そこで今回は、都合により予定を変更し、つい10日ほど前の2月9日、秋田県男鹿市の真山神社で行なわれた「第56回 なまはげ柴灯(せど)まつり」(昭和39年に始まり、毎年2月の第二金・土・日の3日間開催される)を見学してきたばかりの酒井義夫が、その体験を語る会としました。
「みちのく五大雪まつり」のひとつとなっているこの祭りは、男鹿の冬を代表する冬祭りとして、900年以上前から毎年1月3日に真山神社で行われている神事「柴灯祭(さいとうさい)」と、民俗行事「なまはげ」を組み合わせた冬の観光行事で、真山神社境内に焚き上げられた柴灯火のもとで繰り広げられ、勇壮で迫力あるナマハゲの乱舞などで、見る人たちを魅了してきました。
「男鹿のなまはげ」は、大みそかの晩に男鹿にある各集落の青年たちがナマハゲに扮して「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」などと大声で叫びながら家々を巡ります。
男鹿の人々にとってのナマハゲは、怠け心を戒め、無病息災・田畑の実り・山の幸・海の幸をもたらす年の節目にやってくる来訪神です。ナマハゲを迎える家では、昔から伝わる作法で料理や酒を準備して丁重にもてなします。男鹿市内のナマハゲ行事は、かつて小正月に行われていましたが、現在は約85の町内で12月31日の大みそかに行われているようです。
「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、夕方6時ころにはじまり、次のように進行します。
● なまはげ入魂
なまはげに扮する若者が参道入り口で神職からお祓いを受け、「神(しん)」の入った面を授かりなまはげと化して山へ戻って行きます。
● なまはげ踊り
秋田が生んだ現代舞踏家石井漠の振り付け、子の石井歓が曲を付けて昭和36年に誕生したダイナミックな「なまはげ踊り」が境内中央の柴灯火の前で繰り広げられます。
● なまはげ太鼓
なまはげと和太鼓を組み合わせた郷土芸能「なまはげ太鼓」。勇壮な太鼓のリズムとなまはげの掛け声が響き渡ります。
● なまはげ下山
境内に面した山の頂きの闇の中から松明を手にしたなまはげが現れて参道を下り、観客であふれた境内を練り歩きます。幻想的な柴灯まつりのクライマックス。
当日の夜は、積雪40cmほどもあり、歩道は踏み固められているものの氷点下5~7度と寒く、使い捨てカイロを身体中に貼ってはいても、1時間近くも会場の真山神社境内にいると冷え切ってしまいました。そこで暖をとろうと、5分ほど下ったところにある『なまはげ資料館』に行ってみました。この資料館には、「なまはげ勢ぞろいコーナー」というのがあり、男鹿市内各地で実際に使われていた110体+40枚の多種多様なナマハゲ面が勢ぞろいして、見ごたえ十分です。
「なまはげ伝承ホール」は、50人も座ってみられるスペースがあり、大みそかの男鹿のナマハゲ行事を15分間の映画で紹介してくれます。「面づくりコーナー」では、20年以上もなまはげの面づくりにはげむ彫り師の実演が行われ、「なまはげ変身コーナー」では、だれでも面や衣装を身につけることが出来、記念写真もOK(無料)です。
一番驚いたのは、先ほどまで真山神社で見ていた「なまはげ柴灯(せど)まつり」の実況放送が、2台のテレビに写しだされていることでした。どこで何が行われるか知り尽くした撮影者がテレビカメラで撮っているのでしょう。現場では1500人もの人があふれかえっているため何をやってるのかほとんど見当がつかなかったのが、これを見ていれば実によくわかります。そのため、7時半から終了する8時半ころまで、ここのテレビにかじりついて見続け、まさに寒さ知らずの楽しい時間が過ごせました。なお、「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、毎年2月の第二金・土・日の3日間ですので、1度はご覧になることをお薦めいたします。
(文責・酒井義夫)
「参火会」2月例会 参加者
(50音順・敬称略)
- 小田靖忠 文新1966年卒
- 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
- 酒井義夫 文新1966年卒
- 竹内 光 文新1962年卒
- 反畑誠一 文新1960年卒
- 増田一也 文新1966年卒
- 増田道子 外西1968年卒
- 向井昌子 文英1966年卒
- 蕨南暢雄 文新1959年卒