2019年12月18日水曜日

第61回「参火会」12月例会 (通算425回) 2019年12月17日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第21回目 「世界遺産 第2シリーズ」 ⑥ ヨーロッパⅢ─1

2019年4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-6-1~10」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第6巻目の映像約90分のうちの前半 (2-6-1~10) 約45分を視聴しました。




2-6-1   ナポリ歴史地区 既出1-3-4
文化遺産 イタリア 1995年登録 登録基準②④ 
◇ 大国支配の歴史を物語る街並み
東にベスビオ山、南にナポリ湾を擁する風光明媚な観光都市ナポリだが、その歴史は外国勢力侵略の歴史でもあった。町の起源はBC5世紀にギリシャ植民都市として建設された。その後さまざまな国の支配下で独自の文化を発展させた。トマトがもたらされたのはスペイン支配時代。イタリア統一後、ナポリを初めて訪れた国王夫妻を歓待するためトマト・バジル・モッツァレラチーズで国旗の色を表現したピッツァが作られた。皇后と同名のナポリ名物「ピッツァ・マルゲリータ」だ。

2-6-2 ポルトヴェーネレとチンクエ・テッレ
文化遺産 イタリア 1997年登録 登録基準②④⑤ 
● 人間の手によってできた自然の景観
イタリア北部リビエラにあるポルトヴェーネレは、荒々しい断崖と険しい山にはさまれた城塞の町で、もともと町全体かジェノバの築いた出城だった。この町の北西10~30kmにあるチンクエ・テッレ(「5つの土地」の意)は5つの村からなっている。これら一帯は、ブドウ造りと漁業が主産業で、おいしいワインと肉厚のムール貝が観光客に大人気。村と村の行き来は、20世紀までは船だけが頼りだったという。

2-6-3 パリのセーヌ河岸 既出1-2-4
文化遺産 フランス 1991年登録 登録基準①②④
◇ 歴史とともに歩む芸術の都
世界の大都市でもパリほど、過去から現在まで、政治・経済・産業・文化・科学・芸術など、あらゆる分野の活動が一極集中している例は、他には見当たらない。見どころも多く、その景観を守るため、正面から見たときの人間の視野を遮るものの建設を禁止する「フュゾー規制」が定められている。

2-6-4 アルク・エ・スナン王立製塩所
文化遺産 フランス 1982年登録2009年範囲拡大 登録基準①②④ 
● 夢に終わった計画都市
フランス東部ブランソン近くにあるアルク・エ・スナン王立製塩所は、ルイ16世治世下の1775年に、クロード・ニコラ・ルドウにより設計・建設が始まった。この製塩所関連施設の周囲に病院、聖堂などを円形に配置することで労働組織の効率化をめざした。フランス革命により、ルドウの夢は半円形の状態で終わったものの、機能と美を追求し理想の都市を作るという壮大な実験は、次世代の工業都市の規範となった。2009年には、フランスの塩生産の歴史を示すもののとして、サラン・レバン製塩所が登録資産に含まれた。

2-6-5   オランジュのローマ劇場と凱旋門
文化遺産 フランス 1981年登録2007年範囲変更 登録基準③⑥
● ローマ帝国の栄光を今に伝える劇場と凱旋門
フランス南部プロバンス地方にあるオランジュは、ローマ時代以前から栄えていたケルト人の町で、BC1世紀にローマ植民地となり、今も古代ローマ遺跡がほぼ完全な状態で残っていることで知られている。とくに劇場は、ローマ遺跡の中でも最大規模で37段、1万人を収容した。舞台の幅は103m、背後の装飾壁は36mの高さがあり、その中央に3.5mもあるアウグストゥス帝の大理石像が観客席を威圧する。この劇場で毎年6~8月に野外音楽祭が開催され、多くの観光客が訪れる。「凱旋門」と呼ばれている門は、町の建設記念門。

2-6-6 リヨンの歴史地区 既出1-2-9
文化遺産 フランス 1998年登録 登録基準②④
◇ 2000年の歴史をもつ商業と文化の要衝
リヨンは、ソーヌ川とローヌ川の合流点に位置し、町の起源はBC1世紀のローマ時代にさかのぼる。当時から交通の要衝で、商業都市、行政都市として栄えた。しかし、2世紀ころローマ皇帝に敵対したアルビヌスに味方したためローマ軍から攻撃され衰退していった。13世紀に絹織物業が少しずつ栄えはじめ、16世紀に出版業の中心地になり、18~19世紀にはナポレオンの保護もあってヨーロッパ最大の絹織物産地に成長した。町の北にある「絹の丘」には絹織物工房が何千と集まり、屋根のある通路「トラブール」で町の中心に運ばれる絹織物は、全世界へ輸出された。

2-6-7 ポン・デュ・ガール
文化遺産 フランス 1985年登録2007年範囲変更 登録基準①③④
● 高度な建築技術を今に伝える古代ローマの水道橋
フランス南部ニーロ近郊のガール川に架かるポン・デュ・ガール(「ガール川を渡る橋」の意)は、BC19年頃に、古代ローマの政治家アグリッパが水を供給させるためわずか5年で建造された全長50kmもの水路のうちの一部(長さ275m、高さ49m)で、3段のアーチで構成された幾何学的な美しさを誇り、完成から2000年も経った今も、ほぼ完全な姿をとどめている。

2-6-8 海事都市グリニッジ
文化遺産 イギリス 1997年登録 登録基準①②④⑥ 
● 海洋王国イギリスの表玄関
「緑の村」を意味するグリニッジは、ロンドン東部テムズ川沿いに位置し、ここにある旧王立天文台は、1675年、チャールズ2世の命で建設された。1884年、国際子午線会議で、この天文台を通る経線を経度0の地点とし、ここを太陽が通過する時刻を正午とする国際標準時(グリニッチ標準時)が定められた。大英帝国が7つの海に乗り出し、世界各地を支配した時代だが、その成功の裏には、船の位置を正確に割り出すため、経度と緯度を測定するグリニッジ天文台の天体観測技術と大工のハリソンが発明した時計の存在があった。

2-6-9 ウエストミンスター宮殿と修道院 既出1-1-9 
文化遺産 イギリス 1987年登録2008年範囲変更 登録基準①②④
◇ イギリス王室の歴史を刻む壮大な建築物群
「話し合いで問題を解決する」という議会制民主主義誕生の舞台となったのが、ロンドンの中心部にあるウエストミンスター宮殿と修道院。修道院内のチャプターハウスは、貴族と国王が税の軽減をめぐって話し合った議会政治の原点。宮殿は国会議事堂となり、今も議会政治開催の場。2008年には、由緒あるセント・マーガレット聖堂が加わった。

2-6-10  修道院の島ライヒェナウ 
文化遺産 ドイツ 2000年登録 登録基準③④⑥
● 中世に栄えた信仰の島
「幸せな島」を意味するライヒェナウ島は、スイスとの国境にあるボーデン湖に浮かぶ最大の島で、19世紀にナポレオンによって閉鎖されるまでの約1000年間は、25の宗教施設が建てられた修道院の島だった。中世の初めには、中央ヨーロッパ美術の中心で、島の南東部にある888年建造のザンクト・ゲオルグ聖堂には、ロマネスク以前オットー期の壮麗な壁画で知られる。中央部には816年建造の宝物庫を備えたザンクト・マリア・マルクス大聖堂があり、北西部には12世紀に建造されたザンクト・ペトロ・パウロ聖堂にあるフレスコ画は、ドイツ初期ロマネスク美術の遺例として希少価値が高い。


なお、「参火会」会員にはすでにお知らせいたしましたが、前回11月19日の「参火会」において、会長の酒井義夫が、2020年10月20日を最後に、「参火会会長」を辞任したいことを表明し、了承されたことをお知らせいたします。
辞任理由は、この数か月のハードな毎日が要因で体調を崩したことと、3か月ほど前に生涯を通してやり遂げねばならないプロジェクトを立ち上げたためです。酒井は、2014年5月から「参火会会長」を仰せつかりました。その後5年半、32回にわたる「昭和史を考える集い」、20回にわたる「世界遺産を考える集い」など、11月例会で60回目となった「参火会」を一度も休むことなく開催させていただきました。またその間、これまでの「壱火会」が任意団体だったのを、「ソフィア会」の正式団体に登録させてもらうなど、私なりに努力を重ねたことで、亡鴇沢武彦氏や竹内光氏が創設された「壱火会」という貴重な会を通算424回という長期にわたり継続させることができました。いきさつ上、「参火会」前半にDVD視聴を行っている「世界遺産第2シリーズ」が終了する2020年10月までは、責任を持って会長職を続ける覚悟です。

今回の「参火会後半」は、副会長の谷内秀夫氏が進行役になって、今後の会をどのように進行するかの話し合いをいたしました。毎回2~3名が近況報告することを基本とすること。また、たまたま12月15日の午後6時から放送された『TBS世界遺産』の映像を投射したところ、今年世界遺産に登録された仁徳天皇陵を中心とした「百舌鳥・古市古墳群」であり、11月の参火会で話し合われたばかりのテーマだっただけに、全員の注目が集まりました。もっと見たいという声もあがったことで、酒井が所有している最近2年間に放送された『TBS世界遺産』の96回分の映像内容を次回、全員に配布することになりました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」12月例会 参加者
 (50音順・敬称略)



  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒

2019年11月20日水曜日

第60回「参火会」11月例会 (通算424回) 2019年11月19日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第20回目 「世界遺産 第2シリーズ」⑤ アフリカ・南北アメリカ Ⅰ-2

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-5-1~20」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第5巻目の映像約90分のうちの後半 (2-5-11~20) 約45分を視聴しました。




2-5-11 イエローストーン国立公園
自然遺産 アメリカ 1978年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● マグマが織りなす世界初の国立公園
ロッキー山脈中央部の溶岩台地に位置し、総面積8900㎢(四国の約半分)にも及ぶ。この広大な自然公園のみどころのひとつは、園内のいたるところに見られる熱水現象。平均65分の周期で約4万リットルの温泉を45mも吹き上げるオールドフェイスフルをはじめデイジー、リバーサイドなど多くの間欠泉、水蒸気を噴き出す噴気孔、温泉に含まれる石灰分が固まってできたマンモス・スプリングスなど、園内の熱水現象は1万か所もあるという。ほかに滝、渓谷、大草原、川が蛇行する平原といった景観美、そこにバファロー(アメリカバイソン)、グリズリー(灰色熊)、ムース(ヘラ鹿)、エルク(赤鹿)などの大型野生動物が間近で見られなど、見所はつきない。20世紀末、オオカミの絶滅や生態系の激変、イエローストーン川上流に採鉱計画とかが指摘され、1995年に危機遺産に登録されたが、オオカミのカナダからの移植、採鉱計画の中止などの措置がとられ、2003年に危機遺産リストから除外された。ここも、世界で初の世界遺産となった12か所のひとつ。

2-5-12 カナディアン・ロッキー山脈 既出1-9-1
自然遺産 カナダ 1984年登録1990年範囲拡大 登録基準⑦⑧
◇ ロッキー山脈は北アメリカ大陸を北西から南東にかけて険しい山々が連なる世界的な大山脈のうち、北部カナダ国内に伸びる南北約1500km、幅80kmがカナディアン・ロッキー山脈。1883年に国家的事業として推進された鉄道建設がバンフまで延長され、87年にカナダ初のバンフ国立公園が誕生すると、ルイーズ湖を前景に広がる景色は世界一と称賛されるようになっていった。以後この一帯は、20世紀前半までに次々と整備され、バンフ・ジャスパー・ヨーホー・クートネーの4つ国立公園のほかに3つの州立公園が生まれ、1984年の世界遺産登録と1990年の範囲拡大により、その総面積は2万4000㎢にもおよぶ。今では、年間1千万人以上が訪れるカナダ第1の観光地となっている。いっぽう、氷河に覆われたカナディアン・ロッキーの地層からは、5億3000万年前の生物の多数の化石が発見され、それを組み合わせるとこれまで知られていなかった奇妙な生物があらわれたことで、地球上の進化の痕跡が秘められているという。

2-5-13 シアン・カアン
自然遺産 メキシコ 1987年登録 登録基準⑦⑩
● 神の住む場所としてあがめられた神秘の場所
「シアン・カアン」は、メキシコの南東部、ベリーズとの国境に近いカリブ海沿岸に広がる約5800㎢(千葉県ほど)の自然保護区。湿地、世界2位のサンゴ礁、マングローブ林など17の植生域が存在する。マヤ文化が栄えた地のひとつで、ここには川がなく、マヤ人が神の住家と考えていた場所セノーテ(石灰岩質の台地が陥落した泉・井戸)がいたるところにあり、貴重な水源になっている。セノーテの奥底には無数の鍾乳洞が続き、カリブ海へとつながっている。

2-5-14 ココ島国立公園
自然遺産 コスタリカ 1997年登録/2002年範囲拡大 登録基準⑨⑩
● サメの島と呼ばれる絶海の聖地
コスタリカ本土から約550km東太平洋上に浮かぶこの島は、スチーブンソンの小説『宝島』の舞台にもなった周囲20kmあまりの無人島。年間7000mmの雨が育む深い熱帯雨林に覆われる。最高地点は850mで、海面から崖がそそり立ち、島の名の由来にもなったココナツをはじめ230種の植物80種類の鳥、360種の昆虫が生息する。周囲から隔絶されているため固有種も多い。周辺海域にはマグロやギンガメアジ、スマガツオなどの回遊魚が集まっているため、それらの獲物をねらってシュモクザメやジンベイザメなど多数のサメの世界的生息地となっている。ココ島と周辺の海域を含め約1000㎢が国立公園に指定されている。

2-5-15 ガラパゴス諸島 既出1-10-9
自然遺産 エクアドル 1978年登録/2001年範囲拡大 登録基準⑦⑧⑨⑩
◇ エクアドル本土から西へ約1000km離れた太平洋洋上に浮かぶガラパゴス諸島は、東西300km、南北200kmの海域には、500~100万年前にできた大小約30の島と岩礁からなる。流木や鳥などが運んできた動植物は、隔絶された環境の中で独自の進化をとげ、島ごとに異なる生態系を形成してきた。ダーウィンに「進化論」を構想する契機を与えた島々として知られる。ここも、世界で初の世界遺産となった12か所のひとつ。

2-5-16 カナイマ国立公園
自然遺産 ベネズエラ 1994年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● 巨大な台地がそびえたつ地球最後の秘境
カナイマ国立公園は、ベネズエラ南東部とブラジルの国境沿いに広がる面積120万㎢のギアナ高地の中心部にあり、中国地方全域に匹敵する約3万㎢の国立公園。風雨によって削られた約20億年前の地層が、標高2000~2800mもの平らな台地となって、標高約1000mの断崖で縁どられている。この台地は「テーブルマウンテン(卓上台地)」といわれ、100以上もあるテーブルマウンテンのなかでも、標高2560mのアウヤン・テプイ(先住民の言葉で「悪魔の山」)からは、落差979mもの世界最長の滝エンジェルフォールが落下する。しかし、滝の水は途中で霧となって飛散してしまうため滝壺がない。こんな岩だらけの世界に生物は独自の進化を遂げ、原始的なカエルをはじめ、多くの固有種が特異な生態系を形作っている。発見された生物の80%近くは固有種で、異種が多い鳥類や昆虫類は、今だに全容解明に至っていない。まさに、人類がいまだ足を踏み入れたことのない数多く残され「地球最後の秘境(ロストワールド)」といえそうだ。

2-5-17 バルデス半島
自然遺産 アルゼンチン 1999年登録 登録基準⑩
● 大西洋に突き出した海生哺乳類、鳥類の楽園
アルゼンチン南部にあるバルデス半島は、南太平洋に斧のように100㎞ほど突き出した面積3600㎢のアルゼンチン最大の半島で、海岸には長さ400㎞もの断崖絶壁が続く。斧の握り手にあたる北のサンホセ湾と南のヌエボ湾は穏やかな内湾のため多く海生動物の楽園となっている。晩秋から初冬にかけては、南極海から3000頭ものミナミセミクジラが集まる世界最大の繁殖地。8月から11月上旬にはミナミゾウアザラシやオタリア(ミナミアシカ)などが集まるが、脅威となるのは海のハンター・シャチで、この季節はむきだしの生存競争が日々繰り広げられる。陸地には30種類以上哺乳類、180種類以上の鳥類が生息する。

2-5-18 ロス・グラシアレス 既出1-10-6
自然遺産 アルゼンチン 1981年登録 登録基準⑦⑧
◇ 「ロス・グラシアレス」とは、スペイン語で氷河を意味し、南米大陸最南端のパタゴニア南部に南極大陸、グリーンランドに次ぐ世界第3の氷河地帯が広がっている。氷河の氷は気泡が少なく透明度が高いため青い色をしている。氷河は2万年もの時間をかけ数百mにおよぶ氷の壁をつくる。運が良ければ大きく崩れ落ちて氷山となるドラマチックな瞬間を目にすることができる。

2-5-19 イグアス国立公園 既出1-10-4・5
自然遺産 アルゼンチン/ブラジル 1984年アルゼンチン/1986年ブラジル登録 登録基準⑦⑩
◇ アルゼンチンとブラジルの国境を流れるパラナ川の支流イグアス川の大瀑布が「イグアスの滝」。単独の滝ではなく、大小270以上の滝が連なり、最高80mの断崖を落下する水量は毎秒平均1750㎡、馬蹄型をなす滝壺の幅は2700mにも及ぶ「世界一の滝」。伝説を生んだ「月の光が作り出す虹」の初撮影に成功した瞬間を、高感度ハイビジョンカメラが追う。

