2019年1月16日水曜日

第50回「参火会」1月例会 (通算414回) 2019年1月15日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第12回目   日本の世界遺産① 古都京都の文化財/古都奈良の文化財/法隆寺地域の仏教建造物群/紀伊山地の霊場と参詣道/姫路城/日光の社寺/石見銀山遺跡とその文化的景観

今回は、下記資料「11-①~11-⑦」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、本田技研の系列会社「エスピージー」が制作した下記11-①~⑦ の映像約41分を視聴しました。




11-① 古都京都の文化財
文化遺産 1994年登録 登録基準②④
● 各時代を象徴する様式が守られる「千年の都」
桓武天皇が794年に長岡京から遷都を行い平安京が誕生して以来、およそ1000年にわたり、日本の首都として繁栄した。平安時代から江戸時代に入るまでの各時代を代表する建築様式、庭園様式など、その文化的背景を今に伝え、日本の建築、造園、都市計画の発展に大きく寄与した。建築分野では、日本の基礎的建築様式の「和様」や16世紀末から17世紀初頭に用いられた「桃山様式」は京都で洗練され、それが日本全国へと伝え広がった。造園分野では、京都で産み出された枯山水や浄土式庭園といった庭園様式が後に日本各地へと広がった。また、都市計画では、中心部と周縁部からなる京都の都市の構造を取り入れた、いわゆる「小京都」と呼ばれる都市が16世紀以降、日本各地で盛んに造られた。「古都京都の文化財」は都市の近代化とともに失われていく日本の伝統的木造建築の文化とその技術を後生に伝える、人類にとってかけがえのないものといえる。
構成資産は京都府京都市、宇治市、滋賀県大津市に点在する次の17資産
① 上賀茂神社…豪族、賀茂氏の氏神である「賀茂別雷神命(かもわけいかずちのみこと)」を祭神とする神社で、8世紀に下鴨神社が分社したため、区別するために「上賀茂神社」と呼ばれる。国宝の本殿・権殿のほか、41棟が重要文化財に指定されている。
② 下鴨神社…上賀茂神社とともに、国家鎮護の神社として崇敬され、11世紀に現在の姿となる。東本殿と西本殿は国宝。3万坪以上ある「糺(ただす)の森」も資産に含まれる。
③ 東寺…794年に桓武天皇は、平安京遷都に際して都の正門の東西に官寺(国立の寺院)として、「東寺」「西寺」を建立した。その後、西寺は衰退したが、東寺は、823年に弘法大師空海に下賜され、正式名称を「教王護国寺」とし、日本初の真言密教の寺院となった。国宝指定の五重塔・金堂・蓮花門・御影堂のほか、重要文化財の講堂など見どころ満載。
④ 清水寺…13万㎢もある境内には、「清水の舞台」といわれる国宝の本堂をはじめ、仁王門・西門・三重塔などの重要文化財を合わせた15の伽藍があり、そのほとんどが江戸時代の初期に再建された。寺名は、寺が建つ音羽山中から湧き音羽の滝に流れる清水による。
⑤ 比叡山延暦寺…788年、最澄が建てた草庵を起源とする天台宗の総本山。西に京都、東に琵琶湖を望む幽幻の地にあり、平安京の鬼門(北東)を守る鎮護国家の道場として、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らを輩出し、今もなお修行道場として厳粛な雰囲気に満ちている。
⑥ 醍醐寺…真言宗醍醐派の総本山。200万坪以上の広大な境内は「上醍醐」「下醍醐」に区分され、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」で有名。874年聖宝理源大使が上醍醐に堂宇を建立したことに始まる。国宝の金堂・三宝院のほか、下醍醐にある国宝の五重塔は京都最古の木造建築。
