今回は、下記資料「8-①~⑮」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、本田技研の系列会社「エスピージー」が制作した8-①~⑮ の映像約40分を視聴しました。
8-① ンゴロンゴロ自然保護区
複合遺産 タンザニア 1979年登録2010年範囲拡大 登録基準④⑦⑧⑨⑩
● マサイ族と動物が共存する自然保護区
タンザニア北部にあるンゴロンゴロ自然保護区は、現地の言葉で「巨大な穴」を意味し、数百万年前の大噴火とその後の地殻変動によってできた山の手線の内側ほど(約300㎢)の巨大なクレーターの草原は、乾季になっても水が絶えることがないため、絶滅危惧種のクロサイ、ゾウ、ライオン、ヒョウ、バッファローなど約2万5000頭の野生動物、オオフラミンゴなど約400種の鳥類が生息する。その多くは、人間を恐れる様子を見せないことから、保護区は動物の生態研究・調査に適した場所となっている。登録当初は自然遺産だったが、区域内のオルドワイ渓谷からは、アウストラロピテクスをはじめとする先史人類の化石や足跡などが発見されたことで、2010年に文化遺産としても評価されて複合遺産となった。ンゴロンゴロの一帯は、古くからマサイ族が住む地域だった。彼らは「動物たちはすべて神からの贈り物」という考えを持っており、放牧生活を営みながら動物と共存してきた。しかし、1951年、タンザニアを統治していたイギリス政府は、ンゴロンゴロ地区と隣接するセレンゲティ平原をひとつの国立公園に指定した。この政策にマサイ族は放牧権を奪われたと抗議したことで、ンゴロンゴロ地区は自然保護区として国立公園から分離されることになった。1975年、クレーターを放牧目的で使用することは禁止されたが、マサイ族はクレーター外で放牧を行う一方、密猟者の監視を行って動物との共存を続けている。しかし、少しずつ自然保護区の環境変化がおこっており、危惧するタンザニア政府は現在、町に住んで生計を立てるというマサイ族の定住化政策を進めている。
8-② セレンゲティ国立公園
自然遺産 タンザニア 1981年登録 登録基準⑦⑩
● 多くの哺乳類が暮らす「果てしない草原」
タンザニア北部、キリマンジャロ山の裾野に広がる大サバンナ地帯にあるセレンゲティ国立公園は、地球上で最も多くの哺乳類が暮らす場所として知られる。セレンゲティとはスワヒリ語で「果てしない草原」を意味し、その広さは1万4736㎢(四国の約8割)もあり、生息する野性動物は300万頭以上と推定されている。雨季の平原は植物に覆われるが、乾季を迎えると水は干上がり、灼熱の砂漠と化すことから、雨季と乾季の移り変わりに合わせ、水と食糧を求めて動物たちの大移動がみられる。なかでも野生動物の約3割、100万頭ものヌーの大群の大移動はセレンゲティ最大の見もので、雨季が終わり乾季が始まろうとする5~6月ころ、出産と子育てを終えたヌーたちは、草を求めて一斉にケニア側のマサイマラ国立保護区へ移動を開始する。雨季が始まる12~1月頃には再びセレンゲティへ大挙して戻ってくる。ケニアとの国境に近いマラ川周辺ではライオン、ハイエナ、チーター、ヒョウなどの肉食獣が待ち受け、水かさを増した川にはワニがひそみ、群れからはぐれたり、激流に溺れるヌーが犠牲になるまさに弱肉強食の世界。ときには、国境を越えて1500km(東京~沖縄間ほど)の大移動をくりかえすヌーの大群だけでなく、ヌーとともに移動するシマウマの群れ、ゾウやキリン、バッファローなどの大型哺乳類、500種もの鳥類など、多種多様な生き物たちが生息するセレンゲティは地球上でもまれな場所で、本能にしたがって生きる動物たちの、壮絶な野生の営みを垣間見ることができる。この地の豊かな生態系を世に知らせ、保護したのはドイツ人獣医のベルンハルト・クジメックとその息子のミヒャエルと言われる。彼らの著書『セレンゲティは滅びず』や記録映画『死ぬな、セレンゲティ』などをきっかけに研究所も建てられ、今では世界中から寄付金が集まって動物の研究に役立てられている。