2-5-20 セラード自然保護地域 (ベアデイロス平原国立公園とエマス国立公園)
自然遺産 ブラジル 2001年登録 登録基準⑨⑩
● 乾いた草原が生み出した不思議な生態系
「セラード」とはブラジル中央部の「ブラジル高原」に広がる熱帯性草原(サバンナ)のことで、北部のベアデイロス平原の面積は655㎢、最高点1678mの高地にある。エマス国立公園は南西部にあって、面積は1318㎢、地面から突き出たシロアリの塚が無数に続く。アリ塚は夜になると光を放ちはじめる。ヒカリコメツキムシの幼虫が餌になる羽アリをとるために青い光を放つためで、幻想的な光の裏で小さな命の駆け引きのドラマが展開する。この国立公園は絶滅危惧種のオオアリクイの餌場となっている地域でもある。セラード自然保護地域には、300種以上の鳥類、6万種以上の昆虫、1万種もの植物が見られ、ほとんどが固有種。


会の後半は、メンバーの酒井義夫が最近、京都・奈良・大阪(堺市)をめぐる旅をしてきたポイントをお話しいたしました。まず、① 世界遺産「古都京都の文化財」を構成する17か所のうち、賀茂別雷神社(かもわけいかづち=上賀茂神社)と賀茂御祖神社(かもみおや=下鴨神社)を訪ね、17か所をすべて制覇したこと。次に、② 世界遺産「古都奈良の文化財」を構成する8か所のうち、春日大社、春日山原始林、元興寺(がんごうじ)を訪ね、8か所をすべて制覇したこと。そして、今年の6月、世界遺産に登録さればかりの「百舌鳥(もず)・古市古墳群」のうち、世界でも類のない鍵穴形(前方後円墳)で、全長486mという最大の仁徳天皇陵古墳を訪ねた話をしました。大阪ではじめての世界遺産ということで、地元は大いに盛り上がりをみせていました。また、「百舌鳥・古市古墳群」が、古墳時代の最盛期(4世紀後半から5世紀後半)にかけて築造された45か所が構成資産とされ、日本の中心が3世紀から4世紀までの大和(奈良)から、4世紀後半から約100年間は、大陸にむかう航路の出発点であった大阪平野に移っていったことへの誇りに満ちているようでした。宮内庁の管轄下の資産が大半だったため、その詳細は謎が多いものでしたが、世界遺産になったことで多くの専門家による内部調査を拒否できず、古代史の解明が一気に進みそうな期待で、会も大いに盛り上がりました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」11月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年10月16日水曜日

第59回「参火会」10月例会 (通算423回) 2019年10月15日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第19回目 「世界遺産 第2シリーズ」⑤ アフリカ・南北アメリカ Ⅰ-1

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-5-1~20」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第5巻目の映像約90分のうちの前半 (2-5-1~10) 約45分を視聴しました。





2-5-1   大ピラミッド群 (メンフィスのピラミッド地帯) 既出1-7-2
文化遺産 エジプト 1979年登録 登録基準①③⑥
◇ 世界最長のナイル川流域は穀倉地帯に、絶対的な王(ファラオ)を中心とした古代国家が誕生した。紀元前3000年頃に成立したエジプト第1王朝で、その繁栄の象徴が紀元前2550年頃につくられた第4王朝クフ王の大ピラミッド。およそ2.5tの石を300万個を積み上げ、高さは40階建ビルに相当する巨大な建造物だ。カフラー王、メンカウラー王のピラミッドとあわせ、「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれる。

2-5-2 ティムガッド(の考古遺跡)
文化遺産 アルジェリア 1982年登録 登録基準②③④
● トラヤヌス帝治世下に建設された植民都市遺跡
アルジェリアの北東部の高原にあるティムガッドは、ローマの最盛期に存在した五賢帝の一人トラヤヌス帝が、100年ごろに退役軍人の入植地として築いた典型的なローマの植民都市。デクマヌス通りとカルド通りという2本の大通りが交差する約350m四方の正方形の町で、約20m四方の街区に区画されていた。上下水道システムは現代にも負けない完備と規模を誇り、3500人も収容できる円形劇場や公会堂、図書館、14か所の大浴場もあった。広場の落書きに「狩りをし、ゲームをし、笑う。それが人生だ」とあり、当時の住民の優雅な暮らしぶりがしのばれる。しかし、7世紀に入ってアラブ人の侵入を許すと住民は町を放棄し、8世紀の大地震で砂の中に埋没してしまった。1880年に発見されたときは非常に保存状態がよく、「アフリカのポンペイ」とも呼ばれている。 

2-5-3 フェズ旧市街 既出1-7-5
文化遺産 モロッコ 1981年登録 登録基準②⑤
◇ モロッコ1000年の古都フェズ旧市街は、首都ラバトの東170km、セブ川中流の標高370mの盆地に位置する。2.2㎞×1.2㎞の城壁に囲まれており、複雑な街並みから「世界一の迷宮都市」と呼ばれている。今でも車は入れず運搬の主役はロバ。ほとんどの人々は、町外に出ることなく一生を終えるという。

2-5-4 ジェンネ旧市街
文化遺産 マリ 1988年登録 登録基準③④
● 交易で栄え「天国」と名付けられたマリの古都
西アフリカにあるマリ南部のニジェール川とその支流の中州地帯に位置するジェンネ旧市街は、13世紀末から発展した水上交易の中継地で700年の歴史がある。16世紀末にモロッコ軍に征服されてしまったが、14~16世紀にかけて栄華をきわめた。旧市街の名を高めているのは、町の中央部に聳える大モスクで、基底部56m四方高さ11mもあり、14世紀に創建され、20世紀初めに再建された。日干しレンガを積み上げ、表面に黄土色の泥を塗った独特な工法(スーダン様式)で築かれている。1年に1度、風雨に汚れたモスクの泥壁を人々が総出で塗り直す作業は、町のビッグイベント。毎週月曜日の朝には、大モスクの前の広場で食料や衣服の市が開かれ、さまざまな部族の人々が色とりどりの民俗衣装をまとって集まってくる。その賑わいは交易都市として栄えた以前の姿を彷彿とさせる。

2-5-5 ラリベラの岩窟教会群
文化遺産 エチオピア 1978年登録 登録基準①②③
● 岩を掘って作られた驚異的キリスト教聖堂群
エチオピア高原の北東部、標高約3000mの高地に、ザグウェイ朝の第7代国王ラリベラの命により12~13世紀に築かれた11の岩窟聖堂が残っている。伝説によると12世紀末に聖地エルサレムがイスラム教徒の手に渡ってしまったことで、ラリベラ王は「新たなエルサレムを築け」という神の夢告に従って、この地に都を移し、天然の一枚岩を掘り下げるという特異な工法を用いてわずか20年ほどで完成させたとされる。この工法は、現代の技術でも再現できないほど高度なもので、第1岩窟教会群には6つの教会、第2岩窟教会群は5つの教会で構成され、ヨルダン川をはさんで南北にある。1月7日(エチオピア暦のクリスマス)には、「一生に一度は聖地ラリベラで祈りたい」という熱心な巡礼者でふくれあがる。ここは、世界で初の世界遺産となった12か所のひとつ。

2-5-6 ケニア山国立公園 (と自然林)
自然遺産 ケニア 1997年登録 登録基準⑦⑨
● 赤道直下にありながら氷河を頂く高峰
ケニア中部にあるケニア山は、アフリカ第2の高峰である5199mの主峰バティアンのほか、標高4900mを超える峰が10座以上あり、山頂部には大小12の氷河がある。世界遺産に登録されているのはケニア山国立公園とその周辺山麓を合わせた1420㎢。標高4000mを超える乾燥した山岳地帯には7m近い巨大化したジャイアントセネシオやジャイアントロベリアなど高山植物が群生していて、ここでは「高地では植物は小さい」という植物学の常識は通用しない。自然林にはアフリカゾウなどの大型動物が、比較的低地にはクロサイやヒョウなどがすんでいる。ちなみに山名であり国名のケニアは、バントゥ語でダチョウを意味し、黒い岸壁と白い氷河や万年雪がダチョウの体毛のように見えるためという。

2-5-7 セレンゲティ国立公園 既出1-8-2
自然遺産 タンザニア 1981年登録 登録基準⑦⑩
◇ タンザニア北部、ビクトリア湖南東岸にあるセレンゲティ高原に位置する。1万4763㎢の国立公園内には広大なサバンナが続いている。移動をくりかえす草食動物の160万頭のヌーや50万頭ものシマウマ。これをねらうライオンやチーター、ジャッカルなどの肉食獣との戦いは、アフリカの大自然ならではの生と死をかけた壮大なドラマ。毎年9月、ヌーの大群がマサイマラ草原からいくつかの群れに分かれ、新しい草を求めて1000kmも離れたセレンゲティ国立公園に移動を開始する。途中の川幅100mもあるマラ川を渡るヌーの姿をカメラが追う。

2-5-8 マラウイ湖国立公園
自然遺産 マラウイ 1984年登録 登録基準⑦⑨⑩
● 生命の進化のカギを握るシクリッドの生息地
四国の1.5倍もあるアフリカで3番目に大きなマラウイ湖の南端にある「マラウイ湖国立公園」は、湖に浮かぶ12の島々を含め94㎢がその範囲。湖面の標高は472mに対し、最大深度は700mを超える。湖には500種類以上の魚類が確認されているが、その中で最も数の多いのがカワスズメ(別名シクリッド)で、その種類はピーコック・シクリッドはじめ400種以上あるがそのほとんどがこの湖の固有種。この魚はオスの求愛に応えたメスは産卵すると素早く卵を口の中に入れて孵化させ、稚魚を外敵から守る習性がある。この不思議な子育ては、ガラパゴス諸島のフィンチとともに、生命の進化を解明する重要な研究材料となっている。1859年探検家のリビングストンがヨーロッパ人として初めてこの湖を発見し、イギリスの植民地となってニアサ湖と呼ばれていたが、1964年の独立を機に旧名称が復活し、国名の由来となった。

2-5-9 ビクトリアの滝 (モシ・オ・トゥニャ)
自然遺産 ザンビア/ジンバブエ 1989年登録 登録基準⑦⑧
● イグアス・ナイアガラの滝と並ぶ世界3大瀑布のひとつ
アフリカ第4の大河ザンベジ川中流にあるビクトリアの滝は、雨季が終わる3月下旬ころには幅1700m以上、落差110~150m、毎分5億リットルもの水が落下する。20kmほど離れた地点からでも水煙が確認できるといわれ、この水煙が周囲を潤しシダやツル植物など900種類もの植物を繁茂させる。20万年前に最初の滝が出来てから、滝の位置は徐々に下流から上流に移動し、現在の滝は最初の滝から80㎞も上流にあるという。浸食は毎年10cmほど進み続けるというから、壮大な滝の旅はまだまだ続く。1855年、リビングストンがこの滝を発見し、当時世界に君臨していた母国の女王にちなんで「ビクトリアの滝」と命名し、やがてこの秘境の大瀑布は西欧社会に知られるようになっていった。

2-5-10 ツィンギ・ド・ベマラハ 既出1-7-11
自然遺産 マダガスカル 1990年登録 登録基準⑦⑩
◇ 世界第4の大島、マダガスカル島の西部には、無数の針やナイフを空に突き立てたような不思議な風景が広がる。これは2億年もかけて石灰岩と大雨がつくりあげた奇観で、1520㎢もある自然保護区内の奇岩地帯の谷間には、キツネザルの仲間シファカ、ブラウンキツネザル、アイアイなど、原始の特徴を残したまま、森の木の葉を食べて生き延びている。


会の後半は、メンバーの酒井猛夫が、ここ10年以上もほぼ毎年、冬季40日間・夏季40日間、マレーシアのフレーザーズヒルで「ロングステイ」を夫妻で楽しむ理由、その魅力について、たくさんの書籍や資料を回覧・配布しながら話をしてくれました。そのポイントは次の通り。
マレーシアは、首都クアラルンプールをはじめ標高が低い場所は、年間を通しての平均気温が約28℃。それに対し、フレーザーズヒルは標高が1500mもあるため、年間平均気温が約19℃。100mにつき0.6℃下がるためで、1年を通じて春のようなすごしやすさが一番の魅力。
滞在するホテル「サザン・イン」は、1泊2食付の宿泊代が二人で4800円。NHKの日本語放送が視聴でき、目の前にあるゴルフ場は1か月の使用料が1万円で午前中に1ラウンド、ホテルで昼寝してから午後1ラウンドといった楽しみかたもできる。タクシー代が安いため、たとえばクアラルンプールからフレーザーズヒルまで100㎞以上あるのに料金は1万円。出かけたい場所があればホテルに頼むと、タクシーを用意してくれるのはうれしい。
イスラムの国なので、人口の65%をしめるマレー人は酒を飲まない。でも、20%の中国系人やわれわれ日本人・欧米人が酒を飲んでも誰も気にしない。また、マレーシア人のだれもが親日的なのは、1981年から2003年まで22年間首相をつとめたマハティールが、日本の経済成長を見習おうと「ルック・イースト政策」を掲げ、国力を飛躍的に増大させたことが要因。マハティールは、息子や娘を日本に留学させたり、日本に関する著書を何冊か著すなど熱烈な親日家で、昨年5月に92歳という高齢ながら15年ぶりに首相に復帰し、2020年に先進国入りするという目標をかかげて奮闘中とのこと。
(文責・酒井義夫)


「参火会」10月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年9月19日木曜日

第58回「参火会」9月例会 (通算422回) 2019年9月17日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第18回目 「世界遺産 第2シリーズ」④ アジア・オセアニア Ⅱ-2 

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-3-1~20」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第4巻目の映像約90分のうちの後半 (2-4-11~20) 約45分を視聴しました。




2-4-11 フエの建造物群 既出1-6-3
文化遺産 ベトナム 1993年登録 登録基準③④
◇ ベトナム最後の王朝であるグエン朝は、ベトナム中部の首都フエに、中国北京の紫禁城を手本にした王宮を造営した。鳳凰が翼を広げ、舞い降りた姿を写したという美しい外観が注目された。ベトナム戦争で建物の多くが失われたが、皇帝の即位式が行われ政務を執った「太和殿」や王宮の正門は補修が加えられ、現在も豪華な姿を保っている。儀式に使われた宮廷音楽の音色は、生き残った楽師の執念が後世まで伝えて行く。

2-4-12 ハロン湾 既出1-6-4
自然遺産 ベトナム 1994年登録2000年範囲拡大 登録基準⑦⑧
◇ ベトナム随一の景勝地ハロン湾は、中国との国境近くに位置する。伝説によると、ベトナムが外国の船に攻め込まれたとき、龍が下りてきて無数の真珠を吐き出し、その真珠が島々になって敵を防いだという。石灰岩の島々が広がる幻想的な景観をもとめて、国内外から年間200万もの人々が訪れる。

2-4-13 (古都)ルアン・プラバン
文化遺産 ラオス 1995年登録 登録基準②④⑤
● ラオス初の統一国家ランサン王国の都
敬虔な仏教徒の町ルアン・プラバンは、メコン川とカーン川の合流地点に位置し、およそ東西2㎞南北1㎞の小さな町。1358年にラオ族のファゲーム王がラオス初の統一国家ランサン王国を築いて以来、ベトナムなどの侵略やフランス植民地時代を経ても、1975年まで王都だった。戒律の厳しい上座部仏教の聖地として80もの寺院が建てられ、現在も町の人口の1割近い1200人もの修行僧が暮らし、朝の修行の一つ托鉢僧の行列は、町の名物にもなっている。

2-4-14 チャンパサックのワット・プー
文化遺産 ラオス 2001年登録 登録基準③④⑥
● クメール人が築いたヒンドゥー教寺院の遺跡群
ラオス南部、タイとカンボジアの国境付近に位置するチャンパサックは、5~15世紀の約1000年間に繁栄した古代都市。元々は、チャム族の領地だったが、5世紀にクメール族の支配下に入り、聖山プー・カオの麓にカンボジアのアンコール地域と共通する性格のヒンドゥー教寺院のワット・プーを建立した。この遺跡で現存するのは7~12世紀に建造されたもので、13世紀になるとクメール族の力は衰退。代ってラオス文化が浸透して、14世紀以降は仏教寺院に衣替えして、今も村人たちの信仰を集めている。

2-4-15 スコタイと周辺の歴史地区 既出1-5-10 
文化遺産 タイ 1991年登録 登録基準①③
◇ 13世紀、タイの首都バンコクから北へ約450kmの位置にあるスコタイにタイ民族初の統一国家スコタイ朝が興った。王朝は仏教を手厚く保護したことで数多くの寺院が今も残る。仏教国タイの心のふるさとともいえるスコタイには、天から下り自ら民衆に歩み寄るタイ独自の仏「遊行仏」が誕生した。ワット・マハタ―トは、スコタイ最大の王宮寺院で、200m四方の境内に、18の聖堂と200以上の塔が立ち並ぶ。

2-4-16 バン・チェン遺跡
文化遺産 タイ 1992年登録 登録基準③
● 東南アジアの先史時代を語る考古遺跡
タイ北東部に位置するコラート高原一帯にあるバン・チェン遺跡は、1966年にアメリカ人学生が土器の破片を見つけたことから、古代文明発見のきっかけとなった。1971年に本格的な調査が行われ、土器などの測定から、中国やインドの影響を受けない独自の文明の存在が確認された。バン・チェン文化は、紀元前1500年~後300年頃との説が有力。

2-4-17 インドの山岳鉄道群 (旧・ダージリン・ヒマラヤ鉄道)
文化遺産 インド 1999年登録/2005・08年範囲拡大 登録基準②④
● インドにおける鉄道事業の基礎をつくった3つの山岳鉄道
1999年にダージリン・ヒマラヤ鉄道が登録され、2005年にニルギリ鉄道、2008年にカールカ・シムラー鉄道が追加登録された。ダージリン・ヒマラヤ鉄道の開通は1881年で世界最古の山岳鉄道。2両の客車を牽引する蒸気機関車は標高差2000mを8時間かけて走る。1926年製造の機関車は丁寧に整備され、いまだに現役で走る。

2-4-18 ペルセポリス
文化遺産 イラン 1979年登録 登録基準①③⑥
● アケメネス朝ぺルシアの繁栄を象徴する都
イラン南部の丘陵地にあるペルセポリスは、紀元前6~4世紀にオリエント全土を統一して大帝国を築いたアケメネス朝ペルシアの王都で、ダイオス1世の命により、紀元前520年から60年をかけて建造された。繁栄をきわめたペルシア帝国だが、やがてギリシャと衝突した。紀元前330年にはマケドニアのアレクサンドル大王軍の総攻撃を受け、栄華を誇った王宮も炎に包まれて廃墟と化してしまった。現在は、あちこちに残るレリーフが往時の繁栄ぶりを伝える。

