2020年2月19日水曜日

第63回「参火会」2月例会 (通算427回) 2020年2月18日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第23回目 「世界遺産 第2シリーズ」 ⑦ アジア・オセアニアⅢ─1

2019年4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-7-1~10」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第7巻目の映像約100分のうちの前半約50分を視聴しました。




2-7-1   古都奈良の文化財  既出1-11-2  
文化遺産 奈良県 1998年登録 登録基準②③④⑥
◇ 東大寺の大仏建立
古都奈良は、710年から74年間、平城京として古代日本の政治、経済、文化の中心として栄えた。724年に天皇となった聖武天皇は、仏教をもとに国を安定しようと考え、僧行基のもとに民衆の力を集め、国を挙げての大仏建立の大事業に取り組んだ。こうして752年に金銅の廬舎那仏坐像(大仏)が開眼し、安置する金堂(大仏殿)は、752年に完成した。その後東大寺は、12世紀の源平の争乱、16世紀の戦国時代と、2度にわたり焼失されて修復・再建されたが、戦国の兵火による焼失後は、大仏は雨ざらしのままだった。現在の姿になったのは1709年で、創建当時に比べると縮小されたものの、木造建築物としては世界最大の規模を誇る。
 
2-7-2   法隆寺  既出1-11-3
文化遺産 奈良県 1993年登録 登録基準①②④⑥
◇ 秘宝・2つの聖徳太子像
奈良市の南西にある斑鳩(いかるが)の里は、聖徳太子(574~622年)ゆかりの地であり、6世紀ころに大陸から渡来した仏教文化が花開いた場所でもある。ここには法隆寺、法起寺など7~8世紀に建立された木造建築物が集中して残っているが、特に法隆寺には、世界最古の木造建築物のほか、飛鳥時代の様式を今に伝える伽藍建築で構成される。法隆寺の起源は、607年に聖徳太子と推古天皇によって創建された「斑鳩寺」だが、670年に焼失し、8世紀初頭に再建されたのが現在の法隆寺。境内は金堂、五重塔、大講堂のある西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に2分される。秘宝聖徳太子像の一つは夢殿にある太子を写したとされる救世観音像と、聖霊院にある聖徳太子像。救世観音像は、明治時代までは拝めなかったが、フェノロサと岡倉天心の努力によりその姿を現した。
  
2-7-3   広島・原爆ドーム  既出1-12-2
文化遺産 広島県 1996年登録 登録基準⑥
◇ 一瞬の破壊による負の遺産
1945年8月6日早朝、アメリカ軍の爆撃機B29(エノラ・ゲイ)から投下された人類初の原子爆弾が広島市の上空で爆発。熱線と衝撃波、爆風と放射能によって市街はわずか1秒で焦土と化し、同年12月までに14万人が被爆死した。その象徴が原爆ドーム。この建物は、もともと1914年、チェコの建築家により設計された3階建てレンガ造りの広島県の物産陳列館だった。中央に銅製ドームを持ったモダンな建造物は、周囲の美しい庭園とともに市民に愛されてきた。しかし、爆心地の北西160mという至近距離で被爆したため、爆風と熱線により建物の屋根や床はすべて崩れ落ち、ドーム部分の鉄骨がむき出しになった無残な姿になってしまったもの。ドームの建つ3900㎡の爆心地域と平和記念公園、周辺の河川地域約42万㎡が登録範囲。

2-7-4   慶州歴史地区
文化遺産 韓国 2000年登録 登録基準②③
● 新羅の史跡が多数残る
韓国南東部にある慶州は、紀元935年まで、およそ1000年間栄えた新羅の都。朝鮮半島では、4世紀に、新羅のほか高句麗、百済の3国が鼎立していたが、676年に唐と手を組んだ新羅によって統一された。新羅が高麗によって滅ぼされるまで、慶州は繁栄をつづけた。新羅では、仏教は国をまとめる精神的な支柱として、王族から庶民まで篤く信仰された。慶州には石積みの古墳群や石造仏塔、古寺名刹が残る。
 
2-7-5   石窟庵と仏国寺
文化遺産 韓国 1995年登録 登録基準①④
● 新羅仏教建築を代表する至宝
韓国南東部の慶州山中にある石窟庵と仏国寺は、新羅が残した仏教芸術であるとともに極東の仏教芸術を代表する傑作。これらを建立したのは、統一新羅中期の宰相金大城で、751年に金は前世の父母のために石窟庵を、現世の父母のために仏国寺を建てたという。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で木造建築物はほとんど焼失したが、建立当時の石造部分は残り、新羅の技術の高さを物語る。今日の姿になったのは、1973年の大改修によるもの。

2-7-6   万里の長城  既出1-6-5
文化遺産 中国 1987年登録 登録基準①②③④⑥
◇ 人類が生んだ総長5万kmもの建造物
地球の円周は4万kmだから、万里の長城の総長はそれを上回る。東は渤海湾に臨む山海関から、西は敦煌に近い嘉峪関まで、険しい山脈や大河、渓谷を越えて築かれた世界最長・最大の城壁。中国では紀元前700~前403年の春秋時代から、北方の異民族の侵入に備え、防御壁が作られ、中国を統一した秦の始皇帝(在位前221~210)が、匈奴に対する防御のために完成させた長城が、現在の万里の長城の原型。現存する長城のほとんどは明時代(1368~1644年)に築かれ、主要部だけでも3000kmあるが、5万kmというのは、秦・漢時代などそれ以前の部分を含めた総長。城壁の高さは平均7.8m、頂部の幅は約4.5m。山海関から司馬大台へ、黄河を渡り、黄土高原を越え、最果ての嘉峪関までを追う。開放されている北京に近い八達嶺と居庸関が日本人によく知られている。

2-7-7   黄山
複合遺産 中国 1990年登録 登録基準②⑦⑩
● 山水のような雲海に包まれる山々
中国南東部にある黄山は、標高1800m級の69の峰、2つの湖、24の渓谷が点在する総面積1200㎢もの景勝地。光と雲が織りなす仙人が住むかのような世界は、古くから文人や画家を魅了し、中国文化そのものに大きな影響を与えてきた。この景色は1年で200日以上も霧や雲海に覆われる気象条件のたまもの。この一帯では、1650種を越える植物、コウノトリなどの希少種の生息が確認されている。

2-7-8   マカオ歴史地区  既出1-6-11
文化遺産 中国 2005年登録 登録基準②③④⑥
◇ 生きている大航海時代
中国南東部にある港町マカオに、ポルトガル人が正式に居住するようになったのは1557年のこと。旧市街には今もポルトガル時代の歴史的建物が残る。西洋風の街並みの間に関帝廟があるように、ポルトガルと中国人の血を引く1万人の人(マカイエンサ)が暮らす、東洋と西洋が出会う町でもある。マカオのシンボル聖ポール天主堂跡は、19世紀の火事で正面の壁だけが焼け残った。

2-7-9   フィリピンのバロック様式教会
文化遺産 フィリピン 1993年登録 登録基準②④
● 地震や台風、戦争に耐え抜いた堅牢な聖堂群
1571年、スペインはルソン島とその周辺を占拠、フィリピンを植民地化した。統治のための役所や総督の館などを建設するとともに、カトリックの宣教師を多数送り込み、各地に聖堂を築いた。現存する最古のものは、1606年に完成したマニラにあるサン・アウグスティン聖堂は、地震対策として天井を低くする工夫がほどこされている。バオアイにあるサン・アウグスティン聖堂は、300年の間に2度の大地震に見舞われたが、厚さ2.5mの補強壁により無事だった。これらの教会を含む4つの聖堂が登録されている。 