8-③ グレート・バリア・リーフ
自然遺産 オーストラリア 1981年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● 海洋生物に富む世界最大のサンゴ礁
オーストラリア北東の海岸に沿うように全長2000kmにわたって広がるグレート・バリア・リーフは、世界最大のサンゴ礁地帯。誕生は約1800万年前までさかのぼり、約200万年前から石灰岩が堆積し、その上にサンゴが生息し始めたと推測されている。その後氷河期を経て、現在みられるサンゴ礁は、8000~6000年前といわれ、グレート・バリア・リーフは地球の歴史を知る上でも貴重な存在。面積は日本列島ほどの35万㎢もある。サンゴが生育するには、18~30℃の水温で、光が届く浅い場所であることが必要だが、この場所は年間を通じて水温が高く、遠浅の海であったことで、このような大サンゴ礁の形成が可能だった。グレート・バリア・リーフには400種以上のサンゴが生息し、1500種の魚類、約4000種の軟体動物・海綿動物・甲殻類などの海生動物も確認されている。また、それらを餌にするクジラやイルカ、ジュゴン、ウミガメ類なども見られ、カクレクマノミもここに生息している。サンゴは死に絶えると石灰質の体のため海に沈殿する。それが岩の周辺などに固まり、海面に達すると、215種以上もいるという鳥類の休息所になり、その後、鳥のふんにまみれて植物が芽を出すと地面が安定し、小島が形成される。こうした行程を踏んで生まれた、大小さまざまなサンゴ島が、グレート・バリア・リーフ海域には900近くもあるという。「グリーン島」は、ケアンズの宝石とも呼ばれ、約6000年前にサンゴ礁が隆起して出来た島で、多くの植物・鳥類・海洋生物が生息し、マリンアクティビティが楽しめる。「ウィットサンデー諸島」には74の島々があり、白い砂浜と青い海の美しさに魅了される人たちは少なくない。ハート形のサンゴ礁で有名な「ハミルトン島」、高級リゾートの「ヘイマン島」などが有名。「ミコマスケイ」は、ケアンズの北東約40㎞の場所にあるサンゴ礁の中州で、2万羽以上の海鳥が生息している。
8-④ クイーンズランドの湿潤熱帯地域
自然遺産 オーストラリア 1988年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● 貿易風によって多量の雨が降る熱帯雨林
オーストラリア北東部、グレート・ディヴァイディング山脈に沿って広がるクイーンズランドの湿潤熱帯地域は、貿易風の影響を受け、年間1200~9000mmという多量の雨が降り注ぐ1億3000年前の白亜紀に形成された世界最古の熱帯雨林地帯で、南北に長い。その範囲はデーンツリー国立公園など10の国立公園、700以上の私有地を含めた保護区からなる。木登りカンガルー、ニオイネズミカンガルーをはじめ多数の希少動物が生息する他、寄生する「しめころしのイチジク」など約3000種の植物が生い茂る。また、1億2000万年前のシダ植物から、裸子植物・被子植物へと進化した過程が見られることで、植物学における重要な地とされている。19世紀に錫鉱山へ食料を運ぶ目的で建設された約34kmの鉄道が、原始の森を縫ってケアンズと熱帯雨林に囲まれたキュランダ村とを結び、車窓から世界遺産観光ができる。
8-⑤ カカドゥ国立公園
複合遺産 オーストラリア 1981年登録1987・1992年範囲拡大 登録基準①⑥⑦⑨⑩
● 先史時代の岩絵が残る豊かな自然公園