2-4-19 エルサレム旧市街地と城壁
文化遺産 イスラエル(ヨルダンの申請) 1981年登録/1982年危機遺産 登録基準②③⑥
● 紛争の舞台となった3宗教の聖地
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地。ユダヤ教の聖地はソロモン王の神殿の一部と「嘆きの壁」、キリスト教の聖地はイエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘に建つ「聖墳墓教会聖堂」、イスラム教の聖地はムハンマドが天界に旅だった聖なる岩を守る「岩のドーム」。現在、ほぼ1㎞四方の旧市街は、16世紀のオスマン帝国時代に築かれた城壁に囲まれ、ユダヤ教徒地区、キリスト教徒地区、イスラム教徒地区、アルメニア人地区の4つに大きく分かれている。しかし、パレスチナとイスラエルの紛争に加え、急激な都市開発の進行、観光被害、維持管理費の不足などを理由に、1982年に危機遺産リストに登録されたままにある。

2-4-20 タスマニア原生地帯
複合遺産 オーストラリア 1982年登録/1989年範囲拡大 登録基準③④⑥⑦⑧⑨⑩
● 太古の自然を残す未開の島
オーストラリア大陸から海に隔てられ、原生林には太古の森の面影の残るタスマニア島の南西部にある5つの国立公園を含む1万3836㎢が登録地区。原始的な動物も生き残り、独自の進化を遂げてきた。ハリモグラ、カモノハシ、タスマニアデビルなどの他、海底にはウミエラなど驚くべき野性の世界が広がっている。ナンキョクブナを中心とした冷温帯性雨林が広がり、ヒューオンパインや高木ユーカリなど島固有の植物も多い。


会の後半は、メンバーの山本明夫氏が、数か月前にツァーに参加した「ネパール9日間の旅」を、たくさんの写真や動画をスクリーンに投射しながら、体験レポートをしてくれました。
この旅の最大の目的は、世界最高峰のエベレスト(8848m)を、遊覧飛行機から間近に見ることでした。カトマンズ空港からの飛行機が飛ぶチャンスは3度あったそうですが、1回目は飛行機内に4時間待機するものの天候不良のため出発できず、2度目も天候が回復せず、最終日になんとか40人乗りの3機が待機。ついに3機目に乗れ、乗客40人が交代でコックピットに招かれて、エベレストを間近に目にするという念願がかなえられました。
その他、ナガルコットのホテル屋上からの360度四方のすばらしいヒマラヤ展望を体験し、チトワン国立公園内のサファリでは、尾長ザル、3mもの孔雀、一角サイ、10mもあるワニなどを間近で観察、ポカラではノートラの丘からヒマラヤの夕暮を楽しみました。最終日のエベレスト遊覧飛行後の夕食は、ヒマラヤソバを食べながら、ネパール民俗舞踊ショーを観賞し、満足のゆく旅を終えたそうです。
(文責・酒井義夫)


「参火会」9月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 深澤雅子   文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年8月28日水曜日

第57回「参火会」8月例会 (通算421回) 2019年8月20日(火) 実施

毎年8月の例会は、上智大学の「ソフィアンズクラブ」が夏季休暇のために、「参火会」も休みとしてきました。今回はメンバーの竹内光氏の提案により、「納涼参火会」として、内幸町にあるプレスセンタービル9階「日本記者クラブ」のサロンで懇親会を開催することになりました。

集合場所は、2018年3月末にオープンしたばかりの新名所『ミッドタウン日比谷』で、事前に24ページの「フロアー・ガイド」がメンバーへ配布され、各自が自由に内部を見学した後、午後4時に地下1階中央付近にある「セブンイレブン」前に、7名の参加者全員が集合しました。

その後、竹内氏の案内で、6階にある空中庭園「パークビューガーデン」を訪れました。目の前に「日比谷公園」から、「皇居」へと続く緑が広がる眺望に、「東京にも、こんなに緑があったのか」と、感嘆の声があがりました。特に、日比谷公園の向かい側に見える官庁街は、毎日新聞の政治部記者だった竹内氏にとっては、職場の一部のように身近だったせいか、一つ一つの建物の名称・解説はとても興味深いものがありました。

その後は、日比谷公園内をゆっくり歩きながら、プレスセンタービルへ行く予定でした。ところがあいにく雨が降りだしたことで、日比谷駅から1駅先の「霞ヶ関駅」まで地下鉄で移動し、地下を歩いたまま「プレスセンタービル」に到着、エレベーターで9階のサロンへ5時ころに着きました。ふだんは、数十人が入れるサロンはけっこう混んでいるとのことでしたが、当日はわずかの人たちしか利用しておらず、貸し切り状態に近いものでした。

まもなく、飲み物や食べ物が用意されると7人が向き合って座り、懇親会が始まりました。「ソフィアンズクラブ」では時間が2時間に限定され、それぞれが遠くに離れているためか、なかなか気軽に話が出来ないのに対し、ここでは大いに話が弾み、大いに飲み食い、しゃべりまくりの2時間半を過ごしました。その後、竹内氏の案内で、10階にある「日本記者クラブ」の会見場を案内してもらってから解散しましたが、それぞれの表情は、満足感にあふれているように思いました。

翌日のNHK7時のニュースで、来年のパラリンピック出場予定者らの記者会見が、前日訪問したばかりの「日本記者クラブ」の会見場でおこなわれているのを視聴するにつけ、今回のような貴重な見聞を”追体験”することが出来て、納涼を兼ねた何よりの参火会でした。(文責 酒井義夫)


「参火会」8月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 草ヶ谷陽司  文新1960年卒 
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原  勉  文英1966年卒
  • 竹内 光   文新1962年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒  
  • 向井昌子   文英1966年卒
  • 山本明夫   文新1971年卒



なお、7月の「参火会」例会の最後に、メンバーの菅原勉氏が、今年5月の「春の叙勲」を受けられたという話を聞き、当日のメンバー全員が「受賞おめでとう」の拍手を贈りました。その受賞写真を、ぜひこのブログに掲載したいと氏に依頼し、この度メールを送ってもらいましたので、ここに掲載させていただきます。




春の叙勲者は、ほとんどが公務員で、民間での受賞はきわめてめずらしいものです。菅原勉氏が40年以上にわたり、外国語学部英語学科教授 (現・同学科名誉教授)として「音声学分野」で多大な研究成果をあげられたことが、高く評価されたものです。

2019年7月17日水曜日

第56回「参火会」7月例会 (通算420回) 2019年7月16日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第17回目 「世界遺産 第2シリーズ」④ アジア・オセアニア Ⅱ-1 

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-3-1~20」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第4巻目の映像約90分のうちの前半 (2-4-1~10) 約45分を視聴しました。




2-4-1   屋久島 既出1-12-7
自然遺産 鹿児島県 1993年登録 登録基準②③
◇ 屋久島は面積約500㎢(東京23区ほど)のほぼ円形の島。海岸部の年間降水量は平均4000㎜を超え、九州最高峰1935mの宮之浦岳はじめ1000m以上の山が30峰もあり、これらの山頂では年間降水量は1万㎜にも達する。植物は海岸から山頂まで急勾配で垂直に分布しているが、やせた土壌のため少しずつしか成長しない。樹齢1000年を超えるものが「屋久杉」と呼ばれ、なかでも「紀元杉」は樹齢3000年、「縄文杉」は樹齢7200年といわれる。

2-4-2   日光の寺社 既出1-11-6
文化遺産 栃木県 1999年登録 登録基準①④⑥
◇ 江戸の工芸や建築の粋をこらして建てられた日光の社寺は、人工美の極致といわれる。湿気の多い日光で木造の建築を守ってきたのは、漆と漆塗りの修復工程を忠実に守る職人たち。彩色職人の名人が、日光の彩色を語ってくれる。

2-4-3   姫路城 既出1-11-5
文化遺産 兵庫県 1993年登録 登録基準①④
◇ 白漆喰で仕上げられたことで、舞い立つ白鷺にたとえられて「白鷺城」の別名のある姫路城は、その優美さで日本の城郭建築の最高傑作といわれる。いっぽう江戸時代初期に築かれたこの城は、鉄砲や弓矢を放つ「狭間」や「石落とし」などの実戦的がほどこされた難攻不落の要塞でもあった。太平洋戦争末期の大空襲にもほぼ無傷で残ったものの経年劣化が激しかったことで、1956年から「昭和の大修理」と呼ばれる8年にわたる解体修理が行われ、名城は蘇った。

2-4-4   厳島神社 既出1-12-4
文化遺産 広島県 1996年登録 登録基準①②④⑥
◇ 古来から信仰の対象だった安芸の宮島(別名厳島)に、1168年に壮大な社殿が作られた。平清盛が平家一門の栄華を願って造営した厳島神社だ。島の緑を背景に、朱塗りの神殿が海にせり出し、海上神殿という世界でも稀な風景をつくりだしている。

2-4-5   秦の始皇帝陵(と兵馬俑坑) 既出1-6-6
文化遺産 中国 1987年登録 登録基準①③④⑥
◇ 西安の東部にある秦の始皇帝陵は、中国全土を統一した中国史上最初の皇帝の陵墓。そのかたわらで発見された驚異的な遺跡が「兵馬俑坑」だ。兵士や軍馬の像約8000体で構成された、始皇帝が黄泉の国を支配するために作り出した地下の大軍団といえる。

2-4-6   蘇州の古典庭園 既出1-6-7
文化遺産 中国 1997年登録2000年範囲拡大 登録基準①②③④⑤
◇ 長江下流の町蘇州には、明・清時代に官僚や文人たちが作った庭園が数多く残る。それらの一つで蘇州随一を誇る「拙政園」は、桃源郷伝説に基づいてつくられた庭園で、庭の主である文人は桃源郷に身を置き、詩を読んだり、絵を描いたりしながら隠遁生活を楽しんだ。

2-4-7   黄龍 既出1-6-13
自然遺産 中国 1992年登録 登録基準⑦
◇ 黄龍は、成都市の360㎞北にある雪宝山(5588m)を主峰に3000m以上の高地にある棚田のような池と青い水が美しい観光地。ここで最も不思議な所が693の湖沼からなる「五彩池」で、池が連なっているのに緑・黄・青・白・金と違う色が見えてくる。

2-4-8   麗江
文化遺産 中国 1997年登録 登録基準②④⑤
● 納西(ナシ)族の営みを今に伝える古都
中国南西部の雲南省北西部に位置する麗江は、万年雪をいただく5596mの玉龍雪山のふもと2400mの高地にある。12世紀末~13世紀初め、茶葉の交易のためにこの地を訪れたナシ族が建設して以来、800年もの歴史を持つ。世界遺産に登録されたのは、麗江の中心にある旧市街と白沙・束河の二村で、少数民族ナシ族が暮らしている地域。ナシ族はチベット・中国両文化を吸収し、トンパ文字という独特の象形文字を持っている。四方街と呼ばれる広場を中心とした旧市街は、石畳の道が網目のように広がり、水路がめぐらされ、その両側に瓦屋根2階建て木造家屋が軒を重ねる姿は、古い日本の街並みと似ているという。

2-4-9   雲南(保護地域)の三江併流(群)
自然遺産 中国 2003年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
● アジアを代表する3つの大河の源
「雲南(保護地域)の三江併流(群)」は、中国のチベット高原に源を有する3つの川、長江上流部の金沙(きんさ)江、メコン川上流部の瀾滄(らんそう)江、サルウィン川上流部の怒(ど)江が、長さ170㎞にわたって平行に流れ、14の保護された地域からなる。面積は4万㎢にもおよび、6000種もの植物や中国全土の1/4にも及ぶ700種以上の動物が生息し、チベット・リス・ナシ・スー族など16の少数民族が暮らす多民族居住地域でもある。巨大な龍のような川が、山を巻くように流れる様は自然に宿る神のような存在で、自然の恵みに感謝する暮らしが営まれている。

2-4-10 ボロブドゥール寺院 既出1-5-8
文化遺産 インドネシア 1991年登録 登録基準①②⑥
◇ 1814年、ジャワ島中部の密林でピラミッドのような大建造物が発見された。これが8~9世紀に建てられたボロブドゥールと呼ばれる奇抜で複雑に構成された仏教寺院だった。4面すべて最上階の大ストゥーバへ通じる階段があり、各層の階段入口には鬼や龍で装飾されたアーチ門がある。大乗仏教の宇宙観を表す「曼荼羅(まんだら)」、または仏教の世界観を表す「三界」(欲界・色界・無色界)など、さまざまな説が唱えられている。


後半は、メンバーの竹内光氏から、8月20日に行われる「納涼参火会」の説明(具体的には8月初旬に全員へ通知) が行われ、続いてメンバーの菅原勉氏が5月8日から「紺碧に輝くギリシャ・エーゲ海クルーズ10日間の旅」にでかけた体験を、70枚近い写真をスクリーンに投射しながらレポートしてくれました。その1か月前の4月に、ほぼ同じコースを体験した小田靖忠氏がサポートしてくれました。船の中に泊まる3泊4日のエーゲ海クルーズでは、全員が避難訓練をしたあと、まさに紺碧の海・海・海の感銘、充実した船内食堂・シアターなどの娯楽施設や宿泊施設、トルコに上陸して世界遺産「エフェス(エフェソス)」遺跡を見学したり、エーゲ海最大の島でエーゲ文明発祥の地「クレタ島」や、サントリーニ島に寄って首都アテネに帰着。世界遺産となっているパルテノン神殿を中心に古代ギリシャ建築の最高峰で、戦いと知恵の女神アテナに由来する神殿群「アクロポリス」やオリンピア観光。古代世界の中心とされ「世界のへそ」と呼ばれたアポロの神託で知られる世界遺産「デルフォイ遺跡」。崖の上の奇岩に建つ24の修道院のある世界遺産「メテオラ」など、まるで、全員がいっしょに旅をしているような、臨場感あふれるものでした。全員に代わり、両氏に感謝を申し上げます。
(文責 酒井義夫)


「参火会」7月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒 
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 深澤雅子    文独1977年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年6月19日水曜日

第55回「参火会」6月例会 (通算419回) 2019年6月18日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第16回目 「世界遺産 第2シリーズ」③  アジア・オセアニア Ⅰ 

4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

前半は、下記資料「2-3-1~20」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第3巻目の映像約95分を視聴しました。




2-3-1   白神山地 既出…1-12-5
自然遺産 青森・秋田県 1993年登録 登録基準⑨
◇ 白神山地は約8000年前に形作られた世界でも最大級のブナの原生林。強い復元力を持つブナは豪雪に耐え雪解けとともに芽吹き大きな葉が雨を根元に蓄え、初雪が降るまで葉を落とさない。生長が遅く20mの高さになるまでに100年かかる。里の人たちは今も、森の奥に「白い神」が住むと信じる。

2-3-2   白川郷・五箇山 既出…1-12-1
文化遺産 岐阜・富山県 1995年登録 登録基準④⑤
◇ 日本有数の豪雪地帯の飛騨高地にある集落で、屋根が両手を合わせたように見える合掌造りの家屋で知られる。茅葺き屋根の葺き替えは40~50年に一度、田植え前の農閑期に村人総出で行われる。そこには、暮らしを支えあってきた人々のつながりと伝統がある。

2-3-3   知床 既出…1-12-6
自然遺産 北海道 2005年登録 登録基準⑨⑩
◇ アムール川(黒竜江)の大量の真水がオホーツク海に流れ込んで流氷が生まれ、北風と海流によって知床半島まで運ばれる。流氷には栄養分が溶け込んで知床の海は豊かな生命をはぐくみ、オキアミなどのプランクトン・小魚・スケトウダラと生と死の循環がくりかえされる。河川にはサケやマスが遡上してヒグマやキタキツネ、シマフクロウなどの鳥類を支える。

2-3-4   高句麗古墳群
文化遺産 北朝鮮 2004年登録 登録基準①②③④
● 謎多き高句麗文化をつたえる壁画古墳
「高句麗古墳」は、4~7世紀(騎馬民族の高句麗王国中・後期)に今の中国東北部から朝鮮半島北部につくられたもの。墓室内部に美しい壁画を残す古墳は約100基あるが、北朝鮮の首都ピョンヤン近くの16基の古墳が登録された。壁画は王を先頭とする華やかな行列から台所での調理の様子まで多岐にわたる。日本の高松塚古墳に描かれた女性像そっくりのものもあり、高句麗王国が日本と深い結びつきがあったことがわかる。この「高句麗古墳群」と同時に、中国では「古代高句麗王国の首都と古墳群」が登録された。なお、日本と北朝鮮には国交がないため、入国には中国ビザの代理申請をし、中国総領事館から認定を受けたツアーに参加する方法などがある。

2-3-5   九寨溝 既出…1-6-12
自然遺産 中国 1992年登録 登録基準⑦
◇ 渓谷(溝)にチベット族の暮す村(寨)が9つあることから「九寨溝」の名がついた。大小100を超える湖が数珠のように50㎞もつながる秘境。海底が隆起したことで多量の石灰が岩や土砂に付着し、水の色が微妙に変化する神秘的な景観を作り出す。