2-7-10 カトマンズ盆地  既出1-6-15
文化遺産 ネパール 1979年登録 登録基準③④⑥
◇ 神々が生きる古都
ネパール中央部にあるカトマンズを中心にラリトプル、バクタプルのある古都で、13世紀以来、美しい彫刻のある王宮や寺院が建立され、ヒンドゥー教と仏教をともに信仰する町として繁栄し、15~18世紀にはネパール文化が花開いた。しかし、急激な都市化によって伝統的建造物が老朽化して放置されたため、2003年に危機遺産となったが、保存状況の改善計画が提出され、2007年に危機遺産リストから脱出した。


今回の「参火会後半」は、谷内秀夫氏が進行役になり、今回初めて参加された渡辺智哉氏(文新1987年卒。卒業後日本経済新聞社に入り、多くの部署を経て、現在メディアビジネス・クロスメデイアウニット 紙面編成部担当次長)に自己紹介してもらいました。経歴につきましては、上記「参火会のメンバー紹介」をご覧ください。その後、メンバーの反畑誠一氏と草ヶ谷陽司に近況報告をしていただきました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」2月例会 参加者
 (50音順・敬称略)



  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 深澤雅子   文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 渡辺智哉  文新1987年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2020年1月22日水曜日

第62回「参火会」1月例会 (通算426回) 2020年1月21日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第22回目 「世界遺産 第2シリーズ」 ⑥ ヨーロッパⅢ─2

2019年4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-6-11~20」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第6巻目の映像約100分のうちの後半約50分を視聴しました。




2-6-11  ヒルデスハイムの大聖堂
文化遺産 ドイツ 1985年登録2008年範囲変更 登録基準①②③
● 異才の司教が残したふたつの教会
ドイツ北部にあるヒルデスハイムは、ルートヴィヒ敬虔王によって815年に司教座がおかれた町。10世紀末に司教となったベルンヴァルトは、ドイツ初期ロマネスク建築を代表するふたつの聖堂を建てた。ひとつは、ザンクト・マリア大聖堂で、大聖堂建立の縁起となった「1000年のバラの木」がある。伝説によれば、ルートヴィヒ敬虔王が、聖母マリアの毛髪を納めた聖遺物入れを見失ってしまったが、それを1本のバラの根元に発見した。これに感謝した王がバラの木の生えている土地に聖堂を築き、司教座にしたことからヒルデスハイムは発展したという。第2次世界大戦の爆撃で大聖堂とバラの木は瓦礫にうずまったが、バラは廃墟の下から芽を出し、花を咲かせ、人々に希望を与えた。今も中庭にバラが生い茂っている。司教ベルンヴァルトゆかりのもうひとつの聖堂は、ザンクト・ミヒャエル大聖堂。大天使ミカエルに捧げられた聖堂で、1033年に完成したが、ふたつの大聖堂はともに1945年の爆撃で破壊されたが、1960年代に美しいシンメトリーにより修復再建されている。

2-6-12  シュパイヤー大聖堂
文化遺産 ドイツ 1981年登録 登録基準②
● 皇帝の宗教的権威を誇示した大聖堂
ドイツ南西部ライン川沿いに位置するシュパイヤーは、紀元前1世紀ころからこの地方の中心都市だった。紀元614年には司教座がおかれ、10~11世紀に交易都市として繁栄した。シュパイヤー大聖堂は、1030年に神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世の命により4本の塔を持つ建設が開始されたドイツ・ロマネスク様式の先駆けとなった建築物で、ハインリヒ4世が26年かけて改築し1106年に完成した。全長133mは、ロマネスク建築としては世界最大。火災や戦災により何度も破壊されたがその都度再建。1960年代には、創建900年を記念した大修復が行われ、12世紀の姿が忠実に再現された。

2-6-13   バンベルクの旧市街
文化遺産 ドイツ 1993年登録 登録基準②④
● 「バイエルンの真珠」と称されるバロック建築の町
バンベルクは、ドイツ南部のバイエルン州にあ。1007年、神聖ローマ帝国ハインリヒ2世は司教座をこの地に定め、居城と大聖堂を造営した。1012年に創建、1237年に再建された大聖堂は、ロマネスクからゴシックへの様式過渡期を表し、中世彫刻の「バンベルクの騎士像」や「皇帝夫妻の石棺」が残されている。大聖堂前広場には、16世紀建造の司教旧宮殿、18世紀の新宮殿が並んでいる。下町に当たる「小ベネチア地区」には古い漁師の家並みが残り、ゴシックとロココ両様式を持つ旧市庁舎などを見ることもできる。下町には、9つのビール醸造所があり、独特の風味のあるラウフビールは燻製ビールともいわれ、麦芽をいぶして造られた。300年変わらぬ秘伝のビールは、山の手の修道院が発祥で、修道士たちは自分で醸造したビールを楽しんでいたようだ。この町では、モーニングコーヒーでなく、モーニングビールが主流だという。

2-6-14  古典主義の都ワイマール
文化遺産 ドイツ 1998年登録 登録基準③⑥
● ゲーテら文化人が集まった古典主義の町
ドイツ中西部にあワイマールは、イルム川に沿うチューリンゲン盆地中央に位置し、宗教改革のルター、画家クラーナハ、音楽家バッハらが足跡を残した町として知られる。ワイマール公アウグストが1775年に文学者ゲーテを招へいして以来、劇作家・詩人でもあるシラー、思想家ヘルダーらが集い、ヨーロッパ中に名を馳せるドイツ古典主義文化の聖地となった。ゲーテはワイマールの邸宅「ゲーテの家」に33歳から死去するまでの50年間住んだ。晩年のゲーテが、シラーとともに宮廷劇場の運営に力を注いだ姿を、秘書エッカーマンが敬意をこめて紹介する。なお、ワイマールは、1919年に、20世紀民主主義憲法の典型(国民主権、男女平等の普通選挙、議会制民主主義体制など)といわれる「ワイマール憲法(ドイツ共和国憲法)」が制定され、のちの民主主義諸国に強い影響を与えている。

2-6-15  ベルン旧市街  既出1-2-3
文化遺産 スイス 1983年登録 登録基準③
◇ 森の中にできた石造の町
12世紀、領主が狩りで最初に射止めたクマ(ドイツ語でベアレン)に因んで名付けられたベルン村は、1353年にスイス同盟に参加し、1848年からスイスの首都となった。1405年に大火で木造家屋が全焼したため、旧市街は、石造で再建された。その象徴がザンクト・ヴィンツェンツ大聖堂で、1421年に着工、たび重なる中断や破壊などを経て19世紀末に完成した。大通りに建つ時計塔は、巨大な歯車を組み合わせた精巧な仕組みで市民に時を告げる。毎正時には、カリヨン(組鐘)の音にあわせてオンドリ、コグマ、道化師などのからくり人形たちが踊りだすので、町の顔として愛されている。20世紀初め、物理学者のアインシュタインは、この町の時計台が見える家に住み、「時間は変化し、光だけが不変」とする相対性理論の論文を執筆したことで、この家は「アインシュタイン・ハウス」として残されている。

2-6-16  ザンクト・ガレン修道院
文化遺産 スイス 1984年登録 登録基準②④
● ヨーロッパに名をはせた知の殿堂
スイス北東部、ボーデン湖の南にあるザンクト・ガレン修道院は、720年ころに創建され、747年にベネディクト会の修道院となってからは、学問と労働を重んじる教えにより大きく発展し、9~10世紀にはヨーロッパの学術の中心地になっていった。また、自給自足の中で培われた繊維や織物の技術は町に還元され地場産業となり、町自体が大きく発展するとその中心となった修道院の名からザンクト・ガレン地方と呼ばれるようになっていった。その後の修道院は、火災や宗教改革の騒乱などを経て、1776年にバロック様式で再建され、同時期にロココ様式の付属図書館も完成した。1805年に修道院は解散したものの、聖堂は司教座大聖堂として、街のシンボルとなっている。付属図書館には、1000年以上にわたって収集された10万冊以上の蔵書があり、その中の8~12世紀の2000冊もの写本は、中世キリスト教世界に大きな影響を与えた貴重なもの。また、図書館の大広間は、当時の一流職人による寄せ木細工や柱など、スイス・ロココ様式の最高傑作といわれている。

