前回(4月例会)から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。
前半は、下記資料「2-2-1~20」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第2巻目の映像約95分を視聴しました。
2-2-1 ポンペイ遺跡 既出…1-3-5
文化遺産 イタリア 1997年 登録基準③④⑤
◇ 紀元79年ベスビオ火山の大噴火により人々の平和な生活は一瞬にして奪われた。1700年後の発掘によって、当時の街並みと人々の暮らしぶりが火山灰の下から出現した。
2-2-2 サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院
文化遺産 イタリア 1980年登録 登録基準①②
● レオナルド・ダ・ヴィンチの不朽の名作が残された修道院
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、15世紀半ばにドメニコ会の修道院としてゴシック様式でつつましく建てられていた。これを1492年、ミラノ公ルドヴィコは、一族の霊廟にするため、ルネサンス建築の先駆者で当世一の建築家ブラマンテに再建を依頼すると、ブラマンテは聖堂の北側に、修道院の景観を見渡すルネサンス様式の回廊を造り、 巨大な円蓋を載く内陣を新たに建設した。さらにミラノ公は1494年、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチに、修道院に隣接する食堂の壁画に『最後の晩餐』の制作を依頼した。2年後、縦4.2m横9.1mの大画面となって完成した作品は、「この中に裏切り者がいる」と、イエス・キリストとその言葉に驚愕して動揺する使徒たちを描いたもので、磔刑前夜の劇的瞬間を描いた芸術史に新しい時代を開いた名作として讃えられている。当時の壁画は、漆喰を塗った壁に水で溶いた顔料で描くフレスコ画が主流で、漆喰が乾く前に一気に仕上げねばならず、作業の中断や描き直しは不可能だった。気が乗らないとすぐに仕事を中断し、熱中すれば何度でも描き直したダ・ヴィンチは、中断や描き直しができるテンペラ画法(乾いた壁に、顔料を卵などの溶剤で練った絵の具で描く)を選択した。ところが、テンペラは絵の具が壁に染み込まず、やがて湿気で剥落する運命にあった。完成してまもなく、絵には細かい亀裂が生じていたため、ダ・ヴィンチは、それを一度は塗り直したものの、ミラノを去り、以後、この絵に執着することはなかった。剥落は次第に激しくなり、50年後には絵の多くが傷んでいた。18世紀の修復家は、油彩で筆を入れ、原画を描き変えるなど強引な修復が行われ、これは美術ファンの期待を裏切るものだった。1977年に、本格的な修復活動が始まった。修復家のピニン・ブランビッラが中心になり20年以上の歳月をかけたもので、表面に付着した汚れなどの除去、レオナルドの時代以降に行なわれた修復による顔料の除去が進められたことで、後世の修復家の加筆は取り除かれ、「キリストの口が開いていた」「背景の左右の壁にある黒い部分には花模様のタペストリがかけられていた」などが新たに判明するなど、この執念の修復で、500年ぶりにダ・ビンチの原画が復活した。
2-2-3 サヴォイア家の王宮
文化遺産 イタリア 1997年登録2010年範囲変更 登録基準①②④⑤
● 名門家が代々築いたバロック建築の街並み
イタリア北西部のトリノにあるサヴォイア家の王宮や邸宅群は、フランス出身だった同家が領土を拡げ、その支配力を誇示するために建設した。サヴォイア家は、11世紀ころにアルプス地方サヴォアに興った家系で、13~15世紀に北イタリアに領土を拡大し、1416年にサヴォイア公国となった。16世紀半ばにサヴォイア公国は首都をトリノに移し、王家の権勢を示すために王宮の建設と都市の整備を命じると、当時のトップクラスの建築家や芸術家が集められ、トリノ市街の宮殿から狩猟小屋に至るまで、設計・装飾された。建築事業は後継者にも引き継がれ、17~18世紀には、4階建ての建物が整然と並ぶ街並みと、ヴェナリア城・マダマ宮殿・カリニャーノ宮殿などバロック建築が威容を誇る美しい町となり、「イタリアのパリ」と称された。公国は1720年にサルディーニャ島を併合してサルディーニャ王国として発展、そののちジェノヴァも獲得してイタリア1の雄邦となってイタリア統一運動のけん引役となった。1861年の統一後、初代イタリア国王にサヴォイア家のヴィットーリオ・エマヌエレ2世が即位し、トリノは王国初の首都となって、イタリア王国統一後の初議会はカリニャーノ宮殿で開かれた。第2次世界大戦後の1946年にイタリアが共和制になったことでサヴォイア家は廃絶したが、王宮をはじめとする多くの邸宅群、トリノ郊外の田園に狩猟のために建設されたストゥビニージ館まで、多くの建物が世界遺産に登録され親しまれている。なお、イタリア独特の細長いパン・グリッシーニは、トリノのサヴォイア王家で誕生したもの。