⑦ 仁和寺…真言宗御室派の総本山。門跡寺院(法親王の住む寺院)となった最初の寺で、徒然草や方丈記にも登場する格式高い寺院。遅咲き桜として有名な「御室桜」がある。国宝の金堂をはじめ、存在感のある二王門・五重塔ほか重要文化財も多い。
⑧ 平等院…宇治市の宇治川沿いにある藤原氏ゆかりの豪華絢爛な寺院。元々この地には、源融という「源氏物語の主人公」光源氏のモデルとされた人物の別荘があった。10円硬貨の絵柄にある鳳凰堂をはじめ、鳳凰堂壁扉画、日本三名鐘の一つとされる梵鐘など多数の国宝を所有。
⑨ 宇治上神社…宇治市にある神社で隣接している宇治神社とは対を成し宇治離宮明神などと呼ばれている。宇治上神社の創建は定かではないが、国宝の本殿は現存する日本最古の神社建築とされる。拝殿も国宝で寝殿造の趣を伝える貴重な文化財。
⑩ 高山寺…真言宗系の寺で、高雄山からさらに奥の山中(京都右京区栂尾)に位置する。1206年に後鳥羽上皇が明恵上人に下賜し再興された。国宝の鳥獣戯画を所有することでも知られ、国宝の石水院は鎌倉時代の住宅建築をしのばせる貴重な建造物。日本最古と伝わる茶園もある。
⑪ 西芳寺…境内を約120種もの苔が覆い、周辺の緑の木々や池泉回遊式庭園と相まって美しい景観美を見せることから「苔寺」と呼ばれる。奈良時代に高僧行基によって創建したとされ、1339年夢窓疎石が禅宗寺院として再興して隆盛する。
⑫ 天龍寺…臨済宗天龍寺派の大本山。1339年に没した後醍醐天皇の菩提を弔うために、室町幕府初代将軍足利尊氏が夢窓疎石を開山として建立。庭園は、曹源池を中心とした池泉回遊式で、貴族文化と禅文化の伝統が薫る。国の史跡・特別名勝指定第1号でもある。
⑬ 金閣寺…臨済宗相国寺派寺院で、正式名称は鹿苑寺。金閣の名の通り金色に輝く豪華絢爛な「舎利殿」は、華やかな北山文化の象徴として国内外にその名を轟かせる。建物は三層の楼閣からなり、金箔がほどこされている。庭園は、特別史跡・特別名勝指定されている。
⑭ 銀閣寺…臨済宗相国寺派寺院で、正式名称は慈照寺。室町幕府8代将軍足利義政が、1482年東山に建立した山荘が発祥。銀閣という名前の由来は、北山殿金閣と対比してつけられた。国宝の観音殿・東求堂は、わび・さびに通じる東山文化を象徴する。
⑮ 龍安寺…臨済宗妙心寺派の寺院。日本庭園の傑作とされる白砂と石だけで構成された枯山水の「石庭」は、世界的に有名。奥行き約10m、幅25mの白砂の庭に15個の石を配した様は、禅の境地を表現したものとされ、「七五三の庭」「虎の子渡しの庭」とも呼ばれる。
⑯ 西本願寺…浄土真宗本願寺派本山。1272年親鸞聖人の廟堂を覚信尼が京都東山に建立したことに始まる。延暦寺の迫害を受け、大阪・和歌山などを転々とし、1591年豊臣秀吉から寄進を受けて現在の地に移転。国宝は書院・黒書院・能舞台・飛雲閣・唐門と5つもある。
⑰ 二条城…徳川幕府の誕生と終焉の舞台となった城。15代将軍徳川慶喜がここで大政奉還を表明したことは有名。国宝となっている二の丸御殿の3000面以上もある障壁画のうち1016面が重要文化財に指定されている。庭園は3つあり、書院造りの二の丸庭園は特別名勝となっている。

11-② 古都奈良の文化財
文化遺産 1998年登録 登録基準②③④⑥
● 天平文化をはぐくんだ平城京の面影
「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と万葉集にも歌われた奈良は、710年から784年までの74年間、日本の都「平城京」として大いに栄えた。元明天皇により中国(唐)の長安を参考に造営された平城京は、道が碁盤の目のように配された計画都市で、唐との交流を通して日本文化の原型が形成された。当時の人口は10万人と推定され、政治・経済の中心であるだけでなく、同時代に栄えた天平文化の中心でもあった。
構成資産は、次の8資産