2-6-17  キンデルダイクの風車群
文化遺産 オランダ 1997年登録 登録基準①②④
● 国土を守り人々の生活をささえた風車群
国土の1/4が海抜0m以下で、低地を意味する「ネーデルランド」を正式国名とするオランダ。風車は風の力で水車を回し、低地の水をくみ上げてライン川支流へと排水することで、湿地帯を緑豊かな土地に変えてきた。風車は、17世紀以降広く普及し、19世紀中ごろの最盛期には1万基が設置されたという。近代化が進み、風車も減少しているが、キンデルダイクには、19基も現役の風車が残り、17基には風車守が住んで、今も保存に努めている。

2-6-18 イェリングの墳墓と石碑と聖堂
文化遺産 デンマーク 1994年登録 登録基準③
● デンマーク最初の王の遺産
デンマーク中部ユトランド半島にあるイェリングの墳墓と石碑と聖堂は、10世紀に統一王朝ができたデンマークへのキリスト教伝播を物語る重要な資料。勇猛な異教徒の略奪者と恐れられたバイキングを統合した初代ゴーム王。デンマークをキリスト教国に変え、この地に最初の聖堂を建てたゴーム王の子である第2代ハーラル国王。この二人の王により、バイキングの時代は終わりを告げた。南北に築かれた墳墓は、発掘調査の結果、北はゴーム王夫妻が埋葬されたもので、南はハーラル王の記念塚と解された。

2-6-19 クロンボー城  既出1-4-7
文化遺産 デンマーク 2000年登録 登録基準④
◇ ハムレットの城として有名
シェイクスピアの「ハムレット」は、デンマークに伝わる王子の物語を基に作られた。その舞台がこのクロンボー城。デンマークの東部シェラン島の港町シルシンゲアの岬の先端に建っているが、もとは北欧3国を結合したエーリケ王が築いたエーアソン海峡を通る船舶から通行税を徴収するための施設だった。1日90隻以上の船が海峡を通過し、船が支払う税金は、国家予算の1/3にも達したという。のちに城塞化し、1585年にフレデリク2世がフランドルから建築家を招いてクロンボー城として完成させた。1629年に火災に遭ったが、ただちに修復再現され、北欧ルネサンス様式の現在の姿になった。城は中庭を囲みほぼ正方形で、王や王妃の居室、礼拝堂などがある。地下の一隅には国を守る伝説の英雄ホルガー・ダンスクの像がおかれている。現在、城の一部は海事博物館となっている。

2-6-20 サンクトペテルブルク歴史地区  既出1-4-7
文化遺産 ロシア 1990年登録 登録基準①②④⑥
◇ 西欧文化を採り入れたロシアの水の都
帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクは、80以上の水路と400以上の橋を持ち「北のベネチア」と称されるまさに水の都。ロマノフ王朝のピョートル大帝は、荒涼とした沼地にヨーロッパに敗けない新しい都を1712年に建設し、1721年には南西35km郊外にベルサイユ宮殿を範した水を操る宮殿(ピョートル宮殿)を建て、その庭に大小150もの噴水を配した。人気の「エルミタージュ美術館」(冬宮)は、女帝エカテリーナ2世が収集したヨーロッパ絵画。この映像では、主に「ピョートル宮殿」を紹介する。


今回の「参火会後半」は、谷内秀夫氏が進行役になり、今年の10月に酒井義夫の会長退任後の「参火会」をどうするかの話し合いを始めたところ、山本明夫氏が引きつぐ意志を表明してくれました。大半の人が賛成したことで、11月以降どういう会にしていくかについては、まだ時間があるので、じっくり検討していくことになりました。
いっぽう、酒井義夫が所有している『TBS世界遺産』の100回分(2017年9月24日~2020年1月12日)の映像内容が配布されました。10月までの会の映像視聴後、順番に近況報告をしてもらう際、1~2分で終えたい方がおられた時は、100回分のうちの「お勧め映像」を視聴してもらうこととしました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」1月例会 参加者
 (50音順・敬称略)



  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 深澤雅子   文独1977年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年12月18日水曜日

第61回「参火会」12月例会 (通算425回) 2019年12月17日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第21回目 「世界遺産 第2シリーズ」 ⑥ ヨーロッパⅢ─1

2019年4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-6-1~10」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第6巻目の映像約90分のうちの前半 (2-6-1~10) 約45分を視聴しました。




2-6-1   ナポリ歴史地区 既出1-3-4
文化遺産 イタリア 1995年登録 登録基準②④ 
◇ 大国支配の歴史を物語る街並み
東にベスビオ山、南にナポリ湾を擁する風光明媚な観光都市ナポリだが、その歴史は外国勢力侵略の歴史でもあった。町の起源はBC5世紀にギリシャ植民都市として建設された。その後さまざまな国の支配下で独自の文化を発展させた。トマトがもたらされたのはスペイン支配時代。イタリア統一後、ナポリを初めて訪れた国王夫妻を歓待するためトマト・バジル・モッツァレラチーズで国旗の色を表現したピッツァが作られた。皇后と同名のナポリ名物「ピッツァ・マルゲリータ」だ。

2-6-2 ポルトヴェーネレとチンクエ・テッレ
文化遺産 イタリア 1997年登録 登録基準②④⑤ 
● 人間の手によってできた自然の景観
イタリア北部リビエラにあるポルトヴェーネレは、荒々しい断崖と険しい山にはさまれた城塞の町で、もともと町全体かジェノバの築いた出城だった。この町の北西10~30kmにあるチンクエ・テッレ(「5つの土地」の意)は5つの村からなっている。これら一帯は、ブドウ造りと漁業が主産業で、おいしいワインと肉厚のムール貝が観光客に大人気。村と村の行き来は、20世紀までは船だけが頼りだったという。

2-6-3 パリのセーヌ河岸 既出1-2-4
文化遺産 フランス 1991年登録 登録基準①②④
◇ 歴史とともに歩む芸術の都
世界の大都市でもパリほど、過去から現在まで、政治・経済・産業・文化・科学・芸術など、あらゆる分野の活動が一極集中している例は、他には見当たらない。見どころも多く、その景観を守るため、正面から見たときの人間の視野を遮るものの建設を禁止する「フュゾー規制」が定められている。

2-6-4 アルク・エ・スナン王立製塩所
文化遺産 フランス 1982年登録2009年範囲拡大 登録基準①②④ 
● 夢に終わった計画都市
フランス東部ブランソン近くにあるアルク・エ・スナン王立製塩所は、ルイ16世治世下の1775年に、クロード・ニコラ・ルドウにより設計・建設が始まった。この製塩所関連施設の周囲に病院、聖堂などを円形に配置することで労働組織の効率化をめざした。フランス革命により、ルドウの夢は半円形の状態で終わったものの、機能と美を追求し理想の都市を作るという壮大な実験は、次世代の工業都市の規範となった。2009年には、フランスの塩生産の歴史を示すもののとして、サラン・レバン製塩所が登録資産に含まれた。

2-6-5   オランジュのローマ劇場と凱旋門
文化遺産 フランス 1981年登録2007年範囲変更 登録基準③⑥
● ローマ帝国の栄光を今に伝える劇場と凱旋門
フランス南部プロバンス地方にあるオランジュは、ローマ時代以前から栄えていたケルト人の町で、BC1世紀にローマ植民地となり、今も古代ローマ遺跡がほぼ完全な状態で残っていることで知られている。とくに劇場は、ローマ遺跡の中でも最大規模で37段、1万人を収容した。舞台の幅は103m、背後の装飾壁は36mの高さがあり、その中央に3.5mもあるアウグストゥス帝の大理石像が観客席を威圧する。この劇場で毎年6~8月に野外音楽祭が開催され、多くの観光客が訪れる。「凱旋門」と呼ばれている門は、町の建設記念門。