オーストラリア北部中央ダーウィンの東方にあるカカドゥ国立公園は、オーストラリア最大の国立公園で、四国とほぼ同じ2万㎢もの面積がある。公園内には、マングローブが群生する干潟、雨季には沼地と化す氾濫原、熱帯雨林、サバンナなど、さまざまな自然環境が広がる。植物は1600種以上、動物は人食いワニとして知られるイリエワニなど123種の爬虫類、ワラビーなど60種以上の哺乳類、5000種以上の昆虫が生息している。とくに野鳥が270種以上(全土の約34%)もいることで重要野鳥生息地に指定され、バードウォッチングの名所となっている。この一帯には5~4万年前からオーストラリア先住民(「アボリジニ」といわれてきたが差別的表現とされ、以下「豪先住民」と表現)の居住地域で、公園の土地も彼らのものとして正式に認められ、オーストラリア政府が所有権を借りて協議しながら運営する形がとられている。人類最古の石器といわれる4万年前の斧、1000か所以上で発見された岩画面によって証明されている。この地の先住民(ビニン族)の生活や宗教、伝説などが描かれた岩画面は、彼らの文化を伝える貴重な史料とされる。とくに動物や人間の絵に骨格と内臓を描きこんだ『X線描法』は、ビニン族独自のもので、ウルビやノーランジー・ロックにあるものは保存状態が良好。
8-⑥ ウルル・カタ・ジュタ国立公園
複合遺産 オーストラリア 1987年登録1994年範囲拡大 登録基準⑤⑥⑦⑧
● 偉大な祖先が眠る豪先住民の聖地
オーストラリアのほぼ中心に位置するウルル・カタ・ジュタ国立公園は、巨大な1枚岩で知られるウルル山(高さ340m・周囲9.4㎞)と、カタ・ジュタと呼ばれる大小36個の巨石群を中心とする国立公園。ウルル山は、1873年この地を訪れたウィリアム・ゴスが、当時の南オーストラリア総督ヘンリー・エアーズの名を取ってつけた「エアーズ・ロック」の名でも知られている。今もこの地一帯で暮らしている豪先住民アナング族が、5~4万年以上も前からここに住み、重要な聖地の1つとして崇めてきた。そして、先住民の痕跡を随所に残す文化的な場所であることが判明したため、カカドゥ国立公園と同様、オーストラリア政府がアナング族と土地の借受契約を結び、協議しながら運営する形がとられている。この地の一帯には、アカカンガルーやフクロモグラなどの有袋類を含む40種類の哺乳類、クルマサカオウムなど140種の鳥類、モロクトカゲなど70種類の爬虫類、アノイラアカシアなど480種類の植物が確認されている。
8-⑦ オーストラリアのゴンドワナ雨林
自然遺産 オーストラリア 1986年登録1994年範囲拡大 登録基準⑧⑨⑩
● ナンキョクブナなど太古の森林が残る多雨林
オーストラリア中東部のクイーンズランド州とニューサウスウェールズ州の一部に広がるゴンドワナ雨林には、34の自然保護地域からなる3700㎢もの多雨林地帯。希少な植物は200種以上、動物もコアラやカンガルーをはじめ、パルマヤブワラビーやヒメウォンバット、アルバートココドリなどの非常に珍しい動物も多く生息する。また、ナンキョクブナなどオーストラリア大陸が他の大陸から分離する前の痕跡なども残す貴重な遺産でもある。亜熱帯、乾燥帯、温帯、寒帯という4種類の多雨林が植生しており、ゴンドワナ南方古大陸の分裂期にまでさかのぼる古い系統に由来する脊椎動物、無脊椎動物の残存種も見ることができる。ビジターセンターや難易度別のウォーキング・トレイルもあり、多雨林やどこまでも続くきれいな浜辺、滝、澄み切った川など、旅行者は保護区内の多種多様な場所を訪れることができる。
8-⑧ フレーザー島
自然遺産 オーストラリア 1992年登録 登録基準⑦⑧⑨
● 鳥のふんと豊富な雨量によって形成された砂丘島
オーストラリア・クイーンズランド州のブリスベンから北に約300kmの所にあるフレーザー島は、世界でもっとも大きな砂島で、南北に123km・幅25kmの島のほぼ全域がグレート・サンディ国立公園となっている。約80万年前、オーストラリア大陸の東部にあるグレート・ディヴァイディング山脈で風化によって削られた砂が、堆積して誕生した。砂丘が鳥たちの安息所になると、鳥のふんから種子が芽を出し、安定した大地が形成されていった。この島に人間が住みついたのは、約1万9000年前で、先住民のパジャラ族が定住した。ヨーロッパ人がこの島の存在を知ったのは、1836年にエリザ・フレーザーという女性が、この島の体験を話したのがきっかけだった。