① 東大寺…正式名は金光明四天王護国之寺。752年仏の加護により国家を鎮護しようと聖武天皇の発願で本尊「廬舎那仏坐像」(大仏)が建立された。国宝の金堂(=大仏殿は1709年に再建)は寄棟造本瓦葺による世界最大の木造建物とされ、内部には廬舎那仏坐像のほか、薬師如来立像、千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ。東大寺は全国にある国分寺の総本山で、宮内庁管理の正倉院も含まれる。
② 興福寺…南都六宗(華厳宗・法相宗・律宗・三論宗・成実宗・倶舎宗)のひとつ法相宗の総本山。669年藤原鎌足が病を得た際、夫人の鏡大王が夫の回復を祈って、釈迦三尊などの仏像を祀るために山階寺を建てたことに始まる。平城遷都に伴って現在の場所に移され、興福寺となった。国宝の五重塔・三重塔・東金堂・北円堂、重要文化財の南円堂など9棟の建物がある。また、国宝館には有名な阿修羅像などたくさんの国宝が展示されている。
③ 春日大社…786年創建とされる中臣氏(藤原氏)の氏神を祀った全国に約1000社ある春日神社の総本社。国宝の本殿は春日造りの華やかな社殿で、茨城の鹿島神宮からの武甕槌命(たけみかづちのみこと)、香取神宮からの経津主命(ふつぬしのみこと)など4柱(神殿)が横に並び、ひとつの建造物になっている。国宝殿は、春日大社が所有する国宝352点、重要文化財971点をはじめ多くの文化財を所蔵して展示する美術館。
④ 元興寺…6世紀に蘇我馬子が飛鳥に建立した日本で最も古い本格的な寺院の法興寺を、710年の平城京遷都と共に移転して元興寺となった。
⑤ 薬師寺…680年天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復を祈って建立を開始したが完成を見ることなく天皇は686年に没し、後を継いだ持統天皇とその後の文武天皇に伽藍の建築・整備が受け継がれ、718年に藤原京から平城京に移された。その後、973年に金堂・東西両塔を除いてほぼ焼失したのをはじめ、1445年には大風で金堂が倒壊し、1528年には兵火で西塔も失った。こうして創建時の建物は東塔のみとなった。金堂にある国宝の薬師三尊像は、「東洋美術の最高峰」「白鳳期を代表する最高傑作」などと高く評価されている。近年、名物管長だった高田好胤は「百万巻写経勧進」を推進し、600万巻を達成させて金堂・西塔を再建した。
⑥ 唐招提寺…南都六宗のひとつ律宗の総本山で、律宗の開祖であった唐僧の鑑真によって759年に建立された。教義上、立派な伽藍より住むに足るだけの僧坊や食堂と、仏法を講じる講堂が必要だったことから、これらの建物が最初に建てられた。鑑真の没後、奈良時代末に金堂が完成し、810年には五重塔が建立され、順次伽藍が整っていった。金堂内部に安置されている薬師如来立像・盧舎那仏坐像・千手観音立像・梵天立像・帝釈天立像はいずれも国宝。
⑦ 平城宮跡…平城京の中央北端に位置する宮跡で、東西1.3km、南北1km、面積130ヘクタールの広がりをもつ。内部には国の政治や儀式を執り行う大極殿・朝堂院ほか天皇の居所である内裏、行政機関である各役所などがあり、四方には高さ5mの塀が作られ、朱雀門をはじめとする12の門があった。当時の宮殿や役所などの木造建築の遺構は、今も地下に良好に保存されている。
⑧ 春日山原始林…標高は498m、約25ヘクタールの広さがあり人手が加えられていない自然のままの林。古来より春日大社の神域とみなされ、841年からは狩猟と伐採が禁じられている。以来、大社の神山として大切に守られ、明治になって国有地となって奈良公園に編入された後、春日山原始林として1924年に天然記念物に、1955年には特別天然記念物に指定された。

11-③ 法隆寺地域の仏教建造物群
文化遺産 1993年登録 登録基準①②④⑥
●  聖徳太子ゆかりの仏教建築物群
奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある法隆寺の47棟と法起寺1棟が登録範囲で、およそ18万7千㎡(東京ドーム14個分)という広大なもの。607年、厩戸王(聖徳太子)と推古天皇によって建立された斑鳩寺を起源とする法隆寺は、西院と東院の二つの伽藍群で構成される。西院に並ぶ金堂と五重塔は、現存する世界最古の木造建造物として知られる。高さ31.6mの五重塔は五つの屋根が重なるようになっており、空・風・火・水・地の五世界という仏教での宇宙観を表している。また、上にいくほど屋根が小さく、塔身も細くなっているのは視覚的に安定感があり、そのデザイン性も高く評価されている。また、西院や五重塔の一部に建物の柱にエンタシスの技法(柱の中央部分を膨らませたギリシャのパルテノン神殿などに見られる建築技法)が見られ、日本と中国、東アジアにおける密接な建築上の文化交流がうかがえる。太子の遺言で建立されたといわれる法起寺の境内にある三重塔は、706年に創建された当時のままの姿で残されている。法隆寺地域の仏教建造物群は、日本に仏教が伝わって間もない飛鳥時代の建築様式を示しており、中国や朝鮮の影響を受けながらも、独自に発展してきた過程を知る上で、貴重な史料となっている。なお、敷地内にある建造物には、金堂内部に安置されている本尊の薬師如来を中心とする釈迦三尊像など国宝が17件、重要文化財が35件ある。

11-④ 紀伊山地の霊場と参詣道
文化遺産 2004年登録 登録基準②③④⑥ 
● 日本の宗教文化の歴史を伝える文化的景観
紀伊山地は、三重・奈良・和歌山県をまたいで、標高1000メートル級の山脈が縦横に走り、年間3000ミリをこえる豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯。太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となった。修験道の拠点である「吉野・大峯」、熊野信仰の拠点である「熊野三山」、空海が開祖となった真言宗の根本道場である「高野山」の三つの霊場と、それらを結ぶ 「参詣道」が形成されてきた。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたと考えられている。このような日本固有の宗教形態は世界に類を見ない点が高く評価されて世界遺産に登録された。参詣道が世界遺産として認定されたのは、キリスト教聖地の巡礼道で知られる「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」に続き2件目。
◇ 霊場「吉野・大峯」
紀伊山地の最北部にあり、三霊場の中で最も北に位置している。農耕に不可欠の水を支配する山あるいは金などの鉱物資源を産出する山として崇められた「金峯山」を中心とする「吉野」の地域と、その南に連続する山岳修行の場である「大峯」の地域からなっている。修験道の中心的聖地として発展し、10世紀の中頃には日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めるようになった。日本中から多くの修験者が訪れ、「吉野・大峯」を規範として、全国各地に山岳霊場が形成されていった。
◇ 霊場「熊野三山」
紀伊山地の南東部にあり、相互に20~40kmの距離を隔てて位置する「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの神社と「青岸渡寺」及び「補陀洛山寺」の二つの寺院からなっている。三つの神社はもともと個別に自然崇拝の起源を持っていたと考えられる。10世紀後半は他の二社の主祭神を相互に合祀するようになり、以来「熊野三山」あるいは「熊野三所権現」と呼ばれ、多くの皇族・貴族の崇敬を集めるようになった。「青岸渡寺」「補陀洛山寺」は、「熊野那智大社」と一体となって発展してきた寺院で、神仏習合の形態をよく保っている。世界遺産には、「那智大滝」「那智原始林」もふくまれる。
◇ 霊場「高野山」