2-6-6 リヨンの歴史地区 既出1-2-9
文化遺産 フランス 1998年登録 登録基準②④
◇ 2000年の歴史をもつ商業と文化の要衝
リヨンは、ソーヌ川とローヌ川の合流点に位置し、町の起源はBC1世紀のローマ時代にさかのぼる。当時から交通の要衝で、商業都市、行政都市として栄えた。しかし、2世紀ころローマ皇帝に敵対したアルビヌスに味方したためローマ軍から攻撃され衰退していった。13世紀に絹織物業が少しずつ栄えはじめ、16世紀に出版業の中心地になり、18~19世紀にはナポレオンの保護もあってヨーロッパ最大の絹織物産地に成長した。町の北にある「絹の丘」には絹織物工房が何千と集まり、屋根のある通路「トラブール」で町の中心に運ばれる絹織物は、全世界へ輸出された。

2-6-7 ポン・デュ・ガール
文化遺産 フランス 1985年登録2007年範囲変更 登録基準①③④
● 高度な建築技術を今に伝える古代ローマの水道橋
フランス南部ニーロ近郊のガール川に架かるポン・デュ・ガール(「ガール川を渡る橋」の意)は、BC19年頃に、古代ローマの政治家アグリッパが水を供給させるためわずか5年で建造された全長50kmもの水路のうちの一部(長さ275m、高さ49m)で、3段のアーチで構成された幾何学的な美しさを誇り、完成から2000年も経った今も、ほぼ完全な姿をとどめている。

2-6-8 海事都市グリニッジ
文化遺産 イギリス 1997年登録 登録基準①②④⑥ 
● 海洋王国イギリスの表玄関
「緑の村」を意味するグリニッジは、ロンドン東部テムズ川沿いに位置し、ここにある旧王立天文台は、1675年、チャールズ2世の命で建設された。1884年、国際子午線会議で、この天文台を通る経線を経度0の地点とし、ここを太陽が通過する時刻を正午とする国際標準時(グリニッチ標準時)が定められた。大英帝国が7つの海に乗り出し、世界各地を支配した時代だが、その成功の裏には、船の位置を正確に割り出すため、経度と緯度を測定するグリニッジ天文台の天体観測技術と大工のハリソンが発明した時計の存在があった。

2-6-9 ウエストミンスター宮殿と修道院 既出1-1-9 
文化遺産 イギリス 1987年登録2008年範囲変更 登録基準①②④
◇ イギリス王室の歴史を刻む壮大な建築物群
「話し合いで問題を解決する」という議会制民主主義誕生の舞台となったのが、ロンドンの中心部にあるウエストミンスター宮殿と修道院。修道院内のチャプターハウスは、貴族と国王が税の軽減をめぐって話し合った議会政治の原点。宮殿は国会議事堂となり、今も議会政治開催の場。2008年には、由緒あるセント・マーガレット聖堂が加わった。

2-6-10  修道院の島ライヒェナウ 
文化遺産 ドイツ 2000年登録 登録基準③④⑥
● 中世に栄えた信仰の島
「幸せな島」を意味するライヒェナウ島は、スイスとの国境にあるボーデン湖に浮かぶ最大の島で、19世紀にナポレオンによって閉鎖されるまでの約1000年間は、25の宗教施設が建てられた修道院の島だった。中世の初めには、中央ヨーロッパ美術の中心で、島の南東部にある888年建造のザンクト・ゲオルグ聖堂には、ロマネスク以前オットー期の壮麗な壁画で知られる。中央部には816年建造の宝物庫を備えたザンクト・マリア・マルクス大聖堂があり、北西部には12世紀に建造されたザンクト・ペトロ・パウロ聖堂にあるフレスコ画は、ドイツ初期ロマネスク美術の遺例として希少価値が高い。


なお、「参火会」会員にはすでにお知らせいたしましたが、前回11月19日の「参火会」において、会長の酒井義夫が、2020年10月20日を最後に、「参火会会長」を辞任したいことを表明し、了承されたことをお知らせいたします。
辞任理由は、この数か月のハードな毎日が要因で体調を崩したことと、3か月ほど前に生涯を通してやり遂げねばならないプロジェクトを立ち上げたためです。酒井は、2014年5月から「参火会会長」を仰せつかりました。その後5年半、32回にわたる「昭和史を考える集い」、20回にわたる「世界遺産を考える集い」など、11月例会で60回目となった「参火会」を一度も休むことなく開催させていただきました。またその間、これまでの「壱火会」が任意団体だったのを、「ソフィア会」の正式団体に登録させてもらうなど、私なりに努力を重ねたことで、亡鴇沢武彦氏や竹内光氏が創設された「壱火会」という貴重な会を通算424回という長期にわたり継続させることができました。いきさつ上、「参火会」前半にDVD視聴を行っている「世界遺産第2シリーズ」が終了する2020年10月までは、責任を持って会長職を続ける覚悟です。

今回の「参火会後半」は、副会長の谷内秀夫氏が進行役になって、今後の会をどのように進行するかの話し合いをいたしました。毎回2~3名が近況報告することを基本とすること。また、たまたま12月15日の午後6時から放送された『TBS世界遺産』の映像を投射したところ、今年世界遺産に登録された仁徳天皇陵を中心とした「百舌鳥・古市古墳群」であり、11月の参火会で話し合われたばかりのテーマだっただけに、全員の注目が集まりました。もっと見たいという声もあがったことで、酒井が所有している最近2年間に放送された『TBS世界遺産』の96回分の映像内容を次回、全員に配布することになりました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」12月例会 参加者
 (50音順・敬称略)



  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2019年11月20日水曜日

第60回「参火会」11月例会 (通算424回) 2019年11月19日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第20回目 「世界遺産 第2シリーズ」⑤ アフリカ・南北アメリカ Ⅰ-2

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-5-1~20」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第5巻目の映像約90分のうちの後半 (2-5-11~20) 約45分を視聴しました。




2-5-11 イエローストーン国立公園
自然遺産 アメリカ 1978年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● マグマが織りなす世界初の国立公園
ロッキー山脈中央部の溶岩台地に位置し、総面積8900㎢(四国の約半分)にも及ぶ。この広大な自然公園のみどころのひとつは、園内のいたるところに見られる熱水現象。平均65分の周期で約4万リットルの温泉を45mも吹き上げるオールドフェイスフルをはじめデイジー、リバーサイドなど多くの間欠泉、水蒸気を噴き出す噴気孔、温泉に含まれる石灰分が固まってできたマンモス・スプリングスなど、園内の熱水現象は1万か所もあるという。ほかに滝、渓谷、大草原、川が蛇行する平原といった景観美、そこにバファロー(アメリカバイソン)、グリズリー(灰色熊)、ムース(ヘラ鹿)、エルク(赤鹿)などの大型野生動物が間近で見られなど、見所はつきない。20世紀末、オオカミの絶滅や生態系の激変、イエローストーン川上流に採鉱計画とかが指摘され、1995年に危機遺産に登録されたが、オオカミのカナダからの移植、採鉱計画の中止などの措置がとられ、2003年に危機遺産リストから除外された。ここも、世界で初の世界遺産となった12か所のひとつ。

2-5-12 カナディアン・ロッキー山脈 既出1-9-1
自然遺産 カナダ 1984年登録1990年範囲拡大 登録基準⑦⑧
◇ ロッキー山脈は北アメリカ大陸を北西から南東にかけて険しい山々が連なる世界的な大山脈のうち、北部カナダ国内に伸びる南北約1500km、幅80kmがカナディアン・ロッキー山脈。1883年に国家的事業として推進された鉄道建設がバンフまで延長され、87年にカナダ初のバンフ国立公園が誕生すると、ルイーズ湖を前景に広がる景色は世界一と称賛されるようになっていった。以後この一帯は、20世紀前半までに次々と整備され、バンフ・ジャスパー・ヨーホー・クートネーの4つ国立公園のほかに3つの州立公園が生まれ、1984年の世界遺産登録と1990年の範囲拡大により、その総面積は2万4000㎢にもおよぶ。今では、年間1千万人以上が訪れるカナダ第1の観光地となっている。いっぽう、氷河に覆われたカナディアン・ロッキーの地層からは、5億3000万年前の生物の多数の化石が発見され、それを組み合わせるとこれまで知られていなかった奇妙な生物があらわれたことで、地球上の進化の痕跡が秘められているという。