2-2-4 セゴビア旧市街と水道橋 既出…1-1-1
文化遺産 スペイン 1985年登録 登録基準①③④
◇ 1世紀ごろに建設され、2000年近くも町に水を運んできた。石はただ積まれているだけにも関わらず、大きな修理をすることがない。古代ローマ時代の土木技術の高さを現代に伝える。
2-2-5 セビリア大聖堂 既出…1-1-7
文化遺産 スペイン 1987年登録 登録基準①②③⑥
◇ 新大陸貿易の拠点セビリアにある巨大な聖堂にはコロンブスの柩を安置する。全面黄金に塗られた世界最大の祭壇衝立・中央のマリア像は、セビリアがマリア信仰の中心であることを証明。
2-2-6 オビエドとアストゥリアス王国の建造物
文化遺産 スペイン 1985年登録1998年範囲拡大 登録基準①②④
● イベリア半島に残ったキリスト教徒の牙城
イベリア半島は、711年にイスラム勢力によりほぼ全土が支配されたが、スペイン北西部のアストゥリアス地方は唯一支配を逃れた。オビエドは、718年に建国されたアストゥリアス王国時代に首都だった地で、8~10世紀に多くの教会が建てられた。世界遺産に登録されたのはオビエド市街と郊外に残るサン・ミゲル・デ・リヨ教会など6つの教会と関連施設。のちにキリスト教徒がイスラム勢力から国土を奪回する運動レコンキスタは、ここを拠点にして始まったことから、スペインの原点ともいえる歴史の重みを背負った聖地。
2-2-7 ベルサイユ宮殿と庭園 既出…1-2-5
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①②⑥
◇ フランス絶対王政を象徴する宮殿を昔のまま守る時計職人が独白する。式典や舞踏会が開かれた「鏡の間」には国家の栄光が、広大な庭園には王の束の間の休息の時間が刻まれている…と。
2-2-8 シャンボール城 既出…1-2-8 (ロワール渓谷)
文化遺産 フランス 2000年登録 登録基準①②④
◇ ロワール渓谷に王侯貴族たちが競って建てた城館群のひとつで、フランソワ1世が建て、当時64歳だったレオナルドダヴィンチを招き、新しい理想都市の構想を練った。レオナルドの死後、彼の構想した二重螺旋階段を実現するなど、敷地5500万㎡、建物は幅156m奥行117m、部屋数440という壮大な城は、フランス・ルネサンス様式の最高傑作と高く評価されている。
2-2-9 シャルトル大聖堂 既出…1-2-14
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①②④
◇ 十字架の形をした大聖堂は、176の窓すべてがステンドグラスで飾られ、刻々と変わる神秘的な光がキリスト教の世界を伝える。文字の読めない人たちは、ステンドグラスを通して聖書物語を知った。ステンドグラス美術館ともいえそう。
2-2-10 アミアン大聖堂 既出…1-2-12
文化遺産 フランス 1981年登録 登録基準①②
◇ ゴシック建築の傑作とされる大聖堂の建物には「石の百科全書」といわれる彫刻群で装飾されている。文字を読めない人も彫刻の「聖書物語」から聖書を学び、内に入って天国を感じ、神に近づくのだという。
2-2-11 ヴェズレーの聖堂と丘
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①⑥
● ロマネスク彫刻の傑作を擁する教会
