2019年4月17日水曜日

第53回「参火会」4月例会 (通算417回) 2019年4月16日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第14回目 「世界遺産 第2シリーズ」① ヨーロッパ Ⅰ

今回から再スタートするこの「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

前半は、下記資料「2-1-1~20」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第1巻目の映像約95分を視聴しました。


          

2-1-1 ベネチアとその潟  既出…1-3-1 
文化遺産 イタリア 1987年登録 登録基準①②③④⑤⑥
◇ ベネチアにゴンドラは欠かせない。3代にわたるゴンドラ職人のゴンドラに乗りながら運河を堪能する。多くの観光客でにぎわうサンマルコ広場の隆盛は今も変わらない。
 
2-1-2 モデナ大聖堂、鐘楼、グランデ広場 
文化遺産 イタリア 1997年登録 登録基準①②③④
● 中世の自由都市を象徴する建造物
イタリア北部、フィレンツェから北東約100kmにあるモデナの大聖堂・鐘楼・グランデ広場は、かつてこの地が自由都市だった時代に築かれた。旧市街の中心にあるグランデ広場の北側にある大聖堂は1099年に起工し85年後の1184年に完成した、ロマネスク様式の傑作といわれる。その隣に、12世紀に建設を開始し16世紀に完成した88mもある白大理石造りの鐘楼がそびえる。町のシンボルでもあるこの鐘楼は、花冠(ギルランデ)があることから「ギルランディーナ」の愛称で親しまれている。この街は古代ローマの時代から「エミリア街道(美食街道)」の要衝として栄え、1598年にはモデナ王国の首都にもなった。イタリアを代表する調味料バルサミコ酢は、この地が発祥。今のモデナは、フェラーリやマセラーティなど自動車の町としても知られる。

2-1-3 コルドバ歴史地区  既出…1-1-6
文化遺産 スペイン 1984年登録・1994年範囲拡大 登録基準①②③④
◇ 町の象徴メスキータは、スペインのイスラム時代に建てられたヨーロッパ最大の礼拝所。アーチが連なる「円柱の森」の奥には、レコンキスタ後に増築されたキリスト教の大聖堂がそびえる。

2-1-4 古都トレド 既出…1-1-5 
文化遺産 スペイン 1986年登録 登録基準①②③④
◇ ギリシャ生まれの異邦人グレコの絵画「聖衣剥奪」(トレド大聖堂所蔵)は、制作当時教会はキリスト教を冒涜していると非難。住民はその色彩と人間描写を絶賛してスペイン画家が誕生。

2-1-5 サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼道
文化遺産 スペイン/1993年登録  フランス/1998年登録 登録基準②④⑥
● 免罪の地へと続く聖なる道
聖ヤコブが眠る「サンティアゴ・デ・コンポステラ」は、イベリア半島の最西端にあるキリスト教3大巡礼地のひとつ。11世紀に「聖ヤコブの霊廟に詣でればすべての罪が赦される」という聖ヤコブ信仰が高まり、12世紀の最盛期には年間50万人を越え、今に残る大聖堂の原型もその頃に完成した。フランスの4都市(パリ・ヴェズレー・ルピュイ・アルル)を起点とし、ピレネー山脈を越え、ブエンラレイナの町でひとつに合流。スペイン国内だけでも約800㎞もあり、徒歩だと1か月もかかる。巡礼道沿いには修道院や聖堂が次々に建てられてロマネスク様式伝播の道となり、商人や職人などが行き交ったことから、ヨーロッパのさまざまな知識や文化が交換する「文化交流の拠点」ともなった。今も多くの巡礼者が聖地をめざす。

2-1-6 ヴェゼール渓谷の装飾洞窟群と先史遺跡
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①③
● クロマニョン人が残した先史時代の芸術
フランス南西部にあるヴェゼール渓谷には、2万~1万6千年前にクロマニョン人が描いた壁画のある洞窟が26、集落跡は147もある。とくに有名なのが「ラスコー洞窟壁画」で、1940年に迷い犬を探していた近くに住む少年たちが発見したという。野牛やウマ、シカ、トナカイなどの動物が岩面の凹凸を利用して躍動的に描かれ、線画から写実画、抽象的表現まで、古代人の高度な絵画技術を知ることができる。この洞窟は、1972年に絵画保存のため立入禁止となったが、近くに精密な複製のラスコー洞窟Ⅱが作られている。口に木炭を含み壁に吹き付ける技法だったと唱えるエルブランシュ博士の説明とともに、壁画制作のなぞを探る。