2-5-13 シアン・カアン
自然遺産 メキシコ 1987年登録 登録基準⑦⑩
● 神の住む場所としてあがめられた神秘の場所
「シアン・カアン」は、メキシコの南東部、ベリーズとの国境に近いカリブ海沿岸に広がる約5800㎢(千葉県ほど)の自然保護区。湿地、世界2位のサンゴ礁、マングローブ林など17の植生域が存在する。マヤ文化が栄えた地のひとつで、ここには川がなく、マヤ人が神の住家と考えていた場所セノーテ(石灰岩質の台地が陥落した泉・井戸)がいたるところにあり、貴重な水源になっている。セノーテの奥底には無数の鍾乳洞が続き、カリブ海へとつながっている。

2-5-14 ココ島国立公園
自然遺産 コスタリカ 1997年登録/2002年範囲拡大 登録基準⑨⑩
● サメの島と呼ばれる絶海の聖地
コスタリカ本土から約550km東太平洋上に浮かぶこの島は、スチーブンソンの小説『宝島』の舞台にもなった周囲20kmあまりの無人島。年間7000mmの雨が育む深い熱帯雨林に覆われる。最高地点は850mで、海面から崖がそそり立ち、島の名の由来にもなったココナツをはじめ230種の植物80種類の鳥、360種の昆虫が生息する。周囲から隔絶されているため固有種も多い。周辺海域にはマグロやギンガメアジ、スマガツオなどの回遊魚が集まっているため、それらの獲物をねらってシュモクザメやジンベイザメなど多数のサメの世界的生息地となっている。ココ島と周辺の海域を含め約1000㎢が国立公園に指定されている。

2-5-15 ガラパゴス諸島 既出1-10-9
自然遺産 エクアドル 1978年登録/2001年範囲拡大 登録基準⑦⑧⑨⑩
◇ エクアドル本土から西へ約1000km離れた太平洋洋上に浮かぶガラパゴス諸島は、東西300km、南北200kmの海域には、500~100万年前にできた大小約30の島と岩礁からなる。流木や鳥などが運んできた動植物は、隔絶された環境の中で独自の進化をとげ、島ごとに異なる生態系を形成してきた。ダーウィンに「進化論」を構想する契機を与えた島々として知られる。ここも、世界で初の世界遺産となった12か所のひとつ。

2-5-16 カナイマ国立公園
自然遺産 ベネズエラ 1994年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● 巨大な台地がそびえたつ地球最後の秘境
カナイマ国立公園は、ベネズエラ南東部とブラジルの国境沿いに広がる面積120万㎢のギアナ高地の中心部にあり、中国地方全域に匹敵する約3万㎢の国立公園。風雨によって削られた約20億年前の地層が、標高2000~2800mもの平らな台地となって、標高約1000mの断崖で縁どられている。この台地は「テーブルマウンテン(卓上台地)」といわれ、100以上もあるテーブルマウンテンのなかでも、標高2560mのアウヤン・テプイ(先住民の言葉で「悪魔の山」)からは、落差979mもの世界最長の滝エンジェルフォールが落下する。しかし、滝の水は途中で霧となって飛散してしまうため滝壺がない。こんな岩だらけの世界に生物は独自の進化を遂げ、原始的なカエルをはじめ、多くの固有種が特異な生態系を形作っている。発見された生物の80%近くは固有種で、異種が多い鳥類や昆虫類は、今だに全容解明に至っていない。まさに、人類がいまだ足を踏み入れたことのない数多く残され「地球最後の秘境(ロストワールド)」といえそうだ。

2-5-17 バルデス半島
自然遺産 アルゼンチン 1999年登録 登録基準⑩
● 大西洋に突き出した海生哺乳類、鳥類の楽園
アルゼンチン南部にあるバルデス半島は、南太平洋に斧のように100㎞ほど突き出した面積3600㎢のアルゼンチン最大の半島で、海岸には長さ400㎞もの断崖絶壁が続く。斧の握り手にあたる北のサンホセ湾と南のヌエボ湾は穏やかな内湾のため多く海生動物の楽園となっている。晩秋から初冬にかけては、南極海から3000頭ものミナミセミクジラが集まる世界最大の繁殖地。8月から11月上旬にはミナミゾウアザラシやオタリア(ミナミアシカ)などが集まるが、脅威となるのは海のハンター・シャチで、この季節はむきだしの生存競争が日々繰り広げられる。陸地には30種類以上哺乳類、180種類以上の鳥類が生息する。

2-5-18 ロス・グラシアレス 既出1-10-6
自然遺産 アルゼンチン 1981年登録 登録基準⑦⑧
◇ 「ロス・グラシアレス」とは、スペイン語で氷河を意味し、南米大陸最南端のパタゴニア南部に南極大陸、グリーンランドに次ぐ世界第3の氷河地帯が広がっている。氷河の氷は気泡が少なく透明度が高いため青い色をしている。氷河は2万年もの時間をかけ数百mにおよぶ氷の壁をつくる。運が良ければ大きく崩れ落ちて氷山となるドラマチックな瞬間を目にすることができる。

2-5-19 イグアス国立公園 既出1-10-4・5
自然遺産 アルゼンチン/ブラジル 1984年アルゼンチン/1986年ブラジル登録 登録基準⑦⑩
◇ アルゼンチンとブラジルの国境を流れるパラナ川の支流イグアス川の大瀑布が「イグアスの滝」。単独の滝ではなく、大小270以上の滝が連なり、最高80mの断崖を落下する水量は毎秒平均1750㎡、馬蹄型をなす滝壺の幅は2700mにも及ぶ「世界一の滝」。伝説を生んだ「月の光が作り出す虹」の初撮影に成功した瞬間を、高感度ハイビジョンカメラが追う。

2-5-20 セラード自然保護地域 (ベアデイロス平原国立公園とエマス国立公園)
自然遺産 ブラジル 2001年登録 登録基準⑨⑩
● 乾いた草原が生み出した不思議な生態系
「セラード」とはブラジル中央部の「ブラジル高原」に広がる熱帯性草原(サバンナ)のことで、北部のベアデイロス平原の面積は655㎢、最高点1678mの高地にある。エマス国立公園は南西部にあって、面積は1318㎢、地面から突き出たシロアリの塚が無数に続く。アリ塚は夜になると光を放ちはじめる。ヒカリコメツキムシの幼虫が餌になる羽アリをとるために青い光を放つためで、幻想的な光の裏で小さな命の駆け引きのドラマが展開する。この国立公園は絶滅危惧種のオオアリクイの餌場となっている地域でもある。セラード自然保護地域には、300種以上の鳥類、6万種以上の昆虫、1万種もの植物が見られ、ほとんどが固有種。


