酒井 義夫
文新1966年卒「社会思想社」に7年半勤務後独立、1974年「いずみ書房」創業、現在同社取締役会長(非常勤) 三鷹市井の頭在住
副会長
谷内 秀夫
文新1966年卒 卒後「社会行動研究所」に入り、マーケティング・
会計
山本 明夫
文新1971年卒 元NHK記者 現松蔭大学「メディア情報文化学科」教授 世田谷区下馬在住
- 岩崎 学 (文新1962年卒 元NHK 現NHKグローバルメディアサービス「ニュースデスク」 小平市在住)
- 植田 康夫 (文新1962年卒 現「週刊読書人」社長 元新聞学科長 (上智大学名誉教授)。2018年4月8日逝去)
- 小田靖忠 (文新1966年卒 1943年満州奉天生れ。山口県立光高校・上智大卒後、マッキャンエリクソン博報堂を皮切りに、以後50年のサラリーマン人生を外資系会社のみ12回転職、15社の会社代表を務める。分野は広告代理店2社、化粧品会社2社、消費財・ファッションブランド会社11社。主に会社の立上げ、売却、解散などで実績を残す。特にファッション界では、HugoBoss、DonnaKaran、St.Johnのジャパン社の立上げ、売却、解散、清算などを手がける。趣味は旅行、蕎麦打ち、家庭菜園など。現在魚の基本料理を手習い中)
- 草ヶ谷陽司 (文新1960年卒 日本経済新聞に入社し編集局整理部に配属され、見出し・紙面割り・レイアウトを担当。1970年から7年間は広告局で記事広告を執筆し、その間、取材のためイエローストーンなどアメリカ観光地10数か所を訪問。1977年から10年間は浜松・水戸・熊本支局で記者活動。1987年から1997年まで、同社広告研究所でマーケティングの研究に携わった。)
- 郡山 千里 (文新1961年卒 元日経BPクリエーティブ、元日経BP企画社長)
- 小林 宏之 (文新1961年卒 1935年満州国旧奉天市生れ、小学5年で終戦、
父の育った山梨県に引き揚げ、大月市にある県立都留高校卒。 上智在学中、東洋大学社会学研究所研究生、 東大新聞研究所研究生など道草を喰いながら、 小野秀雄先生の薫陶を受け,楽しい学生生活を享受。 s36年NHKにアナウンサーとして入社。 20数年日本各地を転々、s57年広報室に転勤、 考査室を経て定年退職、山梨県甲斐市在住。2015年6月15日逝去) - 小松 久晃 (外英1963卒 大日本印刷(株)包装事業部の営業一筋にて定年退職。その後、スペシャルオリンピックス(知的発達障碍者のオリンピック)に係わりその関係の海外の人と文通を楽しんでいます。2014年6月、東京大学・生涯スポーツ健康科学研究センターが開発したトレーニングマシン6台を配置した『インナーマッスルを鍛えて、呆けない、転ばない、太らない運動教室』を柏市に開設。葛飾区金町在住)
- 近藤 修平 (経経2006卒 建材の商社を経て、児童出版社「偕成社」から分社した「(株)コンセル」 専務取締役 戸田市在住)
- 酒井 猛夫(外西1962年卒 「三菱電機」海外事業部に勤務。その間メキシコ駐在員(7年半)
・オーストラリア三菱電機社長(10年)・ 台湾出張50数回を含め、38年間英米・スペイン・ 中国文化圏と交流した体験を『めざせ! 海外ビジネス』(社会思想社刊)に著す。市川市在住) - 菅原 勉 (文英1966年卒 外英教授として40年間勤務・2011年退任 (上智大学名誉教授) 副学長歴任 浦安市在住)
- 竹内 光 (文新1962年卒 元毎日新聞政治部記者 日本記者クラブ会員 目黒区自由が丘在住)
- 反畑 誠一 (文新1960年卒 音楽評論家(ポピュラー音楽)・立命館大客員教授(
コンテンツ産業・文化論) 「主婦と生活社」勤務を経て1983年より音楽評論活動に専従。 現在は全国紙に音楽コラム「ヒットの周辺」等を執筆中。(社)日本音楽著作権協会理事 日本レコード大賞常任実行委員 目黒区碑文谷在住) - 鴇澤武彦 (文新1962年卒 1936年5月、今の韓国3番目の大都市大邱市で生まれる。その後、満州にわたり1946年11月、引揚げで初めて日本を見た。高校まで長野に住み、上智大学新聞学科を1962年卒業。博報堂に入社、20年間営業職、新聞局、営業企画局、最後は大蔵省認可のソフト化経済センターに出向で現役を卒業。鎌倉ユネスコ協会理事としてコミュニケーション委員長を務め、平和運動を展開。2017年7月30日逝去)
- 深澤 雅子 (文独1977年卒 クラシックコンサート「スピカ」主催 翻訳家 練馬区東大泉在住)
- 増田 一也 (文新1966年卒 元立東社社長 「ジャズライフ」元編集長 天津師範学校留学後中国語翻訳家「高岡正展」のペンネームで「
汚職大国・中国」(文春文庫)など多数執筆 川崎市宮前区在住 奥様は1968外西卒) - 向井 昌子 (文英1966年卒 大連生れ。桐生女子高・上智卒後は貿易会社勤務を経て、日赤中央病院(現在の医療センター)で院長秘書の傍ら外国人患者と日本人医師の通訳として15年働く。退社後は東電学園や各種カルチャースクールなどで英語講師として勤める。その後児童英語に興味を持ち教室を開く。現在は蕨市の国際交流事業にボランティアとして携わる。蕨市在住 旧姓山川 ご主人は法法1967年卒)
- 渡辺智哉 (1963年千葉県生まれ。芝高卒。87年上智大新聞学科卒。同年、日本経済新聞社に記者職で入社。出版局情報出版部に配属。日経会社情報などの編集に携わる。90年出版局編集部、93年出版局電子出版部。第1回オルセー美術館展で図録のデジタル化を手がけ、96年に日経電子版の前身「NIKKEI NET」の創刊に参画。以後、映像はじめネットコンテンツ一筋に社歴を重ねる。2018年からクロスメディア、記事広告の執筆が現在の主業務。ネット時代に長く全国各地の食文化を通じた地域興しに関わったことから、現在でも、各地の食によるまちおこしに関わっています。船橋市在住)
- 蕨南暢雄 (文新1959年卒 毎日新聞社会部記者として活動し編集委員で退社後、河野洋平議員{元衆議院議長、現外務大臣太郎氏の父}の秘書に就任。毎日新聞社終身名誉職員。府中市在住)
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