2-1-7 ランメルスベルク鉱山とゴスラーの歴史地区
文化遺産 ドイツ 1992年登録2010年範囲変更 登録基準①④から①②③④に拡大 
● 千年間も銀を生みつづけた鉱山の町
ドイツ中央部、ハルツ山麓にある小さな町ゴスラーは、10世紀後半に町の南方にある銀鉱山ランメルスベルクの開発により、いちやく発展を遂げた。この銀に注目した神聖ローマ帝国のハインリヒ2世は、11世紀初頭に貨幣を鋳造するとともに、ゴスラーに宮殿を建設し、1009年からそこで帝国議会を開いた。13世紀に入ると帝国集会は開かれなくなったが、ゴスラーはハンザ同盟の一員となって第2の隆盛期を迎えた。旧市街中心部にあるマルクト広場に建つ15世紀の市庁舎やギルド会館は、この街の隆盛を今に伝える。ランメルスベルク鉱山は1988年の閉山まで、千年以上にわたって稼働をし続けた。閉山後に博物館として再生し、坑道の見学なども行われている。なお、2010年に「ハルツ山地上部の水利システム」が追加登録された。このシステムのおかげで、水力発電と製鉄技術の発展が可能になったことが評価された。

2-1-8  トリーアのローマ遺跡、聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂
文化遺産 ドイツ 1986年登録 登録基準①③④⑥
● ローマとキリスト教が融合したドイツ最古の都市
ドイツ西部モーゼル川上流にあるトリーアは、BC15年にローマ皇帝アウグストゥスがライン地方統治の拠点として建設し、帝国の拡大とともに発展、3世紀末には帝都として「第2のローマ」ともよばれた。4世紀末にはゲルマン人に押されてローマ勢力はこの地を離れたがキリスト教徒と司教はここにとどまり、中世には大司教座都市となって、再び繁栄した。周辺には往時をしのばせる建造物が残る。ポルタ・ニグラ(黒い門)は、2世紀に建てられた。コンスタンチヌスが建てたアウラ・パラティーナは、レンガ造りの壮大な宮殿。聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂はローマ時代の聖堂を13世紀にゴシック様式で改築された。なおトリーアは、ドイツを代表するモーゼル(白)ワインの名産地としても知られている。
 
2-1-9  ブリュールのアウグストゥスブルク宮殿と別邸ファルケンルスト
文化遺産 ドイツ 1984年登録 登録基準②④
● ドイツ・ロココ様式の先駆けとなった華麗な宮殿
ドイツ西部にあるブリュールのアウグストゥスブルク宮殿は、ケルンの大司教兼選帝侯のクレメンス・アウグストが、18世紀に建設を命じた宮殿。宮殿から2㎞離れた森の中には鷹狩り用に建てた別邸ファルケンルストがある。いずれも建築家のフランソワ・キュヴィイエの設計によるもので、アウグストの権力と富を象徴している。キュヴィイエのほか、バルクザール・ノイマンらヨーロッパ各地から集められた芸術家が腕をふるった宮殿は、建設がはじまってから40年後の1768年に完成、ドイツ・ロココ様式の最高傑作といわれる。いっぽう1740年に完成した別邸ファルケンルストは、2階建ての母屋と狩りの獲物を入れる付属建物からなり、庭に建てられた礼拝堂の装飾はすべて貝殻が使用されている。

2-1-10  アーヘン大聖堂
文化遺産 ドイツ 1978年登録 登録基準①②④⑥
● ドイツ王国の象徴となった大聖堂
8世紀末にフランク王国カロリング朝のカール1世(大帝)は、ドイツ中西部のアーヘンに宮廷を置くとアーヘンは首都的な存在になり、大帝は800年、ローマ教皇レオ3世から西ローマ帝国皇帝として戴冠された。アーヘン大聖堂が現在の姿になるのは1664年だが、大帝は805年に大聖堂の中核となる8角形の中心部と16角形の周廊にドームを頂く「宮廷礼拝堂」を完成させた。この礼拝堂はカロリング・ルネサンス白眉の建築として高く評価されている。10世紀中頃には「皇帝の玉座」が作られ、以後16世紀まで30人のドイツ国王がここで戴冠式を行った。直径4.2mある中央のシャンデリアは大帝が聖人に列せられた12世紀に制作されたもの。なお、「アーヘン大聖堂」は、初めて世界遺産に登録された12物件の一つとしても知られている。