エリザの乗るスターリング・キャッスル号が難破してこの島に流れ着き、夫の船長と船員たちはバジャラ族に捕まり、一人逃れたエリザが救済を求めたという。一説によると、この島の名も彼女の姓から来ているという。1842年、冒険家のアンドルー・ピートリがこの島を探検し、この島がマングローブやユーカリ、ナンヨウスギなど木材の資源が生い茂る自然豊かな島であることを発表すると、樹木伐採を目的とする集団が大挙して押しかけた。20世紀に入ると、西洋人がバジャラ族ら600~1000人の先住民を追い出し、製材所や鉄道などを建設したことで、島は荒廃していった。1972年に環境保護団体がこの島の北部1/3を保護下におき、伐採を止めるために企業と交渉を続け、その努力が実って1992年に世界遺産に登録された。今では、絶滅が危惧されていた両生類12種が生息する。また、島の地下には約2000万立方メートルもの淡水がたまっており、最も人気のある観光スポットで水深5mのマッケンジー湖など、島には40以上の淡水湖があり、どの湖も世界で最も透明度の高い湖といわれる。エリー川も人気があり、ハイキングや水泳を楽しむ人で一年じゅう絶えることがない。野鳥は350種以上確認されており、特に渡り鳥の中継地点として重要な島でもある。また、ハービー湾は繁殖と子育てのために訪れるザトウクジラの観察スポットとして有名。
8-⑨ ブルー・マウンテンズ地域
自然遺産 オーストラリア 2000年登録 登録基準⑨⑩
● ユーカリが繁茂する砂岩の連峰
オーストラリアの南東部、シドニーから西へ約60~108㎞の場所に位置するブルー・マウンテンズ地域は、標高1300m級の砂岩の峰々が連なる山岳地帯にある。ブルーマウンテン国立公園を含む7つの国立公園と、ジェノラン・ケイブス・カルスト保護区で構成されている。この地域一帯、乾燥地から湿原、草原などあらゆる場所に全部で91種類(世界の13%)のユーカリが自生しており、オーストラリア特有のユーカリの森が広がっている。地層がはっきりと現れた断崖が延々と続く渓谷や、滝、洞窟などその景観は変化に富んでいて、生態系においても絶滅危惧種、稀少種が多く生息している。「ブルーマウンテン」の名前は、気温の上昇でユーカリに含まれる油が気化し空気中に放出され、光の反射でその霧が青みがかり、山々が青く見えたことに由来する。多くの人が訪れる3つの巨大な奇岩が並ぶ「スリー・シスターズ」は、魔法で石に姿を変えられた3人姉妹の伝説が言い伝えられている。ウォーキング・トレイルも充実しているのでユーカリの森林、断崖の絶景が間近で見られるのも魅力。
8-⑩ トンガリロ国立公園
複合遺産 ニュージーランド 1990年登録1993年範囲拡大 登録基準⑥⑦⑧
● 原住民の祈りが届いた聖なる火山帯
ニュージーランド北島の中央に位置するトンガリロ国立公園は、東半球における環太平洋火山帯の最南端に位置づけられる火山帯にある。この山岳国立公園内にはルアペフ山(2797m)、ナウルホエ山(2291m)、トンガリロ山(1968m)の3つの活火山がそびえる。この地は、先住民マオリの人々にとって文化的に重要な意味を持つ聖地だったが、1840年にニュージーランドがイギリスの植民地になると入植者が増大し、神聖な土地は放牧地に変えられていった。1887年、マオリの首長テ・へウヘウ・ツキノ4世は、このままでは神聖な土地を将来にわたって守り続けることは困難であると判断し、3つの活火山とその周囲を取り巻く地域を、誰もが楽しめる固有の自然保護区とすることを条件に国にその権利を譲渡する提言をした。これが受け入れられ、1894年にニュージーランド初の国立公園として保護されることになった。当初は、3つの火山とその周辺だけだったがその範囲は少しずつ拡大され、今では約795㎢が指定範囲となっている。美しいエメラルドブルー色の火口湖、山間に広がる草原、北島最大の活火山の周辺に湧く温泉など、多様な自然環境にも恵まれている。3つの火山は現在も火山活動が続いており、トンガリロ山は2012年8月に噴火したばかりだが、スキー場での滑走や火口湖を巡るトレッキングまで、人々はそのままに楽しんでいる。これも、噴火を早期に予知する警告システムのおかげ。山々の低い斜面には、高山植物や低草木、亜麻などが生い茂り、植生も多様。鳥類も多く、ニュージーランド固有のキウイをはじめ、オウムの一種カカなど約60種が確認されており、天敵が少ないためか公園内はまるで「鳥の楽園」となっている。ニュージーランド固有動物としては唯一の哺乳類、短尾コウモリや長尾コウモリが公園内に生息している。