2-3-6   武陵源
自然遺産 中国 1992年登録 登録基準⑦
● 地殻変動によって隆起した「奇岩の森」
武陵源のある湖南省は、中国大陸を西から東に流れる長江(揚子江)中流部に位置する。「武陵源」は、標高1000mの山岳地帯にあって、高さ100~400mの巨大な岩(珪岩=けいがん)の柱が3100本以上も林立する秘境中の秘境。2500年ほど前から少数民族トゥチャ族やミャオ族が、外部と切り離された独自の社会を作ってきた。この一帯はもともと海で、1億8千万年前から続く地殻変動により隆起した海底の石英砂岩層が風化したことにより、独特の景観となった。総面積380㎢のうち、中心地区の7割が一般公開されている。なかでも「天子山自然保護区」は武陵源随一といわれ、雲海に浮かぶ壮大な奇岩の森はまさに絶景。ロープウェイを利用すれば雄大な景観を楽しむことができる。「張家界国家森林公園」には、標高1200mの黄石寨山頂から、深い森と岩峰群が織り成す山水画さながらの世界を一望に収められる。「袁(えん)家界自然保護区」は、標高1000mほどのところに断崖絶壁の絶景が続き、山頂へは50名ほどを一度に運ぶ百龍エレベーターで上ることができる。また、武陵源には氷河期を生き抜いた落葉高木キョウドウをはじめ3000種以上の植物、チュウゴクオオサンショウウオなど絶滅危惧種を含む希少動物も多く生息する。

2-3-7   アユタヤと周辺の歴史地区 既出…1-5-9
文化遺産 タイ 1991年登録 登録基準③
◇ 「アユタヤ」はチャオプラヤ川など3河川が合流する中州にあり、14世紀に成立したアユタヤ王朝の都・インドシナ半島を支配した国際都市として400年間も繁栄した。アユタヤ朝33人の王はスリランカ系の上座部仏教(小乗仏教)を篤く信仰し、約400の寺院を建設した。アユタヤに残る仏塔には仏舎利の代わりに王たちの遺骨が収められ、仏像は仏陀であると同時に王の肖像でもあった。

2-3-8   アンコール遺跡群 既出…1-5-11
文化遺産 カンボジア 1992年登録 登録基準①②③④
◇ 1113年、国内を統一したスールヤヴァルマン2世が30年余の歳月をかけて建設したアンコール・ワットは、ヴィシヌ神を祀るヒンドゥー教の寺院で、クメール王国の栄華を伝える聖なる遺構。1432年にタイのアユタヤ朝にほろぼされるまで26人の王を輩出し、インドシナ半島の大半を支配した。1860年に博物学者に発見されて世界の注目を集めたものの、1970年代にカンボジアの内戦が始まると、アンコールの遺跡群も破壊や崩壊の危機にさらされた。1991年に停戦後は、日本の上智大をはじめとする国際的な修復支援や保存作業が行われ、往時の姿がよみがえりつつある。

2-3-9   古都ホイアン 既出…1-6-2
文化遺産 ベトナム 1999年登録 登録基準②⑤
◇ 外国との交易で発展したホイアンは、17世紀には日本商人が数百人も訪れ、日本町もあった。1593年日本人が建設した屋根付きの橋・日本橋は、鎖国によって日本人が去った後に中国商人が架け替えて来遠橋と呼ばれ、今も行き交う人に利用されている。多様な文化を取り込んだ古い街並みの港町もやがて中国風になっていった。現在、中国人薬商の家や漁師の家などが往時の姿で残っており、一部が一般公開されている。

2-3-10 ミーソン聖域 既出…1-6-1
文化遺産 ベトナム 1980年登録 登録基準④
◇ ミーソンは、7世紀からベトナム中部に栄えたチャンパー王国の聖地。王国はインドネシア系チャム族が築き、ヒンドゥー教が信仰されたことで13世紀までにシヴァ神を祀るたくさんの宗教施設が建てられた。とくに歴代の王たちによる70以上の塔がミーソン遺跡の特徴。塔には王の姿のシヴァ神が祀られ、無数の彫刻が飾られていた。ベトナム戦争での破壊を乗り越え、今も修復が続く。

2-3-11 グヌン・ムル国立公園 既出…1-6-18
自然遺産 マレーシア 2000年登録 登録基準⑦⑧⑨⑩
◇ ボルネオ島北西部にあるグヌン・ムル国立公園には、標高2371mのグヌン・ムル山などの高山が聳え、広大な熱帯雨林が拡がる。森は動植物の宝庫であり、地下は世界最大規模の洞窟群がある。4つの洞窟が公開されているが、ボルネオ島最大の洞窟ディアケーブでは、晴れた日の夕暮に数百万羽というグールドカグラコウモリの群れが餌を求めて飛び立つ幻想的な光景に出会える。ジャングルには哺乳類67種、チョウ281種、鳥類262種が生息する。

2-3-12 ビガン歴史地区
文化遺産 フィリピン 199年登録 登録基準②④
● スペイン植民地時代の情緒あふれる港町
ルソン島の南シナ海を臨むビガンは、16世紀後半スペインに征服され、中国やメキシコとの交易で発展した。南北1㎞の石畳には約30軒のスペイン風の重厚な石造の建物が軒を連ね、西洋風の街並みを今に残す。第2次世界大戦で焼失の危機にあったとき、街を救ったのは日本軍の司令官によるフィリピン人の妻と二人の娘への愛だった。

2-3-13 コルディエラの棚田
文化遺産 フィリピン 1995年登録 登録基準③④⑤
● 2千年にわたって受け継がれた棚田
ルソン島北部に位置するコルディエラの山裾に連なるライステラスと呼ばれる棚田は、少数民族イフガオ族によって作られたもので、標高1000~2000mの斜面に広がっている。この棚田を生んだ農耕技術は、2千年にわたって口承によって受け継がれ、急斜面に沿って広がる景観は「天国への階段」と呼ばれてきた。棚田の畦をつなげると、2万㎞にもなり地球を半周するという。棚田の幅は2~3m、壁や石垣の部分は30㎝ほどしかないため、農作業は水牛を使うことがあるもののほぼ人力で行われる。しかし、米を大切にし、自給自足の生活をしてきたイフガオ族は、いま転機を迎えている。棚田に水を供給してきた森は、伐採によって水を蓄える力を失いつつあり、村にも貨幣経済の波が押し寄せて若者が出稼ぎをするようになってきたこともあり、2001~12年までこの地は危機遺産リストに登録された。ユネスコは伝統的な知識を次世代に伝えるための活動などの保全対策を進めている。

2-3-14 タージ・マハル 既出…1-5-7
文化遺産 インド 1983年登録 登録基準①
◇ 17世紀にムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、36歳の若さで亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのために建てた霊廟建築。白亜の大理石が柔らかな曲線を描くドーム、天国の象徴である星型の文様が芝生や敷石にも使われる庭園など、イスラム文化の様式で貫かれている。

2-3-15 モヘンジョダロ遺跡
文化遺産 パキスタン 1980年登録 登録基準②③
● インダス文明最大の計画的都市遺跡
世界4大文明のひとつのインダス文明は、BC2000~1800年頃インダス川流域に興り、1850年代にハラッパー遺跡が発見されたのがきっかけとなって、今日までに東西1600㎞、南北1400㎞もの広大な地域に300近い遺跡が発見されている。モヘンジョダロ遺跡は、1922年にインド人考古学者によって発見され、その後の詳細な調査により、優れた水利システムで上下水道が完備され、排水溝は道路に沿って伸びているなど、高度に発達した文明による計画都市であることが判明した。丘の上に神官階級が住んでいた城塞地区と庶民が居住していた市街地区に二分される。城塞地区には穀物倉庫・大沐浴場・集会所など公共施設が設けられており、なかでも12×7mの大沐浴場は宗教儀式などが行われた重要な施設と考えられている。市街地区は、都市計画が行き届き、幅10mの大通りをはじめ碁盤目状に区画され、通りに排水溝やごみ箱が設けられた衛生的な都市だった。しかし、現在は地下水位が上昇し、塩害により遺跡崩壊の危機に瀕している。

2-3-16 聖地キャンディー 既出…1-5-16
文化遺産 スリランカ 1988年登録 登録基準④⑥
◇ キャンディー王朝が16世紀に建てた「仏歯寺」は、仏陀の糸切り歯を祀る寺。王権の象徴である仏歯を年に一度持ちだす「ぺらへら祭」では、仏歯を乗せたゾウを中心にした行進が10日間も続く。災いを払う火の粉がまき散らされ、祭りはクライマックスを迎える。

2-3-17 ペトラ 既出…1-7-12
文化遺産 ヨルダン 1985年登録 登録基準①③④
◇ ペトラは、2000年前に砂漠の隊商を支配した古代ナバテア王国の都だった。土木技術や芸術にも優れた才能を発揮し、巨大な砂岩を刻んで壮麗な建物をつくり、900㎢の地域に王宮をはじめ、劇場、神殿、浴場など800もの建物を残したと推定されている。

2-3-18 バム遺跡
文化遺産 イラン 2004年登録2007年範囲拡大 登録基準②③④⑤
● 交易で繁栄したオアシス都市
イラン南部高原の砂漠地帯にあるバムは、紀元前にさかのぼる歴史を持ち、7~11世紀にシルクロードとインドへの交易路交差する交通の要衝として全盛期を迎えた。絹や綿製品の生産地としても知られ、古くからカナートと呼ばれる地下用水路を活用して、豊かなオアシス生活が営まれていたと推定される。16~18世紀に度重なる異民族の侵入で無人となった。2003年の大地震で潰滅的被害を受けたが、ユネスコはバムの復興支援も兼ねて2004年に登録すると同時に危機遺産にも緊急登録した。そして2013年6月、遺跡の修復・保全活動が評価されて危機遺産リストから除外された。かつての姿を再現する大きな手がかりとなったのは、NHKが地震前に撮影した映像だったという。

2-3-19 カッパドキア 既出…1-4-9
複合遺産 トルコ 1985年登録 登録基準①③⑤⑦
◇ トルコ中部にあるカッパドキアは、「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩が林立していることで知られているが、ここには数千年におよぶ人の営みがあった。岩山の穴にキリスト教徒たちはフレスコ画で修飾した教会を作った。その後、敵の攻撃から身を隠すために地下8階にも及ぶ地下都市へと発展する。

2-3-20 ニュージーランド亜南極諸島
自然遺産 ニュージーランド 1998年登録 登録基準⑨⑩
● 暖流と寒流の合流する多様な生物の繁殖地
「ニュージーランド亜南極諸島」の登録範囲は、ニュージーランドの南200㎞のところにあるスネアーズ諸島・アンティポデス諸島・オークランド諸島・バウンティ諸島・キャンベル島と島々の周囲約22㎞の区域で、総面積は約764㎢。多くの貴重な昆虫・鳥類・植物などが生息していて、現在確認されている鳥類は約120種、海鳥は40種に及ぶ。スネアーズ諸島の近海では、寒流と暖流が衝突して大量のプランクトンが発生し、それを食べる魚類がたくさん集まってくるため、鳥たちにとっては絶好の繁殖地となっている。スネアーズ・ペンギンは、海辺から4時間も歩き通し、森の奥にたどり着く。ペンギンの祖先は森の中に巣を作る海鳥で、この島のペンギンは太古の暮らしを留めている。また、絶滅危惧種のニュージーランド・アシカの95%が亜南極諸島に生息している。生態系を維持するため、この地域への立ち入りは厳しく制限されている。


今回は、「2-3-8  アンコール遺跡群」視聴後に、この遺跡がカンボジア内戦により破壊や崩壊の危機におちいったこと。1993年に上智大学の石澤良昭教授を中心とした「アンコール遺跡調査団」が結成され、修復支援や保存を行ったことで2004年に危機遺産リストから脱し、今も活動を続けていること。その活動への支援のきっかけがNHKの「プロジェクトX」の感動的映像だったことから、過去16回にわたる「世界遺産を考える集い」で視聴してきたDVDの貸出制が提案され了承されたことから、次回例会で詳細内容プリントを用意することになりました。
後半は、NHKに復帰した山本明夫氏の近況報告でしたが、前回に続き今回も中途半端に終わって失礼しました。そこで、次回以降は映像の視聴は1/2とすることにしたいと考えております。なお、今回初参加のイザンベール真美さんは、「法国卒」とありますが、「法学部国際関係法律学科卒」で外国語学部フランス語学科(外仏)からの転部だそうです。卒後は、東京大学大学院国際関係論博士課程を修了し、現在、上智大学と東京外語大学で政治学・国際政治学の講師をされています。蕨南暢雄氏の紹介によるもので、今後は常連メンバーとして参加してくれることを期待いたします。
(文責 酒井義夫)


「参火会」6月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • イザンベール真美 1990年法国卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒 
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年5月22日水曜日

第54回「参火会」5月例会 (通算418回) 2019年5月21日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第15回目 「世界遺産 第2シリーズ」② ヨーロッパ Ⅱ 

前回(4月例会)から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

前半は、下記資料「2-2-1~20」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第2巻目の映像約95分を視聴しました。




2-2-1   ポンペイ遺跡  既出…1-3-5
文化遺産 イタリア 1997年 登録基準③④⑤
◇ 紀元79年ベスビオ火山の大噴火により人々の平和な生活は一瞬にして奪われた。1700年後の発掘によって、当時の街並みと人々の暮らしぶりが火山灰の下から出現した。

2-2-2 サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院
文化遺産 イタリア 1980年登録 登録基準①②
● レオナルド・ダ・ヴィンチの不朽の名作が残された修道院
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は、15世紀半ばにドメニコ会の修道院としてゴシック様式でつつましく建てられていた。これを1492年、ミラノ公ルドヴィコは、一族の霊廟にするため、ルネサンス建築の先駆者で当世一の建築家ブラマンテに再建を依頼すると、ブラマンテは聖堂の北側に、修道院の景観を見渡すルネサンス様式の回廊を造り、 巨大な円蓋を載く内陣を新たに建設した。さらにミラノ公は1494年、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチに、修道院に隣接する食堂の壁画に『最後の晩餐』の制作を依頼した。2年後、縦4.2m横9.1mの大画面となって完成した作品は、「この中に裏切り者がいる」と、イエス・キリストとその言葉に驚愕して動揺する使徒たちを描いたもので、磔刑前夜の劇的瞬間を描いた芸術史に新しい時代を開いた名作として讃えられている。当時の壁画は、漆喰を塗った壁に水で溶いた顔料で描くフレスコ画が主流で、漆喰が乾く前に一気に仕上げねばならず、作業の中断や描き直しは不可能だった。気が乗らないとすぐに仕事を中断し、熱中すれば何度でも描き直したダ・ヴィンチは、中断や描き直しができるテンペラ画法(乾いた壁に、顔料を卵などの溶剤で練った絵の具で描く)を選択した。ところが、テンペラは絵の具が壁に染み込まず、やがて湿気で剥落する運命にあった。完成してまもなく、絵には細かい亀裂が生じていたため、ダ・ヴィンチは、それを一度は塗り直したものの、ミラノを去り、以後、この絵に執着することはなかった。剥落は次第に激しくなり、50年後には絵の多くが傷んでいた。18世紀の修復家は、油彩で筆を入れ、原画を描き変えるなど強引な修復が行われ、これは美術ファンの期待を裏切るものだった。1977年に、本格的な修復活動が始まった。修復家のピニン・ブランビッラが中心になり20年以上の歳月をかけたもので、表面に付着した汚れなどの除去、レオナルドの時代以降に行なわれた修復による顔料の除去が進められたことで、後世の修復家の加筆は取り除かれ、「キリストの口が開いていた」「背景の左右の壁にある黒い部分には花模様のタペストリがかけられていた」などが新たに判明するなど、この執念の修復で、500年ぶりにダ・ビンチの原画が復活した。
  
2-2-3 サヴォイア家の王宮
文化遺産 イタリア 1997年登録2010年範囲変更 登録基準①②④⑤
● 名門家が代々築いたバロック建築の街並み
イタリア北西部のトリノにあるサヴォイア家の王宮や邸宅群は、フランス出身だった同家が領土を拡げ、その支配力を誇示するために建設した。サヴォイア家は、11世紀ころにアルプス地方サヴォアに興った家系で、13~15世紀に北イタリアに領土を拡大し、1416年にサヴォイア公国となった。16世紀半ばにサヴォイア公国は首都をトリノに移し、王家の権勢を示すために王宮の建設と都市の整備を命じると、当時のトップクラスの建築家や芸術家が集められ、トリノ市街の宮殿から狩猟小屋に至るまで、設計・装飾された。建築事業は後継者にも引き継がれ、17~18世紀には、4階建ての建物が整然と並ぶ街並みと、ヴェナリア城・マダマ宮殿・カリニャーノ宮殿などバロック建築が威容を誇る美しい町となり、「イタリアのパリ」と称された。公国は1720年にサルディーニャ島を併合してサルディーニャ王国として発展、そののちジェノヴァも獲得してイタリア1の雄邦となってイタリア統一運動のけん引役となった。1861年の統一後、初代イタリア国王にサヴォイア家のヴィットーリオ・エマヌエレ2世が即位し、トリノは王国初の首都となって、イタリア王国統一後の初議会はカリニャーノ宮殿で開かれた。第2次世界大戦後の1946年にイタリアが共和制になったことでサヴォイア家は廃絶したが、王宮をはじめとする多くの邸宅群、トリノ郊外の田園に狩猟のために建設されたストゥビニージ館まで、多くの建物が世界遺産に登録され親しまれている。なお、イタリア独特の細長いパン・グリッシーニは、トリノのサヴォイア王家で誕生したもの。

2-2-4 セゴビア旧市街と水道橋 既出…1-1-1
文化遺産 スペイン 1985年登録 登録基準①③④
◇ 1世紀ごろに建設され、2000年近くも町に水を運んできた。石はただ積まれているだけにも関わらず、大きな修理をすることがない。古代ローマ時代の土木技術の高さを現代に伝える。

2-2-5 セビリア大聖堂 既出…1-1-7
文化遺産 スペイン 1987年登録 登録基準①②③⑥
◇ 新大陸貿易の拠点セビリアにある巨大な聖堂にはコロンブスの柩を安置する。全面黄金に塗られた世界最大の祭壇衝立・中央のマリア像は、セビリアがマリア信仰の中心であることを証明。