2-1-11  キュー王立植物園
文化遺産 イギリス 2003年登録 登録基準②③④
● 世界の植物を収集する歴史的植物園
ロンドン近郊のテムズ川南岸にある「キュー王立植物園」は、120万㎢もある世界最大規模の植物園。1759年にオーガスタ妃が作った小さな植物園を息子のジョージ3世が拡張し、1840年に王立植物園として開園した。初代園長フッカーとその息子親子が植物学研究センターの基礎をつくり、その後国益と学術研究のために世界各地からさまざまな植物が集められた。南米原産のキナノキからマラリアの特効薬キニーネが作られ、南アフリカから持ち帰ったゼラニウムは、ビクトリア時代に大流行したことで幕末の日本に渡来し、今や身近な園芸植物となった。図書館や研究所、園芸学校も併設され、世界の植物研究の先導的役割をはたしている。巨大なガラス温室パームハウスはビクトリア時代のままで残り、世界一古い鉢植ソテツの一種エンセファルトスや中東原産のチューリップの原種など、4万種類上の植物が育成されている。

2-1-12  ブリュージュ歴史地区 既出…1-2-2
文化遺産 ベルギー 2000年登録 登録基準②④⑥
◇ 13~14世紀に高級毛織物で栄えたハンザ都市のブリュージュ。当時の商人の家ギルドハウスには、魚屋・靴屋・酒屋などの絵の看板が残り中世の香りを残す。47個の組み鐘のある高さ83mの鐘楼が今も鐘の音をかなでる。

2-1-13  ドロットニングホルムの王領地
文化遺産 スウェーデン 1991年登録 登録基準④
● スウェーデンの栄光を象徴する王宮
首都ストックホルムの西10㎞に風光明媚なメラレン湖がある。16世紀後半その湖に浮かぶローヴェン島にドロットニングホルム(「王妃の小島」の意)の離宮が建てられた。国王ヨハン3世が愛する王妃へのプレゼントだった。ところが1661年、王家の女性たちに愛された離宮が火災にあい、全焼してしまった。前年に夫カール10世を亡くした王妃ヘドヴーグ・エレオノーラは、建築家テッシン父子に再建を依頼し、およそ20年をかけフランスの「ヴェルサイユ宮殿」に匹敵するバロック様式の宮殿と庭園を1700年に完成させた。18世紀末、華やかな仮面舞踏会の夜、国王親政を推進するグスタフ3世と反対する貴族との間に起こった国王暗殺の悲劇がおこる。その一部始終は、のちにヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」の題材となって、今に伝わる。その後この宮殿は、スウェーデン文化創造の中心地になっていき、1980年代初頭からスウェーデン国王の居城となった。その一部は一般公開され、建造から300年以上たった現在も往時の姿を伝えている。

2-1-14  ハルシュタットの文化的景観 既出1-3-14
文化遺産 オーストリア 1997年登録 登録基準②④
◇ オーストリア中央部にあり「世界の湖畔で最も美しい町」と称えられるハルシュタット(ケルト語で「塩の町」)。紀元前6世紀から現代まで豊富な白い黄金・岩塩が採れることで知られる。

2-1-15  チェスキー・クルムロフ
文化遺産 チェコ 1992年登録 登録基準④
● 交通の要所にあるヴルタヴァ河畔の古都
オーストリアとの国境に位置するチェスキー・クルムロフは、ヴルタヴァ(モルダウ)川が蛇行する旧市街対岸の丘の上に、チェスキー・クルムロフ城がゴシック様式で築かれた13世紀にはじまる。歴代の城主たちが少しずつ飾り立てていき、16世紀にルネサンス様式に改修されたことで、古都のたたずまいに華やかさが加わった。さらに庭園にはバロック様式の離宮が建てられ、オペラ劇場も併設された。14~16世紀に旧市街が発展し、手工業と商業で繁栄していっただけでなく、聖ヴィート教会などいくつもの教会が建設されて、カトリックの拠点ともなっていった。18世紀には大貴族シュヴァルツェンベルク家領となり、城は巨大さに優美さが加わった。20世紀になると、ドイツによる占領時代とその後の共産党独裁で城は甚大な被害を受けたが、1980年の自由化後に修復され、17世紀の優美な姿をもどしつつある。
 