8-⑪ テ・ワヒポーナム
自然遺産 ニュージーランド 1990年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● 氷河作用と地殻変動が生んだ豊かな景観
ニュージーランドの南島の南西部にあるテ・ワヒポウナムは、氷河作用と地殻変動によって生まれた、多彩な姿を見せる景観を特長とする総面積は2万6000㎢の地域。フィヨードランド、マウント・クック、ウェストランド、マウント・アスパイアリングの4つの国立公園を含む広大な自然保護区で、外界と隔てられた特異な地形と気候が育んだ、この地ならではの生態系を見ることができる。世界で最も雨量の多い地域に数えられるテ・ワヒポウナムには、温帯の南限にジャングル(冷温帯雨林)が形成され、各種の植物が自生している。なかでも高さ60mになるマキ科の巨木「カヒカテア」は、この木1本にシダやランなど101種類以上の植物が共生し、1000年を越える時を生き続けてきた。また、テアナウ湖西岸の「テアナウ洞窟」には土ボタルが生息。洞窟内に流れる川をボートに乗って奥へ進むと、無数の土ボタルが青白い光を放ち、満天の星を地底に再現したような神秘的な光景が広がる。他にもキウィ、ニュージーランド・オットセイなど固有種の生物も多く、絶滅の危機を防ぐため、保護活動が進められている。タスマン海に面し、フィヨードランド国立公園内にある「ミルフォード・サウンド」は、観光船によるフィヨルドクルーズで、約1時間半かけて大型船でフィヨルドを周遊するクルーズや、約3時間かけて小型船で自然と野生動物を観察するネイチャークルーズなど、人気の観光スポット。長い年月をかけて誕生した壮大な自然の景観と、多様性に富んだ生き物たちの営みが凝縮されたテ・ワヒポウナムは、世界でここだけの大自然の神秘を体感できる。
8-⑫ パルミラの遺跡
文化遺産 シリア 1980年登録 危機遺産/2013年登録 登録基準①②④
● 交易で栄えたオアシス都市の廃墟
シリアの首都ダマスカスの北東約230km、シリア砂漠の中央にあるパルミラは、メソポタミアと地中海を最短で結ぶ交易路にあったことで、紀元前1~後3世紀まで、シルクロードを行き交う隊商都市として繁栄した。かつては、ナツメヤシが茂る地下水に恵まれたオアシスだった。特に2世紀には、隊商都市ペトラから通商権を受け継ぎ、ローマ帝国の庇護のもとで黄金期を迎えた。ところが3世紀末、クレオパトラの末裔を自称するゼノビア女王が、ローマ帝国から独立を試みて失敗し、街は破壊され、廃墟となった。その後要塞として使用されることもあったが、交易路の変化によってさびれていった。城壁に囲まれた約10㎢には、街の南東奥にある最大の建造物ベル神殿など、保存状態の良いローマ建築の遺構が点在していたが、2015年8月、バールシャミン神殿に続きベル神殿もイスラム過激派組織ISによって爆破された。シリア騒乱による保全状況の悪化で、他のシリアの世界遺産とともに再度危機遺産リスト入りしている。
8-⑬ ダマスカスの旧市街
文化遺産 シリア 1979年登録 危機遺産/2013年登録 登録基準①②③④⑥
● 聖書に記された世界最古の都市
