2016年2月17日水曜日

第21回「参火会」2月例会 (通算385回) 2016年2月16日(火) 実施

「現代史を考える集い」17回目   昭和33・34年 「消費革命の時代へ」





今回は、NHK制作DVD17巻目の映像──
藤山ダレス会談、警職法改定案国会提出、和歌山で勤評阻止全国大会、「売春防止法」施行、のちの「水俣病」報道、本州製紙に漁民乱入、紀州沖で「南海丸」沈没、阿蘇山大爆発、狩野川台風襲来、関門国道トンネル開通、特急「こだま」運転開始、大相撲6場所制に/栃若時代、西鉄が日本シリーズで巨人に逆転優勝、1万円札発行、トランジスターラジオ普及、東京タワー完成、皇室会議・皇太子妃に正田美智子を承認、ミッチ―ブーム、皇太子ご成婚、馬車パレード、清宮貴子婚約発表、安保改定交渉再開、安保阻止国民会議ほか国会構内に入る、砂川裁判に伊達判決、浅沼社会党訪中団長「米帝国主義は日中共同の敵」と演説、民主党結成へ、岩戸景気による消費革命・農村へも波及、伊勢湾台風襲来、次回(第18回)オリンピックが東京に決定、巨人・阪神戦の天覧試合、児島明子がミス・ユニバースに、四国ブーム、自動車・オートバイ普及……など約55分を視聴後、ミッチ―ブーム・大衆社会とマスコミ文化を中心に話し合いをしました。





「この時代の概要」

憲法改正、再軍備政策を進めたい岸信介首相は、もう一つの目的である、不平等な「日米安保条約」を改訂し、対米平等の立場を確固たるものにし、軍事大国をめざす──。この信念を、昭和33年に入っても変えませんでした。

3年前(昭和30年2月)の総選挙以後、鳩山・石橋・岸と3つも内閣が交替しながら、一度も国民に信を問うことがなかったことで、議会に解散の声が高まってきました。岸は解散は抜き打ちでやるべきではないと、社会党の鈴木茂三郎党首と会談し、「話し合い解散」を決めました。こうして、5月22日に衆議院選挙が行われます

その結果、自民党287人(選挙後11人入党)、社会党166人(選挙後1人入党)ということで、安定多数は保ったものの、憲法改正に必要な2/3にはほど遠いものでした。そこで第2次岸内閣は、「安保改定」に目的をしぼりました。しかし、これまでの低姿勢とは打って変わって高姿勢で臨み、閣僚もアメリカとの交渉を進めてきた藤山愛一郎外務大臣以外は総入れ替えし、主流派で固めました。そして、安保改定への動きを始めれば、反対勢力が立ちふさがるのは目に見えるため、その勢力を抑え込もうと、その第1弾として「日教組」への攻撃を開始します。当時「日教組」は、政府が打ち出した「勤務評定」(勤評)問題や、道徳教育の実施促進に大反対し、8月15日には、総評も支援した勤評反対・民主教育を守る全国大会を和歌山で開催。9月15日には、勤評反対全国統一行動をおこすなど、これが父兄を巻き込んでの大騒動となり、教育問題が政治問題化していきました。

そうした混乱がさめやらぬ10月8日、政府は突然、反対勢力抑え込みの第2弾となる「警察官職務執行法(警職法)改正案」を国会に提出しました。その内容は、警察官の権限を大幅に強化するもので、警察官の職務質問や所持品調べ、土地や建物への立ち入り、逮捕状なしで留置を可能にすることなどが含まれていました。戦前・戦中派は「オイコラ警察の復権」を危惧し、新憲法の人権尊重がすでに定着してきた戦後派世代からは、「デートを邪魔する警職法」と、私生活を脅かされるのを懸念しました。社会党、総評を中心に「警職法改悪反対国民会議」が結成されると、イデオロギーを越えて広範な反対運動が展開されました。以来、日本じゅうが「警職法」騒ぎに明け暮れ、国会も大荒れとなって、成立に執念を燃やしていた岸内閣もついに断念、11月22日、改正案は審議未了で廃案となりました。

そんなギスギスした世の中に、この騒ぎを鎮静化する話題が登場しました。「皇太子の婚約発表」です。皇太子妃候補の正田美智子さまが初めての「平民」だったこと、軽井沢のテニスコートでのロマンスなど「自由恋愛」を強調するマスコミ報道で、美智子さまはいちやく「昭和のシンデレラ」として国民の人気の的になり、「ミッチ―ブーム」がおこりました。





こうしてマスコミ報道は、皇室関連ニュースに占拠され、政治関連ニュースは片隅に追いやられていきました。そして翌昭和34年4月10日、盛大な「ご成婚式典」と「野外パレード」は、テレビ生中継され、この「世紀の祝典」の視聴者数は推定1500万人といわれ、「マスコミ文化」の中心は「テレビ」が主導するきっかけとなりました。

テレビは、昭和28年2月にNHKが放送を開始したものの当初は1000台弱、翌月でも企業をふくめ1500台足らずでした。同年8月に日本テレビ放送網(NTV)が開局して民間テレビ放送も始まりました。日本テレビは大型の受像機を全国の広場や街頭に設置して普及をはかり、力道山のプロレスや大相撲中継などスポーツが中心で「街頭テレビブーム」をおこすものの、高価だったため、一般家庭への普及にはいたりませんでした。それが皇太子の婚約二ュースが話題になりだした昭和33年末には100万台を突破、「ご成婚式典」時には200万台に達し、その半年後には300万台を越え、1~4月までにフジ、毎日など民間放送局14局が開局して「テレビ時代」に突入していきます。

もうひとつの「マスコミ文化」の大きな変化は、出版社系週刊誌の隆盛でしょう。週刊誌は戦前から続く『週刊朝日』『サンデー毎日』の2誌に加え、昭和27年に『週刊サンケイ』『週刊読売』が加わりました。昭和29年に初めての出版社からの週刊誌『週刊新潮』が新潮社から創刊され、五味康祐の「柳生武芸帳」と柴田錬三郎の「眠狂四郎無頼控」の2大連載小説が大ヒットしました。昭和32年から33年には、『週刊女性』(主婦と生活社)、『週刊明星』(集英社)、『週刊大衆』(双葉社)、『週刊女性自身』(光文社)が創刊し、昭和34年には『週刊文春』(文芸春秋社)、『週刊現代』(講談社)、『週刊コウロン』(中央公論社)などが登場、テレビとともに日本文化をリードしていくのでした。

ご成婚も無事にすんだ昭和34年6月、岸首相もそろそろ本格的に動き出し、6月2日に参議院選挙が行われました。自民党は改選前より5つの議席を伸ばし、計132議席の安定多数を獲得したことで自信をとりもどし、10月には、党内で安保改定案のとりまとめを行い、翌年1月にワシントンで行われる「安保改定調印式」にそなえるのでした……。


「参火会」2月例会参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学 文新1962年卒
  • 植田康夫  文新1962年卒
  • 小田靖忠 文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司文新1960年卒
  • 郡山千里 文新1961年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 菅原 勉 文英1966年卒
  • 竹内 光 文新1962年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 鴇沢武彦 文新1962年卒
  • 増田一也  文新1966年卒
  • 増田道子 外西1968年卒
  • 向井昌子 文英1966年卒
  • 山本明夫 文新1971年卒