2-1-16  トカイ・ワイン生産地
文化遺産 ハンガリー 2002年登録 登録基準③⑤
● ルイ14世が愛したワインの生産地
ハンガリー北東部、ティサ川とボドロク川流域に広がるトカイ地方は、世界3大貴腐ワインのひとつアッスワインの産地。ルイ14世が「これこそ王のためのワインにして、ワインの王なり」と絶賛したことで知られる。平均標高250mの丘陵地にブドウ畑や農園、村落、小都市が続く景色は、ワイン製造800年の歴史を今に伝える。アッスワインはきわめて品質が高く、ソーテルヌ産(フランス)とラインガウ産(ドイツ)と並んで、今も世界的な評価を得ている。貴腐ワインとは、糖分の凝縮した貴腐ブドウから醸造される最高級ワインで、アルコール度数と香りが高く、黄金色に輝く濃厚な味を誇る。小雨と霧と太陽、温度とカビの繁殖、技と贅沢な時間が作り出すワイン誕生の物語が展開される。

2-1-17  ドブロブニク旧市街 既出……1-1-14
文化遺産 クロアチア 1979年登録1994年範囲拡大 登録基準①③④ 
◇ 「アドリア海の真珠」と称えられたこの町も、20世紀末の内乱により多くが破壊された。平和が戻ると「自由と自治」を誇りにしてきた市民たちは、かつての町や象徴を昔の姿に再建した。

2-1-18  ドナウ・デルタ
自然遺産 ルーマニア 1991年登録 登録基準⑦⑩
● 「母なる大河」ドナウが生んだ河口の三角州
ルーマニア南東部、黒海の入口に広がる「ドナウ・デルタ」は、全長約2860㎞のドナウ川が約1万1千年の年月をかけて作り出した三角州で、そのうち約6800㎢が登録範囲。一帯はヨーロッパ最大の湿地帯が広がるとともに、世界最大の葦の群生地でもある。うっそうとした葦原は、人間の開発を拒み、大自然を守り続けてきた。この地帯の湿地帯や無数の池には、100種以上の魚類や320種を越える鳥類が生息する。特に渡り鳥のモモイロペリカンなどペリカン類の群れは「ドナウ・デルタ」のシンボル的存在。

2-1-19  イヴァノヴォの岩窟聖堂群
文化遺産 ブルガリア 1979年登録 登録基準②③
● 修道士たちが築いた断崖の聖地
ブルガリア北東部、ドナウ川の支流ルセンスキー・ロム川沿いの断崖にある「イヴァノヴォの岩窟聖堂群」は、13世紀にキリスト教修道士のヨワヒムが高さ50mの断崖に聖母教会を築いたのに始まる。その後ヨワヒムがブルガリア正教会の初代総主教になると、多くの巡礼者がイヴァノヴォを訪れるようになると、ブルガリア屈指の聖地として繁栄した。最盛期には岩窟に300もの聖堂が建てられ、聖堂内部に一流画家の描いたフレスコ画が多く残された。しかし、14世紀末にオスマン帝国の侵攻を受けてイスラムの支配下に入ると、修道士たちは洞窟を放棄すると、聖堂は荒廃してしまった。現在残る壁画は、往時の1/3程度という。

2-1-20  リラ修道院 
文化遺産 ブルガリア 1983年登録 登録基準⑥
● ブルガリア民族の精神的主柱となった修道院
「リラ修道院」は、ブルガリア南西部の標高1147mの山奥に、強固な要塞のように建つブルガリア正教の総本山。10世紀初頭、修道士イヴァン・イルスキーが修道院を築いたことから始まる。12世紀に興った第2次ブルガリア帝国の発展とともに、リラ修道院の権威は高まるものの、14世紀に発生した大地震により全壊してしまった。これを機に、この地を統治していた貴族フレリヨ・ドラコボラが敵襲や天災に備えた強固な建物に再建した。14世紀末にオスマン帝国の侵攻を受け、以来500年もの間イスラムの支配下にあったが、オスマン帝国の君主は、リラ修道院のもつ威信にかんがみて黙認した。1833年の大火でほとんどの施設は焼けてしまったが、修道院への国民の信仰は強く、すぐに再建事業にとりかかり、新たに19世紀ブルガリア宗教画の傑作とされる天井のフレスコ画などフレスコ画で覆われる「聖母聖堂」「礼拝堂」をはじめ、現存する建築物の大半はこの時代に建設された。


後半は、日本の世界遺産「琉球王国のグスクおよび関連資産群」の中心ともいえる首里城が、第2次世界大戦末の沖縄戦で潰滅。古文書と白黒写真が残されただけのなか、いかに赤い城を復活させるかを描いたNHK「プロジェクトX」の感動的映像を視聴しました。

(文責 酒井義夫)



「参火会」4月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一    文新1960年卒
  • 深澤雅子    文独1977年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