空海が唐からもたらした真言密教の山岳修行道場として816年に創建した「金剛峯(こんごうぶ)寺」を中心とする霊場。「金剛峯寺」の伽藍は、真言密教の教義に基づき本堂と多宝塔を組み合わせた独特のもので、全国の真言宗寺院における伽藍の規範となっている。また、「丹生都比売(にうつひめ)神社」の祭神は、高野山一体の地主神で、空海にこの地を譲った神と伝えられ、「金剛峯寺」の鎮守として祀られた。
◇ 参詣道
三霊場に対する信仰が盛んになるにつれて形成され整備された「大峯奥駈道」「熊野参詣道」「高野参詣道」と呼ばれる三つの道。これらの道は、人々が下界から神仏の宿る浄域に近づくための修行の場であり、険しく清浄な自然環境のなかに今日まで良好な状態で残り、沿道の山岳・森林と一体となった文化的景観を形成している。「大峯奥駈道」は、「吉野・大峯」と「熊野三山」の二大霊場を結ぶ山岳道で、修験道の最も重要な修行の場。「熊野参詣道」は、「熊野三山」に参詣する道で、京都方面からの参詣のために最も頻繁に使われた「中辺路」、「高野山」との間を結ぶ「小辺路」、紀伊半島の南部の海沿いを行く「大辺路」、同じく南西部の海沿いを行く「紀伊路」、伊勢神宮との間を結ぶ「伊勢路」からなっている。「高野参詣道」は、金剛峯寺北側の紀ノ川から高野山に至る経路、霊場高野山を囲む経路などからなる参詣道。

11-⑤ 姫路城
文化遺産 1993年登録 登録基準①④
● 400年以上にわたり優美な姿を誇る白鷺の城
兵庫県姫路市にある姫路城は、現存する日本木造城郭建築の最高傑作とされる。城郭としての始まりは、1346年に赤松貞範による築城とする説が有力で、16世紀末に城主となった羽柴秀吉は、この城を毛利氏攻略の拠点に定め、新たに3層の天守閣を建設した。そして、1600年の関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政は、9年間にわたる大改修を施し、姫路城の象徴でもある外観5層の大天守を中心に、今日見られる大規模な城郭へと拡張させた。木造の建物を配し、石造の城壁と白色の土塀をめぐらせる日本の独特の城郭の様式は16世紀中頃に確立したが、姫路城はこの城郭建築の最盛期の遺産であり、17世紀初頭の日本の城郭を代表するものといえる。この城は、白漆喰の総塗籠の外壁という優美な外観から、白鷺城の別称があり、その名でも広く知られているいっぽう、きわめて堅牢な城でもある。らせん状に構築された巧妙な基本設計、姫山と呼ばれる自然の丘の地形をいかした城壁や堀、数多く配した櫓や門などにより、高度な防衛能力を兼備している。内濠と高い石垣に囲まれた内郭地域には城柵主要部と城主の居館が造営され、内濠と外濠のあいだの外郭地域には武家屋敷があった。その外は一般民衆の居住地と商業地からなる城下町であり、その周囲にも濠が巡っていた。明治維新の際の廃城令や第2次世界大戦でも戦火をまぬがれ、江戸時代初期の姿を今にとどめている。1956年から8年間にわたる「昭和の大修理」では天守閣の解体修理が行われ、2009年から6年間は、大天守の屋根瓦や漆喰壁の保守修理事業が行われ、「修理を行いながら真正性を保つ」取り組みも高く評価された。大天守のほか、東小天守、西小天守、乾小天守、イ・ロ・ハ・ニ渡櫓の8棟が国宝、その他の櫓や濠など74棟が重要文化財に、石垣も含めた全体が特別史跡に指定されている。

11-⑥ 日光の社寺
文化遺産 1999年登録 登録基準①④⑥
● 日本近世の建築様式を代表する建造物
日光の社寺は、東照宮と東照宮以外の神道の総称である二荒山神社、仏教関連の寺の総称である輪王寺の2社1寺に属する計103の宗教的建造物からなる登録遺産で、栃木県日光市にある。日光は、男体山など標高2000m級の山々が連なり、古くから神仏習合の聖地であり霊場だった。開山は奈良時代後期766年に勝道上人が創建した四本龍寺をこの神聖なる日光の山の斜面に造ったとされている。今日では、これらの建造物群は、宗教的習慣の保存だけでなく、何世紀にも亘る建造物の保全と修復をも立証する。この遺産の特異な点として、長期的に価値のある遺産の組み合わせということが挙げられる。50.8ヘクタールに及ぶこの遺産は、積年の伝統的崇拝、高いレベルの芸術的功績、建造物と周囲の自然が織りなす印象的な景観を示すもので、国家の記録の宝庫としての役割も果たしている。