会の後半は、メンバーの酒井義夫が最近、京都・奈良・大阪(堺市)をめぐる旅をしてきたポイントをお話しいたしました。まず、① 世界遺産「古都京都の文化財」を構成する17か所のうち、賀茂別雷神社(かもわけいかづち=上賀茂神社)と賀茂御祖神社(かもみおや=下鴨神社)を訪ね、17か所をすべて制覇したこと。次に、② 世界遺産「古都奈良の文化財」を構成する8か所のうち、春日大社、春日山原始林、元興寺(がんごうじ)を訪ね、8か所をすべて制覇したこと。そして、今年の6月、世界遺産に登録さればかりの「百舌鳥(もず)・古市古墳群」のうち、世界でも類のない鍵穴形(前方後円墳)で、全長486mという最大の仁徳天皇陵古墳を訪ねた話をしました。大阪ではじめての世界遺産ということで、地元は大いに盛り上がりをみせていました。また、「百舌鳥・古市古墳群」が、古墳時代の最盛期(4世紀後半から5世紀後半)にかけて築造された45か所が構成資産とされ、日本の中心が3世紀から4世紀までの大和(奈良)から、4世紀後半から約100年間は、大陸にむかう航路の出発点であった大阪平野に移っていったことへの誇りに満ちているようでした。宮内庁の管轄下の資産が大半だったため、その詳細は謎が多いものでしたが、世界遺産になったことで多くの専門家による内部調査を拒否できず、古代史の解明が一気に進みそうな期待で、会も大いに盛り上がりました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」11月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年10月16日水曜日

第59回「参火会」10月例会 (通算423回) 2019年10月15日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第19回目 「世界遺産 第2シリーズ」⑤ アフリカ・南北アメリカ Ⅰ-1

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-5-1~20」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第5巻目の映像約90分のうちの前半 (2-5-1~10) 約45分を視聴しました。





2-5-1   大ピラミッド群 (メンフィスのピラミッド地帯) 既出1-7-2
文化遺産 エジプト 1979年登録 登録基準①③⑥
◇ 世界最長のナイル川流域は穀倉地帯に、絶対的な王(ファラオ)を中心とした古代国家が誕生した。紀元前3000年頃に成立したエジプト第1王朝で、その繁栄の象徴が紀元前2550年頃につくられた第4王朝クフ王の大ピラミッド。およそ2.5tの石を300万個を積み上げ、高さは40階建ビルに相当する巨大な建造物だ。カフラー王、メンカウラー王のピラミッドとあわせ、「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれる。

2-5-2 ティムガッド(の考古遺跡)
文化遺産 アルジェリア 1982年登録 登録基準②③④
● トラヤヌス帝治世下に建設された植民都市遺跡
アルジェリアの北東部の高原にあるティムガッドは、ローマの最盛期に存在した五賢帝の一人トラヤヌス帝が、100年ごろに退役軍人の入植地として築いた典型的なローマの植民都市。デクマヌス通りとカルド通りという2本の大通りが交差する約350m四方の正方形の町で、約20m四方の街区に区画されていた。上下水道システムは現代にも負けない完備と規模を誇り、3500人も収容できる円形劇場や公会堂、図書館、14か所の大浴場もあった。広場の落書きに「狩りをし、ゲームをし、笑う。それが人生だ」とあり、当時の住民の優雅な暮らしぶりがしのばれる。しかし、7世紀に入ってアラブ人の侵入を許すと住民は町を放棄し、8世紀の大地震で砂の中に埋没してしまった。1880年に発見されたときは非常に保存状態がよく、「アフリカのポンペイ」とも呼ばれている。 

2-5-3 フェズ旧市街 既出1-7-5
文化遺産 モロッコ 1981年登録 登録基準②⑤
◇ モロッコ1000年の古都フェズ旧市街は、首都ラバトの東170km、セブ川中流の標高370mの盆地に位置する。2.2㎞×1.2㎞の城壁に囲まれており、複雑な街並みから「世界一の迷宮都市」と呼ばれている。今でも車は入れず運搬の主役はロバ。ほとんどの人々は、町外に出ることなく一生を終えるという。

2-5-4 ジェンネ旧市街
文化遺産 マリ 1988年登録 登録基準③④
● 交易で栄え「天国」と名付けられたマリの古都
西アフリカにあるマリ南部のニジェール川とその支流の中州地帯に位置するジェンネ旧市街は、13世紀末から発展した水上交易の中継地で700年の歴史がある。16世紀末にモロッコ軍に征服されてしまったが、14~16世紀にかけて栄華をきわめた。旧市街の名を高めているのは、町の中央部に聳える大モスクで、基底部56m四方高さ11mもあり、14世紀に創建され、20世紀初めに再建された。日干しレンガを積み上げ、表面に黄土色の泥を塗った独特な工法(スーダン様式)で築かれている。1年に1度、風雨に汚れたモスクの泥壁を人々が総出で塗り直す作業は、町のビッグイベント。毎週月曜日の朝には、大モスクの前の広場で食料や衣服の市が開かれ、さまざまな部族の人々が色とりどりの民俗衣装をまとって集まってくる。その賑わいは交易都市として栄えた以前の姿を彷彿とさせる。

2-5-5 ラリベラの岩窟教会群
文化遺産 エチオピア 1978年登録 登録基準①②③
● 岩を掘って作られた驚異的キリスト教聖堂群
エチオピア高原の北東部、標高約3000mの高地に、ザグウェイ朝の第7代国王ラリベラの命により12~13世紀に築かれた11の岩窟聖堂が残っている。伝説によると12世紀末に聖地エルサレムがイスラム教徒の手に渡ってしまったことで、ラリベラ王は「新たなエルサレムを築け」という神の夢告に従って、この地に都を移し、天然の一枚岩を掘り下げるという特異な工法を用いてわずか20年ほどで完成させたとされる。この工法は、現代の技術でも再現できないほど高度なもので、第1岩窟教会群には6つの教会、第2岩窟教会群は5つの教会で構成され、ヨルダン川をはさんで南北にある。1月7日(エチオピア暦のクリスマス)には、「一生に一度は聖地ラリベラで祈りたい」という熱心な巡礼者でふくれあがる。ここは、世界で初の世界遺産となった12か所のひとつ。

2-5-6 ケニア山国立公園 (と自然林)
自然遺産 ケニア 1997年登録 登録基準⑦⑨
● 赤道直下にありながら氷河を頂く高峰
ケニア中部にあるケニア山は、アフリカ第2の高峰である5199mの主峰バティアンのほか、標高4900mを超える峰が10座以上あり、山頂部には大小12の氷河がある。世界遺産に登録されているのはケニア山国立公園とその周辺山麓を合わせた1420㎢。標高4000mを超える乾燥した山岳地帯には7m近い巨大化したジャイアントセネシオやジャイアントロベリアなど高山植物が群生していて、ここでは「高地では植物は小さい」という植物学の常識は通用しない。自然林にはアフリカゾウなどの大型動物が、比較的低地にはクロサイやヒョウなどがすんでいる。ちなみに山名であり国名のケニアは、バントゥ語でダチョウを意味し、黒い岸壁と白い氷河や万年雪がダチョウの体毛のように見えるためという。

2-5-7 セレンゲティ国立公園 既出1-8-2
自然遺産 タンザニア 1981年登録 登録基準⑦⑩
◇ タンザニア北部、ビクトリア湖南東岸にあるセレンゲティ高原に位置する。1万4763㎢の国立公園内には広大なサバンナが続いている。移動をくりかえす草食動物の160万頭のヌーや50万頭ものシマウマ。これをねらうライオンやチーター、ジャッカルなどの肉食獣との戦いは、アフリカの大自然ならではの生と死をかけた壮大なドラマ。毎年9月、ヌーの大群がマサイマラ草原からいくつかの群れに分かれ、新しい草を求めて1000kmも離れたセレンゲティ国立公園に移動を開始する。途中の川幅100mもあるマラ川を渡るヌーの姿をカメラが追う。

2-5-8 マラウイ湖国立公園
自然遺産 マラウイ 1984年登録 登録基準⑦⑨⑩
● 生命の進化のカギを握るシクリッドの生息地
四国の1.5倍もあるアフリカで3番目に大きなマラウイ湖の南端にある「マラウイ湖国立公園」は、湖に浮かぶ12の島々を含め94㎢がその範囲。湖面の標高は472mに対し、最大深度は700mを超える。湖には500種類以上の魚類が確認されているが、その中で最も数の多いのがカワスズメ(別名シクリッド)で、その種類はピーコック・シクリッドはじめ400種以上あるがそのほとんどがこの湖の固有種。この魚はオスの求愛に応えたメスは産卵すると素早く卵を口の中に入れて孵化させ、稚魚を外敵から守る習性がある。この不思議な子育ては、ガラパゴス諸島のフィンチとともに、生命の進化を解明する重要な研究材料となっている。1859年探検家のリビングストンがヨーロッパ人として初めてこの湖を発見し、イギリスの植民地となってニアサ湖と呼ばれていたが、1964年の独立を機に旧名称が復活し、国名の由来となった。