2-2-6   オビエドとアストゥリアス王国の建造物
文化遺産 スペイン 1985年登録1998年範囲拡大 登録基準①②④
● イベリア半島に残ったキリスト教徒の牙城
イベリア半島は、711年にイスラム勢力によりほぼ全土が支配されたが、スペイン北西部のアストゥリアス地方は唯一支配を逃れた。オビエドは、718年に建国されたアストゥリアス王国時代に首都だった地で、8~10世紀に多くの教会が建てられた。世界遺産に登録されたのはオビエド市街と郊外に残るサン・ミゲル・デ・リヨ教会など6つの教会と関連施設。のちにキリスト教徒がイスラム勢力から国土を奪回する運動レコンキスタは、ここを拠点にして始まったことから、スペインの原点ともいえる歴史の重みを背負った聖地。

2-2-7 ベルサイユ宮殿と庭園 既出…1-2-5
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①②⑥
◇ フランス絶対王政を象徴する宮殿を昔のまま守る時計職人が独白する。式典や舞踏会が開かれた「鏡の間」には国家の栄光が、広大な庭園には王の束の間の休息の時間が刻まれている…と。

2-2-8 シャンボール城 既出…1-2-8 (ロワール渓谷)
文化遺産 フランス 2000年登録 登録基準①②④
◇ ロワール渓谷に王侯貴族たちが競って建てた城館群のひとつで、フランソワ1世が建て、当時64歳だったレオナルドダヴィンチを招き、新しい理想都市の構想を練った。レオナルドの死後、彼の構想した二重螺旋階段を実現するなど、敷地5500万㎡、建物は幅156m奥行117m、部屋数440という壮大な城は、フランス・ルネサンス様式の最高傑作と高く評価されている。

2-2-9 シャルトル大聖堂 既出…1-2-14
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①②④
◇ 十字架の形をした大聖堂は、176の窓すべてがステンドグラスで飾られ、刻々と変わる神秘的な光がキリスト教の世界を伝える。文字の読めない人たちは、ステンドグラスを通して聖書物語を知った。ステンドグラス美術館ともいえそう。
 
2-2-10 アミアン大聖堂 既出…1-2-12
文化遺産 フランス 1981年登録 登録基準①②
◇ ゴシック建築の傑作とされる大聖堂の建物には「石の百科全書」といわれる彫刻群で装飾されている。文字を読めない人も彫刻の「聖書物語」から聖書を学び、内に入って天国を感じ、神に近づくのだという。 

2-2-11  ヴェズレーの聖堂と丘
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①⑥
● ロマネスク彫刻の傑作を擁する教会
ブルゴーニュ地方にあるヴェズレーの丘には、12世紀初頭に建てられたサント・マドレーヌ教会がある。ここにはキリストの死と復活を見届けたマグダラのマリア(聖女マドレーヌ)の聖遺骨が祀られ、精霊が宿ると信じられていた。東西120m、身廊(入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの袖廊に至るまでの部分)は長さ64m・幅12m・高さ18mと大規模な聖堂で、12世紀にはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼道の起点となり、現代も続いている。1279年にプロヴァンスでマドレーヌの遺体が見つかったことで偽物説がでたもののルイ9世が本物と認めた騒動、英仏百年戦争、フランス革命などで聖堂は荒廃したが、19世紀に修復されて蘇った。100を超える身廊の円柱には、獅子やゾウなどの動物や、植物をモチーフにした彫刻で飾られている。特に柱頭彫刻「神秘の粉ひき」、身廊入口の「使徒に布教の使命を与えるキリスト」は、ロマネスク彫刻の傑作として名高い。

2-2-12 ハドリアヌスの長城 (ローマ帝国の境界線)
文化遺産 イギリス 1987年登録2005・08年範囲拡大 登録基準②③④
● 拡大し続けたローマ帝国の国境を守る防護壁
1世紀半ばローマ帝国は、イングランドまで領土を拡大し、グレート・ブリテン島で北方のケルト民族の侵入に苦しんでいた。ハドリアヌス帝は、防壁の建設を命じ、126年に西海岸のボウネスと東海岸のウォールズエンドを結ぶ全長120㎞の長城を完成させた。2世紀末には、土と泥炭で作られた土塁は石積みに改築し、15の城砦と約1.5㎞ごとに見張り塔を持つ砦や監視所を置き、1万人ものローマ兵が駐留したという。4世紀後半にローマ軍は撤退したが、17世紀初頭にはかつての長城は、イングランドへ侵入しようとするスコットランド人の侵入を防ぐ防壁の役割をはたした。なお、登録当初は「ハドリアヌスの長城」だったが、ライン川とドナウ川を結ぶ全長550㎞のドイツのリーメス(ゲルマン民族の襲撃に備えた)に範囲が拡大されたことにより「ローマ帝国の境界線」と名称変更された。

2-2-13 フランドル地方の鐘楼 (ベルギーとフランスの鐘楼)
文化遺産 ベルギー・フランス 1999年登録2005年範囲拡大 登録基準②④
● 多様な様式で建てられた「自由と繁栄の象徴」
ベルギーのフランドル地方に26件・ロワン地方に7件のほか、フランスのノールドパカレー地方に17件・ピカルディ―地方に6件の鐘楼が登録されている。これらの諸都市は古くから毛織物工業と海外交易により発展してきた。13~15世紀には、豊かな経済力を背景に領主と対抗し、市民による自治権の拡大に成功して絶頂期を迎えた。その象徴と言えるものが広場や市庁舎、聖堂などに市民が設置した鐘楼で、鐘楼の最上部に「カリヨン」とよばれる組鐘があり、時を告げる役割を担ってきた。カリヨンの音色は、今も昔も自由のシンボルとして町々に響きわたる。

2-2-14 シェーンブルン宮殿と庭園 既出…1-3-11
文化遺産 オーストリア 1996年登録 登録基準①④
◇ 「日没なき帝国」といわれたハプスブルク家唯一の女帝マリア・テレジアが、18世紀半ばに居城として大改造したのが独特の黄色(マリア・テレジア・イエロー)に統一された大宮殿。女帝が16人の子を育てた場所でもあった。 

2-2-15 プラハ歴史地区 既出…1-4-2
文化遺産 チェコ 1992年登録 登録基準②④⑥
◇ チェコの首都プラハは14世紀に大いに発展したが、15世紀以降は苦難の道を歩んだ。それを象徴するのがプラハ城で、争いの舞台になって他国の支配を受けたが、第一次世界大戦後に「真実は勝つ」と書かれた大統領旗が城に掲げられ、独立が実現した。
 
2-2-16 ハンザ同盟都市リューベック
文化遺産 ドイツ 1987年登録 登録基準④
● 「ハンザの女王」と呼ばれた中世の商業都市
ドイツ北東部、トラヴェ川の中州にあるリューベックは、1143年にホルシュタイン伯アドルフによって建設され、ザクセン公ハインリヒ3世の保護を受けて発展。1226年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世から「帝国自由都市」の特権を与えられると、バルト海沿岸で初となる自由都市となった。12世紀にバルト海沿岸の交易を400年以上も独占し続けた「ハンザ同盟」が誕生すると、その盟主となり、1669年に解散するまで、「ハンザの女王」として繁栄し続けた。14、15世紀がハンザ同盟の全盛期といわれ、加盟都市は200以上、2000~3000もの船が穀物・木材・毛皮・鉱石・蜜蝋・琥珀・塩・ワイン・亜麻布・干魚やニシンなどを運んでいた。軍隊まであり、1370年にはデンマークを破った実績もあるという。街を象徴する2本の尖塔が印象的な「ホルステン門」をくぐるとレンガ造りの旧市街が広がる。そこには、「マルクト広場」に面してドイツ最古のゴシック様式建築の「市庁舎」、125mある2基の尖塔をもち、バッハがパイプオルガンに魅了されたという「聖マリア聖堂」ほか5つの聖堂、ドイツ初の福祉施設「聖霊病院」、船員組合会館など、13~17世紀の建築物が立ち並び、往時の繁栄をしのばせる。

2-2-17 ケルン大聖堂 既出…1-3-16
文化遺産 ドイツ 1996年登録 登録基準①②④
◇ ライン河畔の大都市ケルンでも、高さ157mの大聖堂はひときわ目立つ街のシンボル。13世紀に建設が始まり600年の歳月をかけて完成した。2004年、ライン対岸の再開発計画のために危機遺産となったが、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市の懸命な努力で2006年に解除された。

2-2-18 中部ライン渓谷 既出…1-3-18
文化遺産 ドイツ 2002年登録 登録基準②④⑤
◇ ロマンティックな古城を愛でながらライン川を下る観光は人気が高い。14世紀、ここでは60もの税関が往来する船から通行税を徴収し、払わない船には武力を行使したという。優雅な古城の知られざる一面も描く。

2-2-19 モルドバ地方の教会群
文化遺産 ルーマニア 1993年登録 登録基準①④
● 聖なるフレスコ画に包まれた聖堂群
ルーマニア北東部にあるモルドバ地方は、かつてモルドバ公国に支配されており、15世紀後半からおよそ100年間シュテファン大公からペトル・ラレシュ公の治下に黄金時代を迎えた。バルカン半島で唯一、オスマン帝国軍の脅威に屈することなくキリスト教信仰が守られ、多くの宗教建造物が残された。オスマン帝国に勝利したことを記念し、大公が1488年に建てたボロネツ修道院聖堂をはじめ、スチャヴァ・モルドビツァ・フモール・アルボレ・パトラオツィ・プロボタの7つの修道院聖堂が登録されている。これらの建物は、内壁も外壁も聖書を題材にしたフレスコ画で覆いつくされ、文字の読めない人にも聖書が理解できるように配慮されている。とくに、ボロネツ修道院聖堂は必見で、聖人たちの絵がすきまなく埋められ「ボロネツの青」として賞賛される青色の外壁をもち「東欧のシスティナ礼拝堂」とよばれている。

2-2-20 マラムレシュの木造教会群
文化遺産 ルーマニア 1999年登録 登録基準④
● 教会本体には礎石もなく釘などいっさい使用しない木造教会
ルーマニア北西部マラムレシュ地方は、ウクライナと国境を接する丘陵地にある。伝統的な農林業と牧畜が営まれ、人々は今も伝統的な生活を続けている。「マラムレシュの木造教会群」は、トウヒなど木材のみで18~19世紀にかけて作られたゴシック様式の多くの建築物のうち、聖大天使教会、シュルデシッチ教会など8棟の教会が登録された。いずれも長く四角いとんがり帽子のような板葺き屋根に特徴があり、屋根の上にはほっそりした時計塔を兼ねた鐘楼がある。内部は民衆画家によって描かれたイコン(聖画像)で埋め尽くされ、村人たちの深い信仰心を伝えている。


上記の映像を視聴後、メンバーの竹内光氏から、休会の予定だった「8月例会」を『納涼参火会』として、8月20日に行ってはどうかという提案がありました。昨年の春に完成した「日比谷三井タワー」こと「ミッドタウン日比谷」を見学してから日比谷公園を散策、のどが渇いたころに「日本記者クラブ」で、冷えたビールで乾杯しようという提案でした。全員が賛成したことで、6月の参火会例会で、集合場所・時間など、より具体的な話をしてもらうことになりました。引き続き、メンバーの山本明夫氏から近況報告があり、松蔭大学教授を退任したこと、3月から渋谷NHKの臨時職員として復帰したことが告げられると、ひごろNHKに対しての疑問などが多く出されたために時間がなくなり、これも次回に持ち越します。
(文責 酒井義夫)


「参火会」5月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一    文新1960年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年4月17日水曜日

第53回「参火会」4月例会 (通算417回) 2019年4月16日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第14回目 「世界遺産 第2シリーズ」① ヨーロッパ Ⅰ

今回から再スタートするこの「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したものです。各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

前半は、下記資料「2-1-1~20」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第1巻目の映像約95分を視聴しました。


          

2-1-1 ベネチアとその潟  既出…1-3-1 
文化遺産 イタリア 1987年登録 登録基準①②③④⑤⑥
◇ ベネチアにゴンドラは欠かせない。3代にわたるゴンドラ職人のゴンドラに乗りながら運河を堪能する。多くの観光客でにぎわうサンマルコ広場の隆盛は今も変わらない。
 
2-1-2 モデナ大聖堂、鐘楼、グランデ広場 
文化遺産 イタリア 1997年登録 登録基準①②③④
● 中世の自由都市を象徴する建造物
イタリア北部、フィレンツェから北東約100kmにあるモデナの大聖堂・鐘楼・グランデ広場は、かつてこの地が自由都市だった時代に築かれた。旧市街の中心にあるグランデ広場の北側にある大聖堂は1099年に起工し85年後の1184年に完成した、ロマネスク様式の傑作といわれる。その隣に、12世紀に建設を開始し16世紀に完成した88mもある白大理石造りの鐘楼がそびえる。町のシンボルでもあるこの鐘楼は、花冠(ギルランデ)があることから「ギルランディーナ」の愛称で親しまれている。この街は古代ローマの時代から「エミリア街道(美食街道)」の要衝として栄え、1598年にはモデナ王国の首都にもなった。イタリアを代表する調味料バルサミコ酢は、この地が発祥。今のモデナは、フェラーリやマセラーティなど自動車の町としても知られる。

2-1-3 コルドバ歴史地区  既出…1-1-6
文化遺産 スペイン 1984年登録・1994年範囲拡大 登録基準①②③④
◇ 町の象徴メスキータは、スペインのイスラム時代に建てられたヨーロッパ最大の礼拝所。アーチが連なる「円柱の森」の奥には、レコンキスタ後に増築されたキリスト教の大聖堂がそびえる。

2-1-4 古都トレド 既出…1-1-5 
文化遺産 スペイン 1986年登録 登録基準①②③④
◇ ギリシャ生まれの異邦人グレコの絵画「聖衣剥奪」(トレド大聖堂所蔵)は、制作当時教会はキリスト教を冒涜していると非難。住民はその色彩と人間描写を絶賛してスペイン画家が誕生。

2-1-5 サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼道
文化遺産 スペイン/1993年登録  フランス/1998年登録 登録基準②④⑥
● 免罪の地へと続く聖なる道
聖ヤコブが眠る「サンティアゴ・デ・コンポステラ」は、イベリア半島の最西端にあるキリスト教3大巡礼地のひとつ。11世紀に「聖ヤコブの霊廟に詣でればすべての罪が赦される」という聖ヤコブ信仰が高まり、12世紀の最盛期には年間50万人を越え、今に残る大聖堂の原型もその頃に完成した。フランスの4都市(パリ・ヴェズレー・ルピュイ・アルル)を起点とし、ピレネー山脈を越え、ブエンラレイナの町でひとつに合流。スペイン国内だけでも約800㎞もあり、徒歩だと1か月もかかる。巡礼道沿いには修道院や聖堂が次々に建てられてロマネスク様式伝播の道となり、商人や職人などが行き交ったことから、ヨーロッパのさまざまな知識や文化が交換する「文化交流の拠点」ともなった。今も多くの巡礼者が聖地をめざす。

2-1-6 ヴェゼール渓谷の装飾洞窟群と先史遺跡
文化遺産 フランス 1979年登録 登録基準①③
● クロマニョン人が残した先史時代の芸術
フランス南西部にあるヴェゼール渓谷には、2万~1万6千年前にクロマニョン人が描いた壁画のある洞窟が26、集落跡は147もある。とくに有名なのが「ラスコー洞窟壁画」で、1940年に迷い犬を探していた近くに住む少年たちが発見したという。野牛やウマ、シカ、トナカイなどの動物が岩面の凹凸を利用して躍動的に描かれ、線画から写実画、抽象的表現まで、古代人の高度な絵画技術を知ることができる。この洞窟は、1972年に絵画保存のため立入禁止となったが、近くに精密な複製のラスコー洞窟Ⅱが作られている。口に木炭を含み壁に吹き付ける技法だったと唱えるエルブランシュ博士の説明とともに、壁画制作のなぞを探る。

2-1-7 ランメルスベルク鉱山とゴスラーの歴史地区
文化遺産 ドイツ 1992年登録2010年範囲変更 登録基準①④から①②③④に拡大 
● 千年間も銀を生みつづけた鉱山の町
ドイツ中央部、ハルツ山麓にある小さな町ゴスラーは、10世紀後半に町の南方にある銀鉱山ランメルスベルクの開発により、いちやく発展を遂げた。この銀に注目した神聖ローマ帝国のハインリヒ2世は、11世紀初頭に貨幣を鋳造するとともに、ゴスラーに宮殿を建設し、1009年からそこで帝国議会を開いた。13世紀に入ると帝国集会は開かれなくなったが、ゴスラーはハンザ同盟の一員となって第2の隆盛期を迎えた。旧市街中心部にあるマルクト広場に建つ15世紀の市庁舎やギルド会館は、この街の隆盛を今に伝える。ランメルスベルク鉱山は1988年の閉山まで、千年以上にわたって稼働をし続けた。閉山後に博物館として再生し、坑道の見学なども行われている。なお、2010年に「ハルツ山地上部の水利システム」が追加登録された。このシステムのおかげで、水力発電と製鉄技術の発展が可能になったことが評価された。

2-1-8  トリーアのローマ遺跡、聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂
文化遺産 ドイツ 1986年登録 登録基準①③④⑥
● ローマとキリスト教が融合したドイツ最古の都市
ドイツ西部モーゼル川上流にあるトリーアは、BC15年にローマ皇帝アウグストゥスがライン地方統治の拠点として建設し、帝国の拡大とともに発展、3世紀末には帝都として「第2のローマ」ともよばれた。4世紀末にはゲルマン人に押されてローマ勢力はこの地を離れたがキリスト教徒と司教はここにとどまり、中世には大司教座都市となって、再び繁栄した。周辺には往時をしのばせる建造物が残る。ポルタ・ニグラ(黒い門)は、2世紀に建てられた。コンスタンチヌスが建てたアウラ・パラティーナは、レンガ造りの壮大な宮殿。聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂はローマ時代の聖堂を13世紀にゴシック様式で改築された。なおトリーアは、ドイツを代表するモーゼル(白)ワインの名産地としても知られている。
 