ブルゴーニュ地方にあるヴェズレーの丘には、12世紀初頭に建てられたサント・マドレーヌ教会がある。ここにはキリストの死と復活を見届けたマグダラのマリア(聖女マドレーヌ)の聖遺骨が祀られ、精霊が宿ると信じられていた。東西120m、身廊(入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの袖廊に至るまでの部分)は長さ64m・幅12m・高さ18mと大規模な聖堂で、12世紀にはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼道の起点となり、現代も続いている。1279年にプロヴァンスでマドレーヌの遺体が見つかったことで偽物説がでたもののルイ9世が本物と認めた騒動、英仏百年戦争、フランス革命などで聖堂は荒廃したが、19世紀に修復されて蘇った。100を超える身廊の円柱には、獅子やゾウなどの動物や、植物をモチーフにした彫刻で飾られている。特に柱頭彫刻「神秘の粉ひき」、身廊入口の「使徒に布教の使命を与えるキリスト」は、ロマネスク彫刻の傑作として名高い。
2-2-12 ハドリアヌスの長城 (ローマ帝国の境界線)
文化遺産 イギリス 1987年登録2005・08年範囲拡大 登録基準②③④
● 拡大し続けたローマ帝国の国境を守る防護壁
1世紀半ばローマ帝国は、イングランドまで領土を拡大し、グレート・ブリテン島で北方のケルト民族の侵入に苦しんでいた。ハドリアヌス帝は、防壁の建設を命じ、126年に西海岸のボウネスと東海岸のウォールズエンドを結ぶ全長120㎞の長城を完成させた。2世紀末には、土と泥炭で作られた土塁は石積みに改築し、15の城砦と約1.5㎞ごとに見張り塔を持つ砦や監視所を置き、1万人ものローマ兵が駐留したという。4世紀後半にローマ軍は撤退したが、17世紀初頭にはかつての長城は、イングランドへ侵入しようとするスコットランド人の侵入を防ぐ防壁の役割をはたした。なお、登録当初は「ハドリアヌスの長城」だったが、ライン川とドナウ川を結ぶ全長550㎞のドイツのリーメス(ゲルマン民族の襲撃に備えた)に範囲が拡大されたことにより「ローマ帝国の境界線」と名称変更された。
2-2-13 フランドル地方の鐘楼 (ベルギーとフランスの鐘楼)
文化遺産 ベルギー・フランス 1999年登録2005年範囲拡大 登録基準②④
● 多様な様式で建てられた「自由と繁栄の象徴」
ベルギーのフランドル地方に26件・ロワン地方に7件のほか、フランスのノールドパカレー地方に17件・ピカルディ―地方に6件の鐘楼が登録されている。これらの諸都市は古くから毛織物工業と海外交易により発展してきた。13~15世紀には、豊かな経済力を背景に領主と対抗し、市民による自治権の拡大に成功して絶頂期を迎えた。その象徴と言えるものが広場や市庁舎、聖堂などに市民が設置した鐘楼で、鐘楼の最上部に「カリヨン」とよばれる組鐘があり、時を告げる役割を担ってきた。カリヨンの音色は、今も昔も自由のシンボルとして町々に響きわたる。
2-2-14 シェーンブルン宮殿と庭園 既出…1-3-11
文化遺産 オーストリア 1996年登録 登録基準①④
◇ 「日没なき帝国」といわれたハプスブルク家唯一の女帝マリア・テレジアが、18世紀半ばに居城として大改造したのが独特の黄色(マリア・テレジア・イエロー)に統一された大宮殿。女帝が16人の子を育てた場所でもあった。
2-2-15 プラハ歴史地区 既出…1-4-2
文化遺産 チェコ 1992年登録 登録基準②④⑥
◇ チェコの首都プラハは14世紀に大いに発展したが、15世紀以降は苦難の道を歩んだ。それを象徴するのがプラハ城で、争いの舞台になって他国の支配を受けたが、第一次世界大戦後に「真実は勝つ」と書かれた大統領旗が城に掲げられ、独立が実現した。
2-2-16 ハンザ同盟都市リューベック
文化遺産 ドイツ 1987年登録 登録基準④
● 「ハンザの女王」と呼ばれた中世の商業都市
ドイツ北東部、トラヴェ川の中州にあるリューベックは、1143年にホルシュタイン伯アドルフによって建設され、ザクセン公ハインリヒ3世の保護を受けて発展。1226年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世から「帝国自由都市」の特権を与えられると、バルト海沿岸で初となる自由都市となった。12世紀にバルト海沿岸の交易を400年以上も独占し続けた「ハンザ同盟」が誕生すると、その盟主となり、1669年に解散するまで、「ハンザの女王」として繁栄し続けた。14、15世紀がハンザ同盟の全盛期といわれ、加盟都市は200以上、2000~3000もの船が穀物・木材・毛皮・鉱石・蜜蝋・琥珀・塩・ワイン・亜麻布・干魚やニシンなどを運んでいた。軍隊まであり、1370年にはデンマークを破った実績もあるという。街を象徴する2本の尖塔が印象的な「ホルステン門」をくぐるとレンガ造りの旧市街が広がる。そこには、「マルクト広場」に面してドイツ最古のゴシック様式建築の「市庁舎」、125mある2基の尖塔をもち、バッハがパイプオルガンに魅了されたという「聖マリア聖堂」ほか5つの聖堂、ドイツ初の福祉施設「聖霊病院」、船員組合会館など、13~17世紀の建築物が立ち並び、往時の繁栄をしのばせる。