2-5-9 ビクトリアの滝 (モシ・オ・トゥニャ)
自然遺産 ザンビア/ジンバブエ 1989年登録 登録基準⑦⑧
● イグアス・ナイアガラの滝と並ぶ世界3大瀑布のひとつ
アフリカ第4の大河ザンベジ川中流にあるビクトリアの滝は、雨季が終わる3月下旬ころには幅1700m以上、落差110~150m、毎分5億リットルもの水が落下する。20kmほど離れた地点からでも水煙が確認できるといわれ、この水煙が周囲を潤しシダやツル植物など900種類もの植物を繁茂させる。20万年前に最初の滝が出来てから、滝の位置は徐々に下流から上流に移動し、現在の滝は最初の滝から80㎞も上流にあるという。浸食は毎年10cmほど進み続けるというから、壮大な滝の旅はまだまだ続く。1855年、リビングストンがこの滝を発見し、当時世界に君臨していた母国の女王にちなんで「ビクトリアの滝」と命名し、やがてこの秘境の大瀑布は西欧社会に知られるようになっていった。

2-5-10 ツィンギ・ド・ベマラハ 既出1-7-11
自然遺産 マダガスカル 1990年登録 登録基準⑦⑩
◇ 世界第4の大島、マダガスカル島の西部には、無数の針やナイフを空に突き立てたような不思議な風景が広がる。これは2億年もかけて石灰岩と大雨がつくりあげた奇観で、1520㎢もある自然保護区内の奇岩地帯の谷間には、キツネザルの仲間シファカ、ブラウンキツネザル、アイアイなど、原始の特徴を残したまま、森の木の葉を食べて生き延びている。


会の後半は、メンバーの酒井猛夫が、ここ10年以上もほぼ毎年、冬季40日間・夏季40日間、マレーシアのフレーザーズヒルで「ロングステイ」を夫妻で楽しむ理由、その魅力について、たくさんの書籍や資料を回覧・配布しながら話をしてくれました。そのポイントは次の通り。
マレーシアは、首都クアラルンプールをはじめ標高が低い場所は、年間を通しての平均気温が約28℃。それに対し、フレーザーズヒルは標高が1500mもあるため、年間平均気温が約19℃。100mにつき0.6℃下がるためで、1年を通じて春のようなすごしやすさが一番の魅力。
滞在するホテル「サザン・イン」は、1泊2食付の宿泊代が二人で4800円。NHKの日本語放送が視聴でき、目の前にあるゴルフ場は1か月の使用料が1万円で午前中に1ラウンド、ホテルで昼寝してから午後1ラウンドといった楽しみかたもできる。タクシー代が安いため、たとえばクアラルンプールからフレーザーズヒルまで100㎞以上あるのに料金は1万円。出かけたい場所があればホテルに頼むと、タクシーを用意してくれるのはうれしい。
イスラムの国なので、人口の65%をしめるマレー人は酒を飲まない。でも、20%の中国系人やわれわれ日本人・欧米人が酒を飲んでも誰も気にしない。また、マレーシア人のだれもが親日的なのは、1981年から2003年まで22年間首相をつとめたマハティールが、日本の経済成長を見習おうと「ルック・イースト政策」を掲げ、国力を飛躍的に増大させたことが要因。マハティールは、息子や娘を日本に留学させたり、日本に関する著書を何冊か著すなど熱烈な親日家で、昨年5月に92歳という高齢ながら15年ぶりに首相に復帰し、2020年に先進国入りするという目標をかかげて奮闘中とのこと。
(文責・酒井義夫)


「参火会」10月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年9月19日木曜日

第58回「参火会」9月例会 (通算422回) 2019年9月17日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第18回目 「世界遺産 第2シリーズ」④ アジア・オセアニア Ⅱ-2 

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-3-1~20」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第4巻目の映像約90分のうちの後半 (2-4-11~20) 約45分を視聴しました。




2-4-11 フエの建造物群 既出1-6-3
文化遺産 ベトナム 1993年登録 登録基準③④
◇ ベトナム最後の王朝であるグエン朝は、ベトナム中部の首都フエに、中国北京の紫禁城を手本にした王宮を造営した。鳳凰が翼を広げ、舞い降りた姿を写したという美しい外観が注目された。ベトナム戦争で建物の多くが失われたが、皇帝の即位式が行われ政務を執った「太和殿」や王宮の正門は補修が加えられ、現在も豪華な姿を保っている。儀式に使われた宮廷音楽の音色は、生き残った楽師の執念が後世まで伝えて行く。

2-4-12 ハロン湾 既出1-6-4
自然遺産 ベトナム 1994年登録2000年範囲拡大 登録基準⑦⑧
◇ ベトナム随一の景勝地ハロン湾は、中国との国境近くに位置する。伝説によると、ベトナムが外国の船に攻め込まれたとき、龍が下りてきて無数の真珠を吐き出し、その真珠が島々になって敵を防いだという。石灰岩の島々が広がる幻想的な景観をもとめて、国内外から年間200万もの人々が訪れる。

2-4-13 (古都)ルアン・プラバン
文化遺産 ラオス 1995年登録 登録基準②④⑤
● ラオス初の統一国家ランサン王国の都
敬虔な仏教徒の町ルアン・プラバンは、メコン川とカーン川の合流地点に位置し、およそ東西2㎞南北1㎞の小さな町。1358年にラオ族のファゲーム王がラオス初の統一国家ランサン王国を築いて以来、ベトナムなどの侵略やフランス植民地時代を経ても、1975年まで王都だった。戒律の厳しい上座部仏教の聖地として80もの寺院が建てられ、現在も町の人口の1割近い1200人もの修行僧が暮らし、朝の修行の一つ托鉢僧の行列は、町の名物にもなっている。

2-4-14 チャンパサックのワット・プー
文化遺産 ラオス 2001年登録 登録基準③④⑥
● クメール人が築いたヒンドゥー教寺院の遺跡群
ラオス南部、タイとカンボジアの国境付近に位置するチャンパサックは、5~15世紀の約1000年間に繁栄した古代都市。元々は、チャム族の領地だったが、5世紀にクメール族の支配下に入り、聖山プー・カオの麓にカンボジアのアンコール地域と共通する性格のヒンドゥー教寺院のワット・プーを建立した。この遺跡で現存するのは7~12世紀に建造されたもので、13世紀になるとクメール族の力は衰退。代ってラオス文化が浸透して、14世紀以降は仏教寺院に衣替えして、今も村人たちの信仰を集めている。

2-4-15 スコタイと周辺の歴史地区 既出1-5-10 
文化遺産 タイ 1991年登録 登録基準①③
◇ 13世紀、タイの首都バンコクから北へ約450kmの位置にあるスコタイにタイ民族初の統一国家スコタイ朝が興った。王朝は仏教を手厚く保護したことで数多くの寺院が今も残る。仏教国タイの心のふるさとともいえるスコタイには、天から下り自ら民衆に歩み寄るタイ独自の仏「遊行仏」が誕生した。ワット・マハタ―トは、スコタイ最大の王宮寺院で、200m四方の境内に、18の聖堂と200以上の塔が立ち並ぶ。

2-4-16 バン・チェン遺跡
文化遺産 タイ 1992年登録 登録基準③
● 東南アジアの先史時代を語る考古遺跡
タイ北東部に位置するコラート高原一帯にあるバン・チェン遺跡は、1966年にアメリカ人学生が土器の破片を見つけたことから、古代文明発見のきっかけとなった。1971年に本格的な調査が行われ、土器などの測定から、中国やインドの影響を受けない独自の文明の存在が確認された。バン・チェン文化は、紀元前1500年~後300年頃との説が有力。