2-1-9  ブリュールのアウグストゥスブルク宮殿と別邸ファルケンルスト
文化遺産 ドイツ 1984年登録 登録基準②④
● ドイツ・ロココ様式の先駆けとなった華麗な宮殿
ドイツ西部にあるブリュールのアウグストゥスブルク宮殿は、ケルンの大司教兼選帝侯のクレメンス・アウグストが、18世紀に建設を命じた宮殿。宮殿から2㎞離れた森の中には鷹狩り用に建てた別邸ファルケンルストがある。いずれも建築家のフランソワ・キュヴィイエの設計によるもので、アウグストの権力と富を象徴している。キュヴィイエのほか、バルクザール・ノイマンらヨーロッパ各地から集められた芸術家が腕をふるった宮殿は、建設がはじまってから40年後の1768年に完成、ドイツ・ロココ様式の最高傑作といわれる。いっぽう1740年に完成した別邸ファルケンルストは、2階建ての母屋と狩りの獲物を入れる付属建物からなり、庭に建てられた礼拝堂の装飾はすべて貝殻が使用されている。

2-1-10  アーヘン大聖堂
文化遺産 ドイツ 1978年登録 登録基準①②④⑥
● ドイツ王国の象徴となった大聖堂
8世紀末にフランク王国カロリング朝のカール1世(大帝)は、ドイツ中西部のアーヘンに宮廷を置くとアーヘンは首都的な存在になり、大帝は800年、ローマ教皇レオ3世から西ローマ帝国皇帝として戴冠された。アーヘン大聖堂が現在の姿になるのは1664年だが、大帝は805年に大聖堂の中核となる8角形の中心部と16角形の周廊にドームを頂く「宮廷礼拝堂」を完成させた。この礼拝堂はカロリング・ルネサンス白眉の建築として高く評価されている。10世紀中頃には「皇帝の玉座」が作られ、以後16世紀まで30人のドイツ国王がここで戴冠式を行った。直径4.2mある中央のシャンデリアは大帝が聖人に列せられた12世紀に制作されたもの。なお、「アーヘン大聖堂」は、初めて世界遺産に登録された12物件の一つとしても知られている。

2-1-11  キュー王立植物園
文化遺産 イギリス 2003年登録 登録基準②③④
● 世界の植物を収集する歴史的植物園
ロンドン近郊のテムズ川南岸にある「キュー王立植物園」は、120万㎢もある世界最大規模の植物園。1759年にオーガスタ妃が作った小さな植物園を息子のジョージ3世が拡張し、1840年に王立植物園として開園した。初代園長フッカーとその息子親子が植物学研究センターの基礎をつくり、その後国益と学術研究のために世界各地からさまざまな植物が集められた。南米原産のキナノキからマラリアの特効薬キニーネが作られ、南アフリカから持ち帰ったゼラニウムは、ビクトリア時代に大流行したことで幕末の日本に渡来し、今や身近な園芸植物となった。図書館や研究所、園芸学校も併設され、世界の植物研究の先導的役割をはたしている。巨大なガラス温室パームハウスはビクトリア時代のままで残り、世界一古い鉢植ソテツの一種エンセファルトスや中東原産のチューリップの原種など、4万種類上の植物が育成されている。

2-1-12  ブリュージュ歴史地区 既出…1-2-2
文化遺産 ベルギー 2000年登録 登録基準②④⑥
◇ 13~14世紀に高級毛織物で栄えたハンザ都市のブリュージュ。当時の商人の家ギルドハウスには、魚屋・靴屋・酒屋などの絵の看板が残り中世の香りを残す。47個の組み鐘のある高さ83mの鐘楼が今も鐘の音をかなでる。

2-1-13  ドロットニングホルムの王領地
文化遺産 スウェーデン 1991年登録 登録基準④
● スウェーデンの栄光を象徴する王宮
首都ストックホルムの西10㎞に風光明媚なメラレン湖がある。16世紀後半その湖に浮かぶローヴェン島にドロットニングホルム(「王妃の小島」の意)の離宮が建てられた。国王ヨハン3世が愛する王妃へのプレゼントだった。ところが1661年、王家の女性たちに愛された離宮が火災にあい、全焼してしまった。前年に夫カール10世を亡くした王妃ヘドヴーグ・エレオノーラは、建築家テッシン父子に再建を依頼し、およそ20年をかけフランスの「ヴェルサイユ宮殿」に匹敵するバロック様式の宮殿と庭園を1700年に完成させた。18世紀末、華やかな仮面舞踏会の夜、国王親政を推進するグスタフ3世と反対する貴族との間に起こった国王暗殺の悲劇がおこる。その一部始終は、のちにヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」の題材となって、今に伝わる。その後この宮殿は、スウェーデン文化創造の中心地になっていき、1980年代初頭からスウェーデン国王の居城となった。その一部は一般公開され、建造から300年以上たった現在も往時の姿を伝えている。

2-1-14  ハルシュタットの文化的景観 既出1-3-14
文化遺産 オーストリア 1997年登録 登録基準②④
◇ オーストリア中央部にあり「世界の湖畔で最も美しい町」と称えられるハルシュタット(ケルト語で「塩の町」)。紀元前6世紀から現代まで豊富な白い黄金・岩塩が採れることで知られる。

2-1-15  チェスキー・クルムロフ
文化遺産 チェコ 1992年登録 登録基準④
● 交通の要所にあるヴルタヴァ河畔の古都
オーストリアとの国境に位置するチェスキー・クルムロフは、ヴルタヴァ(モルダウ)川が蛇行する旧市街対岸の丘の上に、チェスキー・クルムロフ城がゴシック様式で築かれた13世紀にはじまる。歴代の城主たちが少しずつ飾り立てていき、16世紀にルネサンス様式に改修されたことで、古都のたたずまいに華やかさが加わった。さらに庭園にはバロック様式の離宮が建てられ、オペラ劇場も併設された。14~16世紀に旧市街が発展し、手工業と商業で繁栄していっただけでなく、聖ヴィート教会などいくつもの教会が建設されて、カトリックの拠点ともなっていった。18世紀には大貴族シュヴァルツェンベルク家領となり、城は巨大さに優美さが加わった。20世紀になると、ドイツによる占領時代とその後の共産党独裁で城は甚大な被害を受けたが、1980年の自由化後に修復され、17世紀の優美な姿をもどしつつある。
 
2-1-16  トカイ・ワイン生産地
文化遺産 ハンガリー 2002年登録 登録基準③⑤
● ルイ14世が愛したワインの生産地
ハンガリー北東部、ティサ川とボドロク川流域に広がるトカイ地方は、世界3大貴腐ワインのひとつアッスワインの産地。ルイ14世が「これこそ王のためのワインにして、ワインの王なり」と絶賛したことで知られる。平均標高250mの丘陵地にブドウ畑や農園、村落、小都市が続く景色は、ワイン製造800年の歴史を今に伝える。アッスワインはきわめて品質が高く、ソーテルヌ産(フランス)とラインガウ産(ドイツ)と並んで、今も世界的な評価を得ている。貴腐ワインとは、糖分の凝縮した貴腐ブドウから醸造される最高級ワインで、アルコール度数と香りが高く、黄金色に輝く濃厚な味を誇る。小雨と霧と太陽、温度とカビの繁殖、技と贅沢な時間が作り出すワイン誕生の物語が展開される。

2-1-17  ドブロブニク旧市街 既出……1-1-14
文化遺産 クロアチア 1979年登録1994年範囲拡大 登録基準①③④ 
◇ 「アドリア海の真珠」と称えられたこの町も、20世紀末の内乱により多くが破壊された。平和が戻ると「自由と自治」を誇りにしてきた市民たちは、かつての町や象徴を昔の姿に再建した。

2-1-18  ドナウ・デルタ
自然遺産 ルーマニア 1991年登録 登録基準⑦⑩
● 「母なる大河」ドナウが生んだ河口の三角州
ルーマニア南東部、黒海の入口に広がる「ドナウ・デルタ」は、全長約2860㎞のドナウ川が約1万1千年の年月をかけて作り出した三角州で、そのうち約6800㎢が登録範囲。一帯はヨーロッパ最大の湿地帯が広がるとともに、世界最大の葦の群生地でもある。うっそうとした葦原は、人間の開発を拒み、大自然を守り続けてきた。この地帯の湿地帯や無数の池には、100種以上の魚類や320種を越える鳥類が生息する。特に渡り鳥のモモイロペリカンなどペリカン類の群れは「ドナウ・デルタ」のシンボル的存在。

2-1-19  イヴァノヴォの岩窟聖堂群
文化遺産 ブルガリア 1979年登録 登録基準②③
● 修道士たちが築いた断崖の聖地
ブルガリア北東部、ドナウ川の支流ルセンスキー・ロム川沿いの断崖にある「イヴァノヴォの岩窟聖堂群」は、13世紀にキリスト教修道士のヨワヒムが高さ50mの断崖に聖母教会を築いたのに始まる。その後ヨワヒムがブルガリア正教会の初代総主教になると、多くの巡礼者がイヴァノヴォを訪れるようになると、ブルガリア屈指の聖地として繁栄した。最盛期には岩窟に300もの聖堂が建てられ、聖堂内部に一流画家の描いたフレスコ画が多く残された。しかし、14世紀末にオスマン帝国の侵攻を受けてイスラムの支配下に入ると、修道士たちは洞窟を放棄すると、聖堂は荒廃してしまった。現在残る壁画は、往時の1/3程度という。

2-1-20  リラ修道院 
文化遺産 ブルガリア 1983年登録 登録基準⑥
● ブルガリア民族の精神的主柱となった修道院
「リラ修道院」は、ブルガリア南西部の標高1147mの山奥に、強固な要塞のように建つブルガリア正教の総本山。10世紀初頭、修道士イヴァン・イルスキーが修道院を築いたことから始まる。12世紀に興った第2次ブルガリア帝国の発展とともに、リラ修道院の権威は高まるものの、14世紀に発生した大地震により全壊してしまった。これを機に、この地を統治していた貴族フレリヨ・ドラコボラが敵襲や天災に備えた強固な建物に再建した。14世紀末にオスマン帝国の侵攻を受け、以来500年もの間イスラムの支配下にあったが、オスマン帝国の君主は、リラ修道院のもつ威信にかんがみて黙認した。1833年の大火でほとんどの施設は焼けてしまったが、修道院への国民の信仰は強く、すぐに再建事業にとりかかり、新たに19世紀ブルガリア宗教画の傑作とされる天井のフレスコ画などフレスコ画で覆われる「聖母聖堂」「礼拝堂」をはじめ、現存する建築物の大半はこの時代に建設された。


後半は、日本の世界遺産「琉球王国のグスクおよび関連資産群」の中心ともいえる首里城が、第2次世界大戦末の沖縄戦で潰滅。古文書と白黒写真が残されただけのなか、いかに赤い城を復活させるかを描いたNHK「プロジェクトX」の感動的映像を視聴しました。

(文責 酒井義夫)



「参火会」4月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一    文新1960年卒
  • 深澤雅子    文独1977年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年3月20日水曜日

第52回「参火会」3月例会 (通算416回) 2019年3月19日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第13回目   日本の世界遺産② 白川郷と五箇山の合掌造り集落/広島の平和記念碑(原爆ドーム)/琉球王国のグスク及び関連遺産群/厳島神社/白神山地/知床/屋久島

今回は、下記資料「12-①~12-⑦」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、本田技研の系列会社「エスピージー」が制作した下記12-①~⑦ の映像約41分を視聴しました。




12-① 白川郷と五箇山の合掌造り集落
文化遺産 1995年登録 登録基準④⑤
● 豪雪地帯における伝統的建築物
飛騨高地は、岐阜県北部と富山県南部にあり、白川郷と五箇山はその険しい山間を流れる庄川沿いの段丘に形成された集落。一帯はわが国有数の豪雪地帯で、外界との行き来が困難だった。そのため、戦後になって電気や道路が整備されるまでは、昔から伝わる社会制度・民俗・慣習・20~30人で暮らす大家族制などが根強く残され、独自の生活や文化を育んできた。とくに「合掌造り」といわれる独特の家屋と周囲の自然環境は、後世に伝える歴史遺産としての美しさを保つ。合掌造り家屋の最大の特徴である茅葺きの大屋根は、積雪を防ぐため45~60度の傾斜がある。また雪の重みと風の強さに耐えるため部材の結合には釘など金属はいっさい使用せず、縄でしばって固定する工法が守られてきた。各集落には江戸時代から続く互助組織「結い」による協力体制が発展してきた。特に30~40年に1度行われる茅葺屋根の葺き替え作業は「結い」が不可欠で、白川郷では村民100~200人が総出となって、1日で葺き替えを終えたという。19世紀末までは、300棟以上の合掌造りの家屋があったが、1930~60年代にダムがいくつも建設されたことで水没した家屋も多くあり、70年代に入って保護活動が本格化したことで、世界遺産となった1995年には、岐阜県白川村の「荻町集落」(白川郷) には59棟、富山県南砺市の五箇山には「相倉集落」に20棟、「菅沼集落」に9棟が残された。

12-② 広島の平和記念碑(原爆ドーム)
文化遺産 1996年登録 登録基準⑥
● 原爆の悲劇を語り継ぐ平和のシンボル
広島市の平和記念碑(原爆ドーム)は、1945年8月6日、人類史上初めて原子爆弾が投下された当時の姿を後世に伝える「負の遺産」。この建物は、1914年にチェコの建築家ヤン・レツルによって設計され、1915年に「広島県物産陳列館」として誕生したもので、1945年当時は「広島県産業奨励館」に改称されていた。建物は一部鉄骨を使用した3階建てのレンガ造りで、楕円形のドームや湾曲した壁面から「ネオ・バロック」の影響を受け、柱頭や窓枠の正方形や幾何学模様を配置した装飾からは、19世紀ウイーン分離派の「ゼツェッション様式」といわれる。2つの建築様式を融合した大胆なデザインは、周囲の美しい庭園とともに、創建当時から市民の注目を集めていた。またこの建物は、原爆により一瞬にして廃墟となったが、爆風がほぼ真上から襲ったため、全壊を免れた。戦後、この廃墟を「不幸の記憶」として解体すべきか、「平和の象徴」として保存すべきか議論が繰り返されたが、当初保存に消極的だった広島市が、1966年の市議会で「原爆ドーム保存の要望」を満場一致で可決させた。人類が作り出した最も強力で悲惨な兵器のひとつといえる原子爆弾の被害の実態を後世に伝えるだけでなく、原子爆弾を含めたすべての核兵器の根絶と恒久的な世界平和を訴えるモニュメントとしての価値が高い。なお、登録範囲は原爆ドームの建つ3900㎡の爆心地域と、平和記念公園・平和資料館・原爆死没者慰霊碑・原爆の子像のある場所や周辺の河川地区など約42万㎡となっている。

12-③ 琉球王国のグスク及び関連遺産群
文化遺産 2000年登録 登録基準②③④
● 周辺諸国との交流と、独自の文化をあらわす遺産群
沖縄県内に点在する「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、15~19世紀にかけて存在した「琉球王国」の文化を今に伝える。この地に農耕が本格的に展開した12世紀ころ、按司(あじ)と称する首長が各地に勃興し、城砦(グスク)を築いて覇権を争い、14世紀中頃には北山・中山・南山という三王国が並立していた。これを1429年に中山王の「尚巴志」が統一して生まれたのが「琉球王国」だった。1609年に薩摩藩の侵攻により事実上同藩の支配を受けてはいたが、1879年に沖縄県になるまで450年間にわたり、日本をはじめ中国(明)・朝鮮・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤としてきた。沖縄各地に残るグスクは、沖縄が独立国だった時代の歴史を伝えてくれる。今帰仁(なきじん)城・座喜味城・勝連(かつれん)城・中城(なかぐすく)城は、いずれも三王国並立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたもの。これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えている。
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」構成する9遺構
◇ 首里城跡…那覇市にあり、那覇港を眼下にした丘陵上に地形を巧みに利用して築城されたグスク。三王国並立時には中山国王の居城で、琉球王国が成立後は、1879年まで琉球王国の居城として王国の政治・経済・文化の中心的役割を果たした。グスクは内郭(内側の小区画)と外郭からなり、正殿や南殿、北殿などの中心的建物群は内郭に配されている。正殿は琉球独特の宮殿建築で、戦前は国宝に指定されていたが第二次世界大戦末の沖縄戦で全壊、1992年に復元された。
◇ 今帰仁(なきじん)城跡…標高100mの古期石灰岩丘陵に築かれた三王並立時の北山王居城。グスクは6つの郭から成り、総長1500mにも及ぶ城壁は、地形を巧みに利用しながら野面積みで屏風状に築かれている。 難攻不落のグスクだったが、1416年に首里城を拠点とする中山軍によって滅ぼされた。落城後は、王府から派遣された北山監守の居城となり、監守制度は1665年まで続いた。
◇ 座喜味城跡…中山軍の今帰仁城攻略に参加した有力按司(首長)の「護佐丸」によって15世紀前期に築かれたグスク。国王の居城である首里城と緊密な連携を図るという防衛上の必要性から、首里城より眺望可能な丘陵上に立地し、北山が滅びた後も沖縄本島西海岸一帯に残存していた旧北山勢力を監視するという役目を担っていた。 グスクは、2つの郭からなり、城壁は琉球石灰岩を用いて屏風状に築かれている。
◇ 勝連(かつれん)城跡…琉球王国の初期、最後まで国王に抵抗した有力按司である「阿麻和利」の居城。眺望のきく北から西、さらに南側は険阻な断崖を呈した地形を利用して築城されている。 城内には建物跡、固有信仰の「火の神」を祀った聖域のほかに、最上段の郭(本丸)には玉ノミウヂ御嶽(うたき=祭祀などを行う施設)という霊石があり、信仰の対象となっている。
◇ 中城(なかぐすく)城跡…勝連城主の阿麻和利を牽制するため、王命によって座喜味城から移ってきた護佐丸が15世紀中期に整備したグスク。琉球王国の王権が安定化していく過程で重要な役割を果たした。6つの郭からなり、県内でも城壁が良く残るグスクの一つ。 城壁は、琉球石灰岩の切石を使用し、地形を巧みに利用しながら曲線状に築かれた。1853年に来琉したアメリカのペリー艦隊の探検隊がその築城技術を高く評価したことが文献や絵画に残されている。
◇ 玉陵(たまうどぅん)…1501年頃、第二尚氏王家歴代の陵墓として造営された。国王が祖先崇拝信仰を国内統治に利用するために、墓を造ったと推測されている。墓室は三室に分かれ、中室には洗骨前の遺骸、東室には洗骨後の王と王妃を安置、西室は王族などを納骨する。
◇ 園比屋武御嶽(そのひやんうたき)石門…1519年に創建された石造の門。日本、中国の両様式を取り入れた琉球独特の石造建物で、木製の門扉以外はすべて石造。第二次世界対大戦で破壊されたが、1957年に修復された。
◇ 識名(しきな)園…王家別邸の庭園として1799年に築庭。王族の保養の場としてだけなく、海外の要人を饗応する場所としても利用され、国の外交面において重要な役割を果たした。庭の地割には日本庭園の影響が、池の小島に架かる石橋や六角堂と称される建物の意匠には中国の影響が見られるものの、琉球独自の構成や意匠を主体としている。第二次世界大戦で大きな被害を被ったが、1996年に甦った。
◇ 斎場御嶽(せーふぁうたき)…王国最高位の女神官である聞得大君(きこえおおぎみ)の就任儀式「御新下(おわらお)り」が行われた格式の高い御嶽。中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たしただけでなく、琉球の開閥神「アマミク」が創設した御嶽の一つといわれる。

