤激を呼び起こしました。三木首相は、すぐに衆議院予算委員会で真相を解明することを約束し、宮沢喜一外相を通じ、アメリカ側にいっさいの資料提供を要請、徹底究明を表明しました。まもなく、アメリカ上院から資料が提供されると、東京地検、警視庁・東京国税庁の捜査関係3庁が合同で、児玉宅・丸紅本社など29か所を一斉捜索したほか、コーチャンらに刑事責任を問わないことを条件に、米側に尋問を依頼して、多くの証言を得ました。

いっぽう自民党内では、三木に対する反感がまん延し、5月になると三木退陣を要求する動きが激しくなります(第1次三木おろし)。しかし三木は、椎名副総裁に「はしゃぎすぎ」といわれながらも、同情的なマスコミや国民の声を味方に、徹底解明を唱えてやみません。こうして、6月22日、丸紅前専務の大久保利春が逮捕され、続いて同じ丸紅前専務の伊藤宏、同社前社長檜山広、全日空社長若狭得治らが逮捕されます。

そして7月27日、ついに本丸ともいうべき元首相の田中角栄が、秘書の榎本敏夫とともに逮捕されました。その直接の容疑は、「外国為替及び外国貿易管理法」違反でした。総理大臣の権限を利用して、大型ジェット旅客機トライスター21機を全日空に売り込んだ成功報酬として、首相在任中の昭和48年8月から49年3月までに、5億円をロッキード社から受け取ったというものでした。




つづいて、元運輸大臣の橋本登美三郎、元運輸政務次官の佐藤孝行が逮捕されました。その後も捜査は続き、昭和51年10月15日の国会の中間報告によると、取り調べを受けたのは国会議員17人を含め民間人・官僚など約460人、うち逮捕された者18人、起訴された者16人に及びました。その間には、在日アメリカ大使館から本国へ、「これ以上ワシントンからの情報の提供がなければ、政府高官数人の辞職だけで済む。次期対潜哨戒機 P-3Cオライオンについての情報はいっさい出すな」という主旨の報告がされたことが、のちに見つかっています。

田中元首相が、8月17日に容疑否認のまま、保釈金2億円で保釈されると、「三木おろし運動」(第2次三木おろし)は、さらに激化しましたが、三木は、テレビをはじめとするマスコミへの発言をくりかえし、世論の支持によって、難局を乗り切ろうと孤軍奮闘しました。いっぽう、自民党内には、反主流6派による「挙党体制確立協議会」(挙党協)が結成され、次期総理に福田赳夫、大平正芳幹事長という方針を内定していました。

三木は、党内の分裂状態が修復できないまま解散権を行使できず、戦後唯一となる任期満了による衆議院議員総選挙を迎えました。1976年12月5日に行われた第34回衆議院選挙では、ロッキード事件の余波を受けて自民党が8議席を失うなど事実上敗北し、三木は敗北の責任を取って首相を辞任。大平派と福田派の「大福密約」により、後継には「三木おろし」のリーダーだった福田赳夫が就くことなりました。三木は退陣しましたが、三木の正義感・使命感がなければ、ロッキード事件は、うやむやのうちに終っていただけに、その頑張りは大いに評価したいものです。

それから数年は、「自民党戦国時代」ともいわれる、すさまじい怨念のこもった自民党内闘争が続きますが、その陰にはつねに「闇将軍」といわれる田中角栄の存在がありました。

いっぽう、昭和51年・52年には、お隣の中国に異変がありました。そのはじまりは、51年1月に、中国建国以来26年にわたり指導してきた周恩来総理の死去です。周恩来は文化革命(文革)で混乱した内政・外交を立て直すため、鄧小平ら古参幹部を復帰させたのをはじめ、国連代表権の回復、ニクソン訪中、日中国交正常化などを実現させてきたことで、国民に人気がありました。ところが2月になると、毛沢東の意をくんだ江青(毛の妻)ら4人組は、周恩来・鄧小平を批判する運動を執拗に展開し、4月5日には、周恩来追悼のために天安門広場に集まった民衆による四人組批判の運動を、当局が鎮圧する事件(天安門事件)がおき、鄧小平はその黒幕とされ、またも失脚してしまいました。

そして9月9日、こんどは、中国共産党の創立者のひとりであり、41年間にわたり党主席の地位にあった巨星毛沢東が死去したことにより、翌月には、江青ら四人組が逮捕され、昭和41年以来続いていた文革は終わりをつげました。正式には、翌52年7月の中国共産党第10期3中全会で、華国鋒の主席継承の追認に加え、鄧小平の復活と、江青ら四人組の党除名を決定。翌月、華国鋒が「文化革命の終結」を宣言してからでした。
(文責・酒井義夫)


「参火会」5月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 深澤雅子  文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