2-4-17 インドの山岳鉄道群 (旧・ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
文化遺産 インド 1999年登録/2005・08年範囲拡大 登録基準②④
● インドにおける鉄道事業の基礎をつくった3つの山岳鉄道
1999年にダージリン・ヒマラヤ鉄道が登録され、2005年にニルギリ鉄道、2008年にカールカ・シムラー鉄道が追加登録された。ダージリン・ヒマラヤ鉄道の開通は1881年で世界最古の山岳鉄道。2両の客車を牽引する蒸気機関車は標高差2000mを8時間かけて走る。1926年製造の機関車は丁寧に整備され、いまだに現役で走る。

2-4-18 ペルセポリス
文化遺産 イラン 1979年登録 登録基準①③⑥
● アケメネス朝ぺルシアの繁栄を象徴する都
イラン南部の丘陵地にあるペルセポリスは、紀元前6~4世紀にオリエント全土を統一して大帝国を築いたアケメネス朝ペルシアの王都で、ダイオス1世の命により、紀元前520年から60年をかけて建造された。繁栄をきわめたペルシア帝国だが、やがてギリシャと衝突した。紀元前330年にはマケドニアのアレクサンドル大王軍の総攻撃を受け、栄華を誇った王宮も炎に包まれて廃墟と化してしまった。現在は、あちこちに残るレリーフが往時の繁栄ぶりを伝える。

2-4-19 エルサレム旧市街地と城壁
文化遺産 イスラエル(ヨルダンの申請) 1981年登録/1982年危機遺産 登録基準②③⑥
● 紛争の舞台となった3宗教の聖地
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地。ユダヤ教の聖地はソロモン王の神殿の一部と「嘆きの壁」、キリスト教の聖地はイエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘に建つ「聖墳墓教会聖堂」、イスラム教の聖地はムハンマドが天界に旅だった聖なる岩を守る「岩のドーム」。現在、ほぼ1㎞四方の旧市街は、16世紀のオスマン帝国時代に築かれた城壁に囲まれ、ユダヤ教徒地区、キリスト教徒地区、イスラム教徒地区、アルメニア人地区の4つに大きく分かれている。しかし、パレスチナとイスラエルの紛争に加え、急激な都市開発の進行、観光被害、維持管理費の不足などを理由に、1982年に危機遺産リストに登録されたままにある。

2-4-20 タスマニア原生地帯
複合遺産 オーストラリア 1982年登録/1989年範囲拡大 登録基準③④⑥⑦⑧⑨⑩
● 太古の自然を残す未開の島
オーストラリア大陸から海に隔てられ、原生林には太古の森の面影の残るタスマニア島の南西部にある5つの国立公園を含む1万3836㎢が登録地区。原始的な動物も生き残り、独自の進化を遂げてきた。ハリモグラ、カモノハシ、タスマニアデビルなどの他、海底にはウミエラなど驚くべき野性の世界が広がっている。ナンキョクブナを中心とした冷温帯性雨林が広がり、ヒューオンパインや高木ユーカリなど島固有の植物も多い。


会の後半は、メンバーの山本明夫氏が、数か月前にツァーに参加した「ネパール9日間の旅」を、たくさんの写真や動画をスクリーンに投射しながら、体験レポートをしてくれました。
この旅の最大の目的は、世界最高峰のエベレスト(8848m)を、遊覧飛行機から間近に見ることでした。カトマンズ空港からの飛行機が飛ぶチャンスは3度あったそうですが、1回目は飛行機内に4時間待機するものの天候不良のため出発できず、2度目も天候が回復せず、最終日になんとか40人乗りの3機が待機。ついに3機目に乗れ、乗客40人が交代でコックピットに招かれて、エベレストを間近に目にするという念願がかなえられました。
その他、ナガルコットのホテル屋上からの360度四方のすばらしいヒマラヤ展望を体験し、チトワン国立公園内のサファリでは、尾長ザル、3mもの孔雀、一角サイ、10mもあるワニなどを間近で観察、ポカラではノートラの丘からヒマラヤの夕暮を楽しみました。最終日のエベレスト遊覧飛行後の夕食は、ヒマラヤソバを食べながら、ネパール民俗舞踊ショーを観賞し、満足のゆく旅を終えたそうです。
(文責・酒井義夫)


「参火会」9月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 深澤雅子   文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年8月28日水曜日

第57回「参火会」8月例会 (通算421回) 2019年8月20日(火) 実施

毎年8月の例会は、上智大学の「ソフィアンズクラブ」が夏季休暇のために、「参火会」も休みとしてきました。今回はメンバーの竹内光氏の提案により、「納涼参火会」として、内幸町にあるプレスセンタービル9階「日本記者クラブ」のサロンで懇親会を開催することになりました。

集合場所は、2018年3月末にオープンしたばかりの新名所『ミッドタウン日比谷』で、事前に24ページの「フロアー・ガイド」がメンバーへ配布され、各自が自由に内部を見学した後、午後4時に地下1階中央付近にある「セブンイレブン」前に、7名の参加者全員が集合しました。

その後、竹内氏の案内で、6階にある空中庭園「パークビューガーデン」を訪れました。目の前に「日比谷公園」から、「皇居」へと続く緑が広がる眺望に、「東京にも、こんなに緑があったのか」と、感嘆の声があがりました。特に、日比谷公園の向かい側に見える官庁街は、毎日新聞の政治部記者だった竹内氏にとっては、職場の一部のように身近だったせいか、一つ一つの建物の名称・解説はとても興味深いものがありました。

その後は、日比谷公園内をゆっくり歩きながら、プレスセンタービルへ行く予定でした。ところがあいにく雨が降りだしたことで、日比谷駅から1駅先の「霞ヶ関駅」まで地下鉄で移動し、地下を歩いたまま「プレスセンタービル」に到着、エレベーターで9階のサロンへ5時ころに着きました。ふだんは、数十人が入れるサロンはけっこう混んでいるとのことでしたが、当日はわずかの人たちしか利用しておらず、貸し切り状態に近いものでした。

まもなく、飲み物や食べ物が用意されると7人が向き合って座り、懇親会が始まりました。「ソフィアンズクラブ」では時間が2時間に限定され、それぞれが遠くに離れているためか、なかなか気軽に話が出来ないのに対し、ここでは大いに話が弾み、大いに飲み食い、しゃべりまくりの2時間半を過ごしました。その後、竹内氏の案内で、10階にある「日本記者クラブ」の会見場を案内してもらってから解散しましたが、それぞれの表情は、満足感にあふれているように思いました。

翌日のNHK7時のニュースで、来年のパラリンピック出場予定者らの記者会見が、前日訪問したばかりの「日本記者クラブ」の会見場でおこなわれているのを視聴するにつけ、今回のような貴重な見聞を”追体験”することが出来て、納涼を兼ねた何よりの参火会でした。(文責 酒井義夫)


「参火会」8月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 草ヶ谷陽司  文新1960年卒 
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原  勉  文英1966年卒
  • 竹内 光   文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒  
  • 向井昌子   文英1966年卒
  • 山本明夫   文新1971年卒



なお、7月の「参火会」例会の最後に、メンバーの菅原勉氏が、今年5月の「春の叙勲」を受けられたという話を聞き、当日のメンバー全員が「受賞おめでとう」の拍手を贈りました。その受賞写真を、ぜひこのブログに掲載したいと氏に依頼し、この度メールを送ってもらいましたので、ここに掲載させていただきます。




春の叙勲者は、ほとんどが公務員で、民間での受賞はきわめてめずらしいものです。菅原勉氏が40年以上にわたり、外国語学部英語学科教授 (現・同学科名誉教授)として「音声学分野」で多大な研究成果をあげられたことが、高く評価されたものです。