2-2-17 ケルン大聖堂 既出…1-3-16
文化遺産 ドイツ 1996年登録 登録基準①②④
◇ ライン河畔の大都市ケルンでも、高さ157mの大聖堂はひときわ目立つ街のシンボル。13世紀に建設が始まり600年の歳月をかけて完成した。2004年、ライン対岸の再開発計画のために危機遺産となったが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市の懸命な努力で2006年に解除された。
2-2-18 中部ライン渓谷 既出…1-3-18
文化遺産 ドイツ 2002年登録 登録基準②④⑤
◇ ロマンティックな古城を愛でながらライン川を下る観光は人気が高い。14世紀、ここでは60もの税関が往来する船から通行税を徴収し、払わない船には武力を行使したという。優雅な古城の知られざる一面も描く。
2-2-19 モルドバ地方の教会群
文化遺産 ルーマニア 1993年登録 登録基準①④
● 聖なるフレスコ画に包まれた聖堂群
ルーマニア北東部にあるモルドバ地方は、かつてモルドバ公国に支配されており、15世紀後半からおよそ100年間シュテファン大公からペトル・ラレシュ公の治下に黄金時代を迎えた。バルカン半島で唯一、オスマン帝国軍の脅威に屈することなくキリスト教信仰が守られ、多くの宗教建造物が残された。オスマン帝国に勝利したことを記念し、大公が1488年に建てたボロネツ修道院聖堂をはじめ、スチャヴァ・モルドビツァ・フモール・アルボレ・パトラオツィ・プロボタの7つの修道院聖堂が登録されている。これらの建物は、内壁も外壁も聖書を題材にしたフレスコ画で覆いつくされ、文字の読めない人にも聖書が理解できるように配慮されている。とくに、ボロネツ修道院聖堂は必見で、聖人たちの絵がすきまなく埋められ「ボロネツの青」として賞賛される青色の外壁をもち「東欧のシスティナ礼拝堂」とよばれている。
2-2-20 マラムレシュの木造教会群
文化遺産 ルーマニア 1999年登録 登録基準④
● 教会本体には礎石もなく釘などいっさい使用しない木造教会
ルーマニア北西部マラムレシュ地方は、ウクライナと国境を接する丘陵地にある。伝統的な農林業と牧畜が営まれ、人々は今も伝統的な生活を続けている。「マラムレシュの木造教会群」は、トウヒなど木材のみで18~19世紀にかけて作られたゴシック様式の多くの建築物のうち、聖大天使教会、シュルデシッチ教会など8棟の教会が登録された。いずれも長く四角いとんがり帽子のような板葺き屋根に特徴があり、屋根の上にはほっそりした時計塔を兼ねた鐘楼がある。内部は民衆画家によって描かれたイコン(聖画像)で埋め尽くされ、村人たちの深い信仰心を伝えている。
上記の映像を視聴後、メンバーの竹内光氏から、休会の予定だった「8月例会」を『納涼参火会』として、8月20日に行ってはどうかという提案がありました。昨年の春に完成した「日比谷三井タワー」こと「ミッドタウン日比谷」を見学してから日比谷公園を散策、のどが渇いたころに「日本記者クラブ」で、冷えたビールで乾杯しようという提案でした。全員が賛成したことで、6月の参火会例会で、集合場所・時間など、より具体的な話をしてもらうことになりました。引き続き、メンバーの山本明夫氏から近況報告があり、松蔭大学教授を退任したこと、3月から渋谷NHKの臨時職員として復帰したことが告げられると、ひごろNHKに対しての疑問などが多く出されたために時間がなくなり、これも次回に持ち越します。
(文責 酒井義夫)
「参火会」5月例会 参加者
(50音順・敬称略)
- 郡山千里 文新1961年卒
- 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
- 酒井猛夫 外西1962年卒
- 酒井義夫 文新1966年卒
- 菅原 勉 文英1966年卒
- 竹内 光 文新1962年卒
- 谷内秀夫 文新1966年卒
- 反畑誠一 文新1960年卒
- 向井昌子 文英1966年卒
- 山本明夫 文新1971年卒
- 蕨南暢雄 文新1959年卒