12-④ 厳島神社
文化遺産 1996年登録 登録基準①②④⑥
● 寝殿造りを神社に持ちこんだ美的センス
広島県廿日市市にある安芸の宮島(別名厳島)は、瀬戸内海にあり、標高535mの弥山(みやま)を擁する島全体が「ご神体」としてあがめられてきた。遠く離れた場所から拝むことが信仰の始まりだったが、次第に水際に神殿が形成されていった。平安時代末期、平清盛は保元・平治の乱の戦功などで権力を手中に収め、全盛期を迎えていく。宋との貿易を盛んに行ったことから、瀬戸内海の海上交通を整備し、海上の守り神として厳島神社の社殿を整えていった。現在の厳島神社の原型ともいえる構造物群が完成したのは1168年といわれ、色鮮やかな朱塗りの社殿が海に向かって鳥が羽を伸ばすように広がり、本社(本殿・拝殿・祓殿など)を中心に、37棟の建物が300mもある回廊でむすばれている。有名な大鳥居とともに、満潮時には海に浮かぶという世界にも例を見ない宗教施設。たび重なる火災、水害による被害を受けたが、現在残る主要な殿舎は、1223年に焼失したものを1241年に再建したもの。その後も厳島神社は何度となく風水害に遭いながらも、時の権力者や在地の有力者により修復されてきた。海上に立つ大鳥居もしばしば倒壊したが、1537年の再建に際し控柱をもつ形式の両部鳥居に収められた。現在の大鳥居は、1850年に台風で倒壊したものを1875年に再建したもので、柱の中は空洞となっており、そこへ小石を詰め込んで重くした平安末期から数えて8代目。厳島神社には、1407年に五重塔が、1587年には豊国神社本殿(別名・千畳閣=秀吉が僧恵瓊に建立を命じた857畳の大広間を持つ建物)などが寄進されている。

12-⑤ 白神山地
自然遺産 1993年登録 登録基準⑨
● 東アジアに残る最後の原生温帯林
「白神山地」は、青森県南西部と秋田県北西部をまたぐ1300㎢の範囲に広がる山岳地帯の総称で、世界遺産に登録されたのはその中心部分の約170㎢。およそ8000年前に形づけられた原生的なブナ林が世界最大級の規模で分布し、貴重な動植物の宝庫としても極めて重要であると高く評価された。このブナの純林には、約500種類もの植物が分布しており、この豊富な植生が、哺乳類では国の特別天然記念物のニホンカモシカや大型ツキノワグマから世界最小のトガリネズミまで約20種、鳥類では天然記念物のクマゲラや絶滅危惧種のイヌワシなど約80種、2000種以上の昆虫類など、多種多様な生き物たちの命を育んでいる。微生物に至っては何兆種類ともいわれ、白神で発見された野生酵母は、天然酵母パンの材料としてすっかりおなじみとなった。1000m級の山々と清らかな流れ、V字に切れ込んだ谷壁を流れ落ちる幾筋もの滝など、景観の美しさでも知られるが、森林生態系保護のため秋田県側のコアゾーン(核心地域)への入山は原則禁止。遊歩道の整備された青森県側のバッファゾーン(緩衝地域)は入山可能のため、「暗門の滝」や「十二湖」などへの名勝めぐりやブナの森林浴などが楽しめる。山を熟知している現役のマタギ(猟師)が案内するエコツアーも人気。

12-⑥ 知床
自然遺産 2005年登録 登録基準⑨⑩
● 海と陸が育む複合生態系
「知床」として世界遺産に登録されたのは、北海道の東端にある細長い知床半島の陸域(487㎢)と、海岸線から3kmの海域(224㎢)とあわせた総面積711㎢の範囲。知床半島には、最高峰の羅臼岳(1661m)をはじめ硫黄山(1562m)など1500m級の火山群が縦走する。そこにトドマツ・エゾマツなどの針葉樹やミズナラ・シナノキなどの落葉広葉樹の原生林が広がる。北緯44度に位置する知床は、世界でも最も低い緯度で海水が氷結する「季節海氷域」にあたることで、流氷が運んでくる豊富な栄養塩は春になると溶けて豊富な植物プランクトンを供給する。それを動物ブランクトンが食べ、小魚・甲殻類・貝類などが繁殖するといった「食物連鎖」がおこる。この海から始まる連鎖は絶滅に瀕するトドやアザラシを生息させ、河川を遡上するサケやマスを捕食するヒグマやキタキツネなどの哺乳動物、希少種のオオワシやオジロワシなど魚食性の大型鳥類を支える。オホーツク海に面した海岸線には100mを越える断崖絶壁が連なり、知床連山では800種以上の貴重な高山植物が咲きほこるなど、知床半島には数知れない見どころが存在する。なかでも『知床八景』は、是非訪れたい場所としてよく知られている。① 高さ100mの断崖の途中からオホーツク海へと流れ落ちる不思議な滝「フレペの滝」、②深い原生林に抱かれた溶岩台地にある5つの小さな湖の総称「知床五湖」、③ 活火山である硫黄山の中腹から湧き出る温泉が川に流れ込む「カムイワッカ湯の滝」、④ ハイマツ帯が広がる標高738mの「知床峠」、⑤ オホーツク海と阿寒国立公園の遠望が見渡せる絶景と夕日の名所「プユニ峠」、⑥ ウトロ港の東側にある高さ100mの巨大岩「オロンコ岩散策路」、⑦ ウトロ湾を見下ろす夕日の名所「夕陽台」、⑧ 落差約80m知床半島最大の滝「オシンコシンの滝」の8か所。なお、知床では豊かな生態系を保護するため、イギリスのナショナルトラスト運動を手本にした、市民の寄付で土地を買い取る「知床100㎡運動」が行われ、1997年からは「100㎡運動の森・トラスト」に発展させ、環境保護と観光を両立させる「エコツーリズム」に力をそそいでいる。

12-⑦ 屋久島
自然遺産 1993年登録 登録基準⑦⑨
● 樹齢1000年を超えるスギの群生地
九州最南端の佐多岬から南南西約60kmにある屋久島は、約1400万年前に花崗岩が隆起して誕生した約500㎢(東京23区ほど)の円形の島。世界遺産に登録されたのは、島の西部海岸線から標高1936mの宮之浦岳をはじめ、1000m級の山が46座もあることで「洋上のアルプス」とも呼ばれる約107㎢の範囲。年間の降雨量は多く、海岸部でも平均4000㎜を超え、山間部では1万㎜にも達する。海岸付近は年間平均気温が19℃もあり1年中ハイビスカスが咲く南国の亜熱帯気候なのに対し、山頂部の平均気温は9℃前後と冷寒帯~亜寒帯に近く、冬には雪が2~3mも降って氷に閉ざされる。そのため、海岸からこの島の急峻な山々までには南西諸島から北海道までの植生が垂直分布しており、まさに日本の植生の縮図ともいえる。標高0~500m付近ではガジュマルやオオタニワタリなどの亜熱帯の森なのに対し、600~1500mに分布する屋久島のシンボルともいえる「屋久杉」は樹齢1000年以上のスギで、1000年未満のスギはここでは「小杉」と呼ばれる。樹齢7200年と推定される「縄文杉」や推定樹齢3000年の「紀元杉」など、樹齢1000年以上のスギの数は2000本以上あるという。本来スギの寿命は300年前後なのに対し、屋久島のスギは栄養分の少ない花崗岩の大地に育つため成長が遅く、そのため材質が緻密で多量の樹脂を蓄えることで腐りにくく、長生きして大きくなるといわれている。屋久杉はもともとはご神木としてあがめられ伐採されることはなかったが、16世紀後半に豊臣秀吉によって寺の建築のため伐採が始まり、江戸時代になると伐採した杉を屋根を葺く平木に加工して年貢として幕府に納めるようになって、森林の50~70%が伐採されてしまった。「屋久杉」の保護は、1924年に原生林が天然記念物に指定されたのに始まり、1954年に特別天然記念物に指定され、1964年には国立公園に編入されたものの伐採は続けられてきた。屋久島島民は、1971年に伐採の中止を求めて「屋久島を守る会」を結成して保護運動を前進させ、1980年代に入っていっさいの伐採が禁止された。こうした保護運動のなかで、1981年屋久島杉はユネスコの「生物圏保護区」に指定され、世界遺産登録への第一歩が築かれた。屋久島には、植物ばかりでなくヤクシカやヤクシマザルなどの固有の哺乳類、アカヒゲやヤクシマアカコッコなど絶滅危惧種の鳥類なども生息している。


上記の映像を視聴後は、2月13~22日まで、「モロッコ 7つの世界遺産をめぐる10日間の旅」に行かれたメンバーの菅原勉氏に、体験レポートをしていただきました。7つの世界遺産のうち、2012年に登録された首都「ラバト」以外の6か所 (世界一の迷宮都市「フェズ」、北アフリカのヴェルサイユ「メクネス」、モロッコ最大のローマ都市「ヴォリビリス」、南方の真珠とうたわれた古都「マラケシュ」、イスラムから逃れた人々が築いた要塞村「アイット・ベン・ハッドゥ」イスラムとスペインが混じった白亜の街「テトゥワン」) は、昨年9月の例会で視聴してはいましたが、その現場ばかりでなく、サハラ砂漠をラクダに乗る姿など、間近に撮影された多くの映像による氏の説明は、とても説得力のあるものでした。
(文責 酒井義夫)


「参火会」3月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一    文新1960年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年2月20日水曜日

第51回「参火会」2月例会 (通算415回) 2019年2月19日(火) 実施

「男鹿のナマハゲ」が昨年12月、「能登のアマメハギ」「鹿児島・甑(こしき)島トシドン」「沖縄・宮古島のパーントゥ」など9件の伝統行事とともに、『来訪神 仮面・仮装の神々』として、ユネスコの無形文化遺産に登録されたことは、新聞・テレビなどのマスコミ報道でご存知のことでしょう。
そこで今回は、都合により予定を変更し、つい10日ほど前の2月9日、秋田県男鹿市の真山神社で行なわれた「第56回 なまはげ柴灯(せど)まつり」(昭和39年に始まり、毎年2月の第二金・土・日の3日間開催される)を見学してきたばかりの酒井義夫が、その体験を語る会としました。

「みちのく五大雪まつり」のひとつとなっているこの祭りは、男鹿の冬を代表する冬祭りとして、900年以上前から毎年1月3日に真山神社で行われている神事「柴灯祭(さいとうさい)」と、民俗行事「なまはげ」を組み合わせた冬の観光行事で、真山神社境内に焚き上げられた柴灯火のもとで繰り広げられ、勇壮で迫力あるナマハゲの乱舞などで、見る人たちを魅了してきました。
「男鹿のなまはげ」は、大みそかの晩に男鹿にある各集落の青年たちがナマハゲに扮して「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」などと大声で叫びながら家々を巡ります。
男鹿の人々にとってのナマハゲは、怠け心を戒め、無病息災・田畑の実り・山の幸・海の幸をもたらす年の節目にやってくる来訪神です。ナマハゲを迎える家では、昔から伝わる作法で料理や酒を準備して丁重にもてなします。男鹿市内のナマハゲ行事は、かつて小正月に行われていましたが、現在は約85の町内で12月31日の大みそかに行われているようです。

「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、夕方6時ころにはじまり、次のように進行します。
● なまはげ入魂
なまはげに扮する若者が参道入り口で神職からお祓いを受け、「神(しん)」の入った面を授かりなまはげと化して山へ戻って行きます。





● なまはげ踊り
秋田が生んだ現代舞踏家石井漠の振り付け、子の石井歓が曲を付けて昭和36年に誕生したダイナミックな「なまはげ踊り」が境内中央の柴灯火の前で繰り広げられます。




● なまはげ太鼓
なまはげと和太鼓を組み合わせた郷土芸能「なまはげ太鼓」。勇壮な太鼓のリズムとなまはげの掛け声が響き渡ります。




● なまはげ下山
境内に面した山の頂きの闇の中から松明を手にしたなまはげが現れて参道を下り、観客であふれた境内を練り歩きます。幻想的な柴灯まつりのクライマックス。




当日の夜は、積雪40cmほどもあり、歩道は踏み固められているものの氷点下5~7度と寒く、使い捨てカイロを身体中に貼ってはいても、1時間近くも会場の真山神社境内にいると冷え切ってしまいました。そこで暖をとろうと、5分ほど下ったところにある『なまはげ資料館』に行ってみました。この資料館には、「なまはげ勢ぞろいコーナー」というのがあり、男鹿市内各地で実際に使われていた110体+40枚の多種多様なナマハゲ面が勢ぞろいして、見ごたえ十分です。




「なまはげ伝承ホール」は、50人も座ってみられるスペースがあり、大みそかの男鹿のナマハゲ行事を15分間の映画で紹介してくれます。「面づくりコーナー」では、20年以上もなまはげの面づくりにはげむ彫り師の実演が行われ、「なまはげ変身コーナー」では、だれでも面や衣装を身につけることが出来、記念写真もOK(無料)です。
一番驚いたのは、先ほどまで真山神社で見ていた「なまはげ柴灯(せど)まつり」の実況放送が、2台のテレビに写しだされていることでした。どこで何が行われるか知り尽くした撮影者がテレビカメラで撮っているのでしょう。現場では1500人もの人があふれかえっているため何をやってるのかほとんど見当がつかなかったのが、これを見ていれば実によくわかります。そのため、7時半から終了する8時半ころまで、ここのテレビにかじりついて見続け、まさに寒さ知らずの楽しい時間が過ごせました。なお、「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、毎年2月の第二金・土・日の3日間ですので、1度はご覧になることをお薦めいたします。
(文責・酒井義夫)


「参火会」2月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 反畑誠一    文新1960年卒
  • 増田一也    文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

2019年1月16日水曜日

第50回「参火会」1月例会 (通算414回) 2019年1月15日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第12回目   日本の世界遺産① 古都京都の文化財/古都奈良の文化財/法隆寺地域の仏教建造物群/紀伊山地の霊場と参詣道/姫路城/日光の社寺/石見銀山遺跡とその文化的景観

今回は、下記資料「11-①~11-⑦」が事前にメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、本田技研の系列会社「エスピージー」が制作した下記11-①~⑦ の映像約41分を視聴しました。