「日光の社寺」構成資産
① 東照宮…江戸時代の初代将軍徳川家康の霊廟として、家康の側近だった僧天海が東照宮の前身となる東照社を建設した。その際天海は荒廃していた社寺の再興にも尽力したことで、日光は徳川幕府の聖地として再び信仰を集めるようになった。その後、第3代将軍徳川家光の代に1年5か月にわたる「寛永の大造替」と呼ばれる大改修を行って権現造を主体とする姿に替え、1645年に東照宮と改称した。この大造替により、陽明門や三猿として知られる神厩舎など、当時の最高技術を用いた芸術性の高い建造物がつくられた。特に高さ11.1m、横幅7mの大きさを誇る国宝の「陽明門」には、500を越える精緻な彫刻が施されている。その他、東照宮には眠り猫・唐門・御本社・回廊など国宝が8棟、重要文化財が34棟ある。
② 二荒山神社…霊峰二荒山(男体山)をご神体と仰ぐ山岳信仰の中心として、古くから崇拝されてきた。本社社殿をはじめ、唐門や拝殿・神橋など23棟が重要文化財に指定されている。
③ 輪王寺…輪王寺の本堂で東日本最大の「三仏堂」、家光の霊廟である国宝の「大猷院」は本殿・拝殿・相の間ともに金箔や彩色がほどこされていることから「金閣殿」と呼ばれるなど、見どころ多数。

11-⑦ 石見銀山遺跡とその文化的景観
文化遺産 2007年登録・2010年範囲変更 登録基準②③⑤
● 17世紀に世界の銀の3分の1を産出した産業遺産
石見銀山遺跡は日本海に面する島根県のほぼ中央に位置し、石見銀の採掘・精錬から運搬・積み出しに至る鉱山開発の総体を表す「銀鉱山跡と鉱山町」「港と港町」「街道」からなり、面積は4.42㎢(東京ドームの95倍)もある。14世紀初頭に、この地を領していた大内氏が発見したといわれる石見銀山の開発は、1527年に九州博多の豪商神谷寿貞が朝鮮から導入した「灰吹法」という銀の精錬技術により銀の飛躍的増産を可能にした。そのため近隣豪族の争奪の的となり、1528年に邑智郡川本に本拠を持つ小笠原氏がこれを奪ったのを手始めに、出雲の尼子氏、安芸(広島)の毛利氏、周防(山口)の大内氏らが幾度となく戦火を交じえて銀山一帯を血で染めた。銀山に平和がよみがえるのは関ヶ原合戦以降で、徳川家康は石見銀山を直轄領とし、1601年に初代奉行大久保長安が着任。安原伝兵衛を右腕として、鉱床の発見、採鉱、精練など当時の技術を総動員させた。1700年前後の最盛期には石見銀山の年間産出量は、1万貫(約38トン)に達し、当時世界の銀産出量の1/3を占めるまでになった。しかし、17世紀後半には産出量は激減、明治期には銅を主体に再開発するが、1923年に閉山した。鉱山としての石見銀山は幕を閉じたが、2007年アジア初の産業遺産として、往時の姿をとどめながら覚醒した。
主な構成資産は、次の通り
■ 銀鉱山跡と鉱山町
◇銀山柵内(さくのうち)…採掘から選鉱、製練・精練まで銀生産の諸作業が行われいた場所で、柵で厳重に囲まれていたことから「柵内」と名づけられた。
◇龍源寺間部…間歩(まぶ)とは坑道のことで、江戸時代中期に開発され、全長600mのうち約270mが公開されている。
◇大久保間歩…石見銀山最大規模の間歩。約150mが公開されている。
◇熊谷家住宅…大森銀山の街路に面して建つ建築物の中でも最大(約1500㎡)の町家建築。有力商人の社会的地位や生活の変遷を伝える重要文化財。
◇代官所跡…江戸時代に銀山と周辺の領地を管理していた代官たちの屋敷跡。現在は「資料館」。
◇羅漢寺五百羅漢…銀山の安泰を願った真言宗の寺院。3つの石窟があり、中央窟に三尊仏、左右に250体ずつの石造五百羅漢坐像がある。