シリア南東部にあるダマスカスは、イスラム世界初の王朝ウマイヤ朝の首都として繁栄した古代都市。古代より「オリエントの真珠」と称えられてきた世界最古の都市の一つで、メソポタミアと地中海を結ぶ東西交易の交差点として発展してきた。『旧約聖書』には、アブラハムが旅の途中でこの地を訪れたと記されており、『新約聖書』には、キリストと聖母マリアの避難場所とある。ダマスカスは、アラビア半島、メソポタミア、地中海を結ぶ交易の十字路にあったことで、イスラム勢力の支配下に収まるまでは、エジプトをはじめアラム王国、ペルシア、ギリシア、ローマ帝国などが支配者として君臨した。ダマスカスに黄金時代が訪れるのは、 7世紀半ばにイスラム初の王朝であるウマイヤ朝が成立し、この街を首都と定めてからで、かつてキリスト教の聖堂があった場所に大規模なモスクが建設され、政治・経済の中心地として多くの学者や詩人、商人たちが集まり、世界最高水準の文化が花開いた。その後もダマスカスは、十字軍の襲来やモンゴル帝国の侵略、オスマン帝国の支配などを受けるが、その歴史を物語るのが城壁に囲まれた旧市街で、125の歴史的建造物が登録されている。旧市街の西側には、現存する世界最古のモスクといわれるウマイヤ・モスクをはじめスーク(市場)やマドラサ(イスラムの高等教育施設)などイスラム色が濃く、オスマン帝国時代の美しい宮殿も残っている。一方東側では、聖パウロゆかりの聖堂など、キリスト教の聖堂が多く見られる。なお、ダマスカスの旧市街もシリア騒乱による保全状況の悪化を理由に、他のシリアの世界遺産とともに再度危機遺産リスト入りしている。
8-⑭ 隊商都市ボスラ
文化遺産 シリア 1980年登録 危機遺産/2013年登録 登録基準①③⑥
● ローマ道路の要衝として発展した古都
首都ダマスカスの南約110km、ヨルダン国境近くにあるボスラは、ローマ時代の遺跡が数多く残る古都。紀元前1世紀、ナバタイ王国の最初の都市となったが、106年、トラヤヌス帝時代のローマ帝国に征服されアラビア属州の州都となった。ローマ円形劇場、市場、浴場、水利施設、列柱道路など、紀元前から12世紀ころまでのローマ帝国、東ローマ(ビザンチン)帝国、イスラム時代の遺構が数多く残されている。これらの建造物は玄武岩で造られているため、遺跡全体が黒色をしているのが特徴。ローマ時代には穀倉地帯として、また地中海とアラビア海を結ぶ交易の拠点として栄えた。土砂に埋もれた遺跡の上に現在の街があるため、発掘されているのは一部分に過ぎない。しかし約100mの地下道や、ほぼ完全な姿を残しているローマ劇場の遺構などから往時をしのぶことができる。なお、シリア騒乱による保全状況の悪化を理由に、他のシリアの世界遺産とともに再度危機遺産リスト入りしている。
8-⑮ アンジャル
文化遺産 レバノン 1984年登録 登録基準③④
● ウマイヤ朝の栄華を今に伝える貴重な都市遺産
レバノン東部ベカー高原にあるレバノン唯一の城塞都市遺跡のアンジャルは、首都ベイルートの東約50km、レバノン山脈の麓にある。8世紀初頭、初のイスラム王朝ウマイヤ朝のワリード1世が保養地として建設した都市で、レバノン唯一の城塞都市遺跡。この一帯に残されていたローマ帝国やビザンツ帝国の遺構を転用して造られている。この遺跡の中心に王宮が設けられ、その周辺にモスク、公共浴場、従者の住居や多数の商店が置かれた。現在は、ビザンツ帝国時代の聖堂建築様式による2層アーチを持つ王宮の一部が復元され、優美な姿を見せている。
8-⑯ 聖地バアルベック
文化遺産 レバノン 1984年登録 登録基準①④
● 天空の神ユピテルをまつるローマの聖域
レバノンの首都ベイルートの北東約80km、ベカー高原中央にある聖地バアルベックは、ローマ帝国時代の古代遺跡。この地域には、紀元前2000年ころから人が住みはじめ、フェニキア人によって最初の都市が作られた。バアルベックとは、フェニキア人の言葉で「平原の主神」という意味の名を与えられたバアルベックは、東西交易の交通路として発展したが、紀元前64年にローマ人に征服され、ローマの神々をまつる神殿が築かれた。神殿の中で最大のものは紀元後60年ころ、皇帝ネロの時代に完成したローマの天空ユピテル(ジュピター)をまつる「ユピテル神殿」で、屋根以外はほぼ原形をとどめており、直径約2mの柱の柱頭はアカンサスの葉をモチーフにしたコリント式。基壇の幅は約54m、奥行90mは、アテネのパルテノン神殿を上回る。2世紀ころには酒の神のバッカスをまつる神殿、3世紀初めには菜園の守護神ヴィーナスをまつる神殿も完成し、ローマ帝国領土内では最大規模の聖域となった。しかし4世紀末、コンスタンティヌス帝がキリスト教を国教と定めた後は神殿の増築が中断し、イスラム教徒が流入した7世紀には神殿は要塞として使用され、1516年オスマン帝国が支配したころには、完全に忘れられてしまった。現在残る遺跡からも、ローマ帝国建築の威容やこの地の土着宗教などの影響を受けた特有の装飾を見ることができる。
世界遺産の「登録基準」について
① (文化遺産) 傑作……人類の創造的資質や人間の才能
② (文化遺産) 交流……文化の価値観の相互交流
③ (文化遺産) 文明の証し……文化的伝統や文明の存在に関する証拠
④ (文化遺産) 時代性……建築様式や建築技術、科学技術の発展段階を示す
⑤ (文化遺産) 文化的な景観……独自の伝統的集落や、人類と環境の交流
⑥ (文化遺産) 無形……人類の歴史上の出来事や生きた伝統、宗教、芸術など。負の遺産含む
⑦ (自然遺産) 絶景……自然美や景観美、独特な自然現象
⑧ (自然遺産) 地球進化……地球の歴史の主要段階
⑨ (自然遺産) 生態系……動植物の進化や発展の過程、独特の生態系
⑩ (自然遺産) 絶滅危惧種……絶滅危惧種の生育域でもある、生物多様性
会の後半は、メンバーの酒井猛夫がオーストラリアのシドニーに現地企業の社長として11年間滞在したとき、来訪者へ最優先で案内する観光地にシドニー地区に酸素を供給する世界遺産の「ブルーマウンテンズ」(8-⑨) がありました。2001年2月、弟の私酒井義夫が訪れた際、猛夫さん運転の車に乗せてもらい、ユーカリやシダが豊かな森林地帯のベストコースを案内してもらいました。そのとき撮った写真を回覧しながら、大きな3つの岩山「スリー・シスターズ」など、その素晴らしさの一端を披露しました。
引き続き、メンバーの小田靖忠氏が最近、フィンランドのヘルシンキからエストニアのタリンを経て鉄道でロシアのサンクトベルグに入り、その後モスクワを訪問したレポートをしてもらいました。かつて音楽評論家としてサンクトベルグやモスクワを数回訪れたことのある反畑誠一氏、竹内光氏らの体験談も興味深いものでしたが、その印象は全体的にいまいちのようでした。未だ訪問していない私は、2、3年のうちに旅行し、この眼で評価したいものと思っています。
さらに、メンバーの山本明夫氏が先月の9月17日から1週間、松蔭大学教授として旧満州・中国黒竜江省の黒河(ヘイホー)と哈爾浜(ハルビン)を学術訪問した際の体験を、多くの写真を交えてレポートしてもらいました。黒河学院(日本の大学に相当)で開かれたシンポジュームに参加した際、「私と中国」と題した30分ほどの発表を行い、近代日本の光と影を題材に、福沢諭吉を筆頭とする富国強兵を念頭にした [西欧中心主義路線]と、勝海舟が主張した [中国と朝鮮半島からの文化・文明移入の成果を忘れてはならないという考え方] を比較しての論考でした。この発表により、黒河学院院長から客員教授に当たる「認定証」が手渡されたことは、嬉しいハプニングだったそうです。黒河市や哈爾浜市内の博物館・記念館などの視察も感銘深いもので、これを機に毎年旧満州を訪れることになるようです。
(文責・酒井義夫)
「参火会」10月例会 参加者
(50音順・敬称略)
- 小田靖忠 文新1966年卒
- 郡山千里 文新1961年卒
- 酒井猛夫 外西1962年卒
- 酒井義夫 文新1966年卒
- 竹内 光 文新1962年卒
- 谷内秀夫 文新1966年卒
- 反畑誠一 文新1960年卒
- 増田一也 文新1966年卒
- 増田道子 外西1968年卒
- 向井昌子 文英1966年卒
- 山本明夫 文新1971年卒
- 蕨南暢雄 文新1959年卒
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