■ 街道(石見銀山街道)および港と港町
◇温泉津沖泊道…銀山と日本海に面した沖泊か、沖泊に隣接する温泉津までを結ぶ全長約12kmの道中には、苔むした石造の坂や石仏などがある。
◇鞆(とも)ケ浦道…銀山開発初期の16世紀前半に、銀山から博多へ運ぶ鞆ケ浦港までを結んだ約7kmの険しい街道。

後半は、講談社の「動く図鑑move・世界遺産」(本体2000円) を、年末に書店の店頭で見て感銘し、すぐに購入した酒井義夫が詳しく紹介。NHKのスペシャル映像を豊富に使ったDVD付の「動く図鑑move」シリーズはこれまでに22冊が刊行され、親子で親しめると評判となって累計300万部突破したそうで、「動く図鑑move・世界遺産」はこのシリーズの最新刊。




図鑑には、全体の約2/3は「日本の世界遺産」、後半の1/3は「海外の世界遺産」が取り上げられています。「日本の世界遺産」は、知床、白神山地、屋久島などの自然遺産から、日光、富士山、京都、熊野古道、原爆ドーム、琉球王国のグスクなどの文化遺産まで、日本の22ある世界遺産を北から順に南へと、それぞれ数ページにわたって豊富な写真とともに詳しく解説されています。さらに北海道・北東北の縄文文化、佐渡金山、鎌倉など世界遺産に申請中のエリアについても紹介されていて、大人がみても十分に満足できる内容になっています。文字は最小限なので、子どもでも興味がわきそう。「海外の世界遺産」は、エジプトのピラミッドからヴェルサイユ宮殿、モンサンミシェルなどの文化遺産から、グランドキャニオン、ガラパゴス諸島などの自然遺産まで代表的な世界遺産63か所を、迫力のある写真や臨場感あるイラストで紹介しています。
NHK制作のDVDを見ながら会は進められ、「チョー絶景な世界遺産」など次の5つのジャンルに分けた映像は、どれも興味深いものでした。
①「チョー絶景な世界遺産」…グランドキャニオン・イグアスの滝・エンジェルフォール(ベネズエラ) ・武陵源 ②「超アチチな世界遺産」…ハワイ火山国立公園・イエローストーン・ナミブ砂漠 ③ 「こんなところに生きもの発見」…セレンゲティ国立公園・ツインギティ(マダガスカル)・オオカバマダラ生物圏保護区(メキシコ) ④「アンビリーバブルな世界遺産」…バリアリーフ保護区(ベリーズ)・カカドゥ国立公園(オーストラリア)・ポンペイ遺跡・メテオラ修道院(ギリシャ) ⑤「ちょっとミステリーな世界遺産」…ストーンヘイジ(イギリス)・イースター島モアイ像・エボラ教会(ポルトガル)・聖母マリア教会(チェコ)・エディンバラ旧市街
時々「どちらが高いでしょう」自由の女神像(ニューヨーク)とビッグベン(ロンドンの国会議事堂)、タージマハル(インド)とピサの斜塔(イタリア)はほぼ互角。けっさくなのは、ケルンの大聖堂(ドイツ)157mとサグラダファミリア(スペイン)102m、でも、2026年の完成時には172mとなる「サグラダファミリアの勝」など、視聴者をあきさせない工夫があちこちにほどこされています。DVD後半は、日本の世界遺産の姫路城、平泉、厳島神社、日光東照宮、白川郷、富士山を取り上げあげています。とくに、富士山が過去の4回にわたる噴火を図示しながら、日本一の山になるまでの過程が描かれているのは驚きでもありました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」1月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一    文新1960年卒
  • 深澤雅子    文独1977年卒
  • 増田一也    文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

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