11-① 古都京都の文化財
文化遺産 1994年登録 登録基準②④
● 各時代を象徴する様式が守られる「千年の都」
桓武天皇が794年に長岡京から遷都を行い平安京が誕生して以来、およそ1000年にわたり、日本の首都として繁栄した。平安時代から江戸時代に入るまでの各時代を代表する建築様式、庭園様式など、その文化的背景を今に伝え、日本の建築、造園、都市計画の発展に大きく寄与した。建築分野では、日本の基礎的建築様式の「和様」や16世紀末から17世紀初頭に用いられた「桃山様式」は京都で洗練され、それが日本全国へと伝え広がった。造園分野では、京都で産み出された枯山水や浄土式庭園といった庭園様式が後に日本各地へと広がった。また、都市計画では、中心部と周縁部からなる京都の都市の構造を取り入れた、いわゆる「小京都」と呼ばれる都市が16世紀以降、日本各地で盛んに造られた。「古都京都の文化財」は都市の近代化とともに失われていく日本の伝統的木造建築の文化とその技術を後生に伝える、人類にとってかけがえのないものといえる。
構成資産は京都府京都市、宇治市、滋賀県大津市に点在する次の17資産
① 上賀茂神社…豪族、賀茂氏の氏神である「賀茂別雷神命(かもわけいかずちのみこと)」を祭神とする神社で、8世紀に下鴨神社が分社したため、区別するために「上賀茂神社」と呼ばれる。国宝の本殿・権殿のほか、41棟が重要文化財に指定されている。
② 下鴨神社…上賀茂神社とともに、国家鎮護の神社として崇敬され、11世紀に現在の姿となる。東本殿と西本殿は国宝。3万坪以上ある「糺(ただす)の森」も資産に含まれる。
③ 東寺…794年に桓武天皇は、平安京遷都に際して都の正門の東西に官寺(国立の寺院)として、「東寺」「西寺」を建立した。その後、西寺は衰退したが、東寺は、823年に弘法大師空海に下賜され、正式名称を「教王護国寺」とし、日本初の真言密教の寺院となった。国宝指定の五重塔・金堂・蓮花門・御影堂のほか、重要文化財の講堂など見どころ満載。
④ 清水寺…13万㎢もある境内には、「清水の舞台」といわれる国宝の本堂をはじめ、仁王門・西門・三重塔などの重要文化財を合わせた15の伽藍があり、そのほとんどが江戸時代の初期に再建された。寺名は、寺が建つ音羽山中から湧き音羽の滝に流れる清水による。
⑤ 比叡山延暦寺…788年、最澄が建てた草庵を起源とする天台宗の総本山。西に京都、東に琵琶湖を望む幽幻の地にあり、平安京の鬼門(北東)を守る鎮護国家の道場として、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らを輩出し、今もなお修行道場として厳粛な雰囲気に満ちている。
⑥ 醍醐寺…真言宗醍醐派の総本山。200万坪以上の広大な境内は「上醍醐」「下醍醐」に区分され、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」で有名。874年聖宝理源大使が上醍醐に堂宇を建立したことに始まる。国宝の金堂・三宝院のほか、下醍醐にある国宝の五重塔は京都最古の木造建築。
⑦ 仁和寺…真言宗御室派の総本山。門跡寺院(法親王の住む寺院)となった最初の寺で、徒然草や方丈記にも登場する格式高い寺院。遅咲き桜として有名な「御室桜」がある。国宝の金堂をはじめ、存在感のある二王門・五重塔ほか重要文化財も多い。
⑧ 平等院…宇治市の宇治川沿いにある藤原氏ゆかりの豪華絢爛な寺院。元々この地には、源融という「源氏物語の主人公」光源氏のモデルとされた人物の別荘があった。10円硬貨の絵柄にある鳳凰堂をはじめ、鳳凰堂壁扉画、日本三名鐘の一つとされる梵鐘など多数の国宝を所有。
⑨ 宇治上神社…宇治市にある神社で隣接している宇治神社とは対を成し宇治離宮明神などと呼ばれている。宇治上神社の創建は定かではないが、国宝の本殿は現存する日本最古の神社建築とされる。拝殿も国宝で寝殿造の趣を伝える貴重な文化財。
⑩ 高山寺…真言宗系の寺で、高雄山からさらに奥の山中(京都右京区栂尾)に位置する。1206年に後鳥羽上皇が明恵上人に下賜し再興された。国宝の鳥獣戯画を所有することでも知られ、国宝の石水院は鎌倉時代の住宅建築をしのばせる貴重な建造物。日本最古と伝わる茶園もある。
⑪ 西芳寺…境内を約120種もの苔が覆い、周辺の緑の木々や池泉回遊式庭園と相まって美しい景観美を見せることから「苔寺」と呼ばれる。奈良時代に高僧行基によって創建したとされ、1339年夢窓疎石が禅宗寺院として再興して隆盛する。
⑫ 天龍寺…臨済宗天龍寺派の大本山。1339年に没した後醍醐天皇の菩提を弔うために、室町幕府初代将軍足利尊氏が夢窓疎石を開山として建立。庭園は、曹源池を中心とした池泉回遊式で、貴族文化と禅文化の伝統が薫る。国の史跡・特別名勝指定第1号でもある。
⑬ 金閣寺…臨済宗相国寺派寺院で、正式名称は鹿苑寺。金閣の名の通り金色に輝く豪華絢爛な「舎利殿」は、華やかな北山文化の象徴として国内外にその名を轟かせる。建物は三層の楼閣からなり、金箔がほどこされている。庭園は、特別史跡・特別名勝指定されている。
⑭ 銀閣寺…臨済宗相国寺派寺院で、正式名称は慈照寺。室町幕府8代将軍足利義政が、1482年東山に建立した山荘が発祥。銀閣という名前の由来は、北山殿金閣と対比してつけられた。国宝の観音殿・東求堂は、わび・さびに通じる東山文化を象徴する。
⑮ 龍安寺…臨済宗妙心寺派の寺院。日本庭園の傑作とされる白砂と石だけで構成された枯山水の「石庭」は、世界的に有名。奥行き約10m、幅25mの白砂の庭に15個の石を配した様は、禅の境地を表現したものとされ、「七五三の庭」「虎の子渡しの庭」とも呼ばれる。
⑯ 西本願寺…浄土真宗本願寺派本山。1272年親鸞聖人の廟堂を覚信尼が京都東山に建立したことに始まる。延暦寺の迫害を受け、大阪・和歌山などを転々とし、1591年豊臣秀吉から寄進を受けて現在の地に移転。国宝は書院・黒書院・能舞台・飛雲閣・唐門と5つもある。
⑰ 二条城…徳川幕府の誕生と終焉の舞台となった城。15代将軍徳川慶喜がここで大政奉還を表明したことは有名。国宝となっている二の丸御殿の3000面以上もある障壁画のうち1016面が重要文化財に指定されている。庭園は3つあり、書院造りの二の丸庭園は特別名勝となっている。

11-② 古都奈良の文化財
文化遺産 1998年登録 登録基準②③④⑥
● 天平文化をはぐくんだ平城京の面影
「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と万葉集にも歌われた奈良は、710年から784年までの74年間、日本の都「平城京」として大いに栄えた。元明天皇により中国(唐)の長安を参考に造営された平城京は、道が碁盤の目のように配された計画都市で、唐との交流を通して日本文化の原型が形成された。当時の人口は10万人と推定され、政治・経済の中心であるだけでなく、同時代に栄えた天平文化の中心でもあった。
構成資産は、次の8資産
① 東大寺…正式名は金光明四天王護国之寺。752年仏の加護により国家を鎮護しようと聖武天皇の発願で本尊「廬舎那仏坐像」(大仏)が建立された。国宝の金堂(=大仏殿は1709年に再建)は寄棟造本瓦葺による世界最大の木造建物とされ、内部には廬舎那仏坐像のほか、薬師如来立像、千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ。東大寺は全国にある国分寺の総本山で、宮内庁管理の正倉院も含まれる。
② 興福寺…南都六宗(華厳宗・法相宗・律宗・三論宗・成実宗・倶舎宗)のひとつ法相宗の総本山。669年藤原鎌足が病を得た際、夫人の鏡大王が夫の回復を祈って、釈迦三尊などの仏像を祀るために山階寺を建てたことに始まる。平城遷都に伴って現在の場所に移され、興福寺となった。国宝の五重塔・三重塔・東金堂・北円堂、重要文化財の南円堂など9棟の建物がある。また、国宝館には有名な阿修羅像などたくさんの国宝が展示されている。
③ 春日大社…786年創建とされる中臣氏(藤原氏)の氏神を祀った全国に約1000社ある春日神社の総本社。国宝の本殿は春日造りの華やかな社殿で、茨城の鹿島神宮からの武甕槌命(たけみかづちのみこと)、香取神宮からの経津主命(ふつぬしのみこと)など4柱(神殿)が横に並び、ひとつの建造物になっている。国宝殿は、春日大社が所有する国宝352点、重要文化財971点をはじめ多くの文化財を所蔵して展示する美術館。
④ 元興寺…6世紀に蘇我馬子が飛鳥に建立した日本で最も古い本格的な寺院の法興寺を、710年の平城京遷都と共に移転して元興寺となった。
⑤ 薬師寺…680年天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復を祈って建立を開始したが完成を見ることなく天皇は686年に没し、後を継いだ持統天皇とその後の文武天皇に伽藍の建築・整備が受け継がれ、718年に藤原京から平城京に移された。その後、973年に金堂・東西両塔を除いてほぼ焼失したのをはじめ、1445年には大風で金堂が倒壊し、1528年には兵火で西塔も失った。こうして創建時の建物は東塔のみとなった。金堂にある国宝の薬師三尊像は、「東洋美術の最高峰」「白鳳期を代表する最高傑作」などと高く評価されている。近年、名物管長だった高田好胤は「百万巻写経勧進」を推進し、600万巻を達成させて金堂・西塔を再建した。
⑥ 唐招提寺…南都六宗のひとつ律宗の総本山で、律宗の開祖であった唐僧の鑑真によって759年に建立された。教義上、立派な伽藍より住むに足るだけの僧坊や食堂と、仏法を講じる講堂が必要だったことから、これらの建物が最初に建てられた。鑑真の没後、奈良時代末に金堂が完成し、810年には五重塔が建立され、順次伽藍が整っていった。金堂内部に安置されている薬師如来立像・盧舎那仏坐像・千手観音立像・梵天立像・帝釈天立像はいずれも国宝。
⑦ 平城宮跡…平城京の中央北端に位置する宮跡で、東西1.3km、南北1km、面積130ヘクタールの広がりをもつ。内部には国の政治や儀式を執り行う大極殿・朝堂院ほか天皇の居所である内裏、行政機関である各役所などがあり、四方には高さ5mの塀が作られ、朱雀門をはじめとする12の門があった。当時の宮殿や役所などの木造建築の遺構は、今も地下に良好に保存されている。
⑧ 春日山原始林…標高は498m、約25ヘクタールの広さがあり人手が加えられていない自然のままの林。古来より春日大社の神域とみなされ、841年からは狩猟と伐採が禁じられている。以来、大社の神山として大切に守られ、明治になって国有地となって奈良公園に編入された後、春日山原始林として1924年に天然記念物に、1955年には特別天然記念物に指定された。

11-③ 法隆寺地域の仏教建造物群
文化遺産 1993年登録 登録基準①②④⑥
●  聖徳太子ゆかりの仏教建築物群
奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある法隆寺の47棟と法起寺1棟が登録範囲で、およそ18万7千㎡(東京ドーム14個分)という広大なもの。607年、厩戸王(聖徳太子)と推古天皇によって建立された斑鳩寺を起源とする法隆寺は、西院と東院の二つの伽藍群で構成される。西院に並ぶ金堂と五重塔は、現存する世界最古の木造建造物として知られる。高さ31.6mの五重塔は五つの屋根が重なるようになっており、空・風・火・水・地の五世界という仏教での宇宙観を表している。また、上にいくほど屋根が小さく、塔身も細くなっているのは視覚的に安定感があり、そのデザイン性も高く評価されている。また、西院や五重塔の一部に建物の柱にエンタシスの技法(柱の中央部分を膨らませたギリシャのパルテノン神殿などに見られる建築技法)が見られ、日本と中国、東アジアにおける密接な建築上の文化交流がうかがえる。太子の遺言で建立されたといわれる法起寺の境内にある三重塔は、706年に創建された当時のままの姿で残されている。法隆寺地域の仏教建造物群は、日本に仏教が伝わって間もない飛鳥時代の建築様式を示しており、中国や朝鮮の影響を受けながらも、独自に発展してきた過程を知る上で、貴重な史料となっている。なお、敷地内にある建造物には、金堂内部に安置されている本尊の薬師如来を中心とする釈迦三尊像など国宝が17件、重要文化財が35件ある。

11-④ 紀伊山地の霊場と参詣道
文化遺産 2004年登録 登録基準②③④⑥ 
● 日本の宗教文化の歴史を伝える文化的景観
紀伊山地は、三重・奈良・和歌山県をまたいで、標高1000メートル級の山脈が縦横に走り、年間3000ミリをこえる豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯。太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となった。修験道の拠点である「吉野・大峯」、熊野信仰の拠点である「熊野三山」、空海が開祖となった真言宗の根本道場である「高野山」の三つの霊場と、それらを結ぶ 「参詣道」が形成されてきた。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたと考えられている。このような日本固有の宗教形態は世界に類を見ない点が高く評価されて世界遺産に登録された。参詣道が世界遺産として認定されたのは、キリスト教聖地の巡礼道で知られる「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」に続き2件目。
◇ 霊場「吉野・大峯」
紀伊山地の最北部にあり、三霊場の中で最も北に位置している。農耕に不可欠の水を支配する山あるいは金などの鉱物資源を産出する山として崇められた「金峯山」を中心とする「吉野」の地域と、その南に連続する山岳修行の場である「大峯」の地域からなっている。修験道の中心的聖地として発展し、10世紀の中頃には日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めるようになった。日本中から多くの修験者が訪れ、「吉野・大峯」を規範として、全国各地に山岳霊場が形成されていった。
◇ 霊場「熊野三山」
紀伊山地の南東部にあり、相互に20~40kmの距離を隔てて位置する「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの神社と「青岸渡寺」及び「補陀洛山寺」の二つの寺院からなっている。三つの神社はもともと個別に自然崇拝の起源を持っていたと考えられる。10世紀後半は他の二社の主祭神を相互に合祀するようになり、以来「熊野三山」あるいは「熊野三所権現」と呼ばれ、多くの皇族・貴族の崇敬を集めるようになった。「青岸渡寺」「補陀洛山寺」は、「熊野那智大社」と一体となって発展してきた寺院で、神仏習合の形態をよく保っている。世界遺産には、「那智大滝」「那智原始林」もふくまれる。
◇ 霊場「高野山」
空海が唐からもたらした真言密教の山岳修行道場として816年に創建した「金剛峯(こんごうぶ)寺」を中心とする霊場。「金剛峯寺」の伽藍は、真言密教の教義に基づき本堂と多宝塔を組み合わせた独特のもので、全国の真言宗寺院における伽藍の規範となっている。また、「丹生都比売(にうつひめ)神社」の祭神は、高野山一体の地主神で、空海にこの地を譲った神と伝えられ、「金剛峯寺」の鎮守として祀られた。
◇ 参詣道
三霊場に対する信仰が盛んになるにつれて形成され整備された「大峯奥駈道」「熊野参詣道」「高野参詣道」と呼ばれる三つの道。これらの道は、人々が下界から神仏の宿る浄域に近づくための修行の場であり、険しく清浄な自然環境のなかに今日まで良好な状態で残り、沿道の山岳・森林と一体となった文化的景観を形成している。「大峯奥駈道」は、「吉野・大峯」と「熊野三山」の二大霊場を結ぶ山岳道で、修験道の最も重要な修行の場。「熊野参詣道」は、「熊野三山」に参詣する道で、京都方面からの参詣のために最も頻繁に使われた「中辺路」、「高野山」との間を結ぶ「小辺路」、紀伊半島の南部の海沿いを行く「大辺路」、同じく南西部の海沿いを行く「紀伊路」、伊勢神宮との間を結ぶ「伊勢路」からなっている。「高野参詣道」は、金剛峯寺北側の紀ノ川から高野山に至る経路、霊場高野山を囲む経路などからなる参詣道。

11-⑤ 姫路城
文化遺産 1993年登録 登録基準①④
● 400年以上にわたり優美な姿を誇る白鷺の城
兵庫県姫路市にある姫路城は、現存する日本木造城郭建築の最高傑作とされる。城郭としての始まりは、1346年に赤松貞範による築城とする説が有力で、16世紀末に城主となった羽柴秀吉は、この城を毛利氏攻略の拠点に定め、新たに3層の天守閣を建設した。そして、1600年の関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政は、9年間にわたる大改修を施し、姫路城の象徴でもある外観5層の大天守を中心に、今日見られる大規模な城郭へと拡張させた。木造の建物を配し、石造の城壁と白色の土塀をめぐらせる日本の独特の城郭の様式は16世紀中頃に確立したが、姫路城はこの城郭建築の最盛期の遺産であり、17世紀初頭の日本の城郭を代表するものといえる。この城は、白漆喰の総塗籠の外壁という優美な外観から、白鷺城の別称があり、その名でも広く知られているいっぽう、きわめて堅牢な城でもある。らせん状に構築された巧妙な基本設計、姫山と呼ばれる自然の丘の地形をいかした城壁や堀、数多く配した櫓や門などにより、高度な防衛能力を兼備している。内濠と高い石垣に囲まれた内郭地域には城柵主要部と城主の居館が造営され、内濠と外濠のあいだの外郭地域には武家屋敷があった。その外は一般民衆の居住地と商業地からなる城下町であり、その周囲にも濠が巡っていた。明治維新の際の廃城令や第2次世界大戦でも戦火をまぬがれ、江戸時代初期の姿を今にとどめている。1956年から8年間にわたる「昭和の大修理」では天守閣の解体修理が行われ、2009年から6年間は、大天守の屋根瓦や漆喰壁の保守修理事業が行われ、「修理を行いながら真正性を保つ」取り組みも高く評価された。大天守のほか、東小天守、西小天守、乾小天守、イ・ロ・ハ・ニ渡櫓の8棟が国宝、その他の櫓や濠など74棟が重要文化財に、石垣も含めた全体が特別史跡に指定されている。

11-⑥ 日光の社寺
文化遺産 1999年登録 登録基準①④⑥
● 日本近世の建築様式を代表する建造物
日光の社寺は、東照宮と東照宮以外の神道の総称である二荒山神社、仏教関連の寺の総称である輪王寺の2社1寺に属する計103の宗教的建造物からなる登録遺産で、栃木県日光市にある。日光は、男体山など標高2000m級の山々が連なり、古くから神仏習合の聖地であり霊場だった。開山は奈良時代後期766年に勝道上人が創建した四本龍寺をこの神聖なる日光の山の斜面に造ったとされている。今日では、これらの建造物群は、宗教的習慣の保存だけでなく、何世紀にも亘る建造物の保全と修復をも立証する。この遺産の特異な点として、長期的に価値のある遺産の組み合わせということが挙げられる。50.8ヘクタールに及ぶこの遺産は、積年の伝統的崇拝、高いレベルの芸術的功績、建造物と周囲の自然が織りなす印象的な景観を示すもので、国家の記録の宝庫としての役割も果たしている。
「日光の社寺」構成資産
① 東照宮…江戸時代の初代将軍徳川家康の霊廟として、家康の側近だった僧天海が東照宮の前身となる東照社を建設した。その際天海は荒廃していた社寺の再興にも尽力したことで、日光は徳川幕府の聖地として再び信仰を集めるようになった。その後、第3代将軍徳川家光の代に1年5か月にわたる「寛永の大造替」と呼ばれる大改修を行って権現造を主体とする姿に替え、1645年に東照宮と改称した。この大造替により、陽明門や三猿として知られる神厩舎など、当時の最高技術を用いた芸術性の高い建造物がつくられた。特に高さ11.1m、横幅7mの大きさを誇る国宝の「陽明門」には、500を越える精緻な彫刻が施されている。その他、東照宮には眠り猫・唐門・御本社・回廊など国宝が8棟、重要文化財が34棟ある。
② 二荒山神社…霊峰二荒山(男体山)をご神体と仰ぐ山岳信仰の中心として、古くから崇拝されてきた。本社社殿をはじめ、唐門や拝殿・神橋など23棟が重要文化財に指定されている。
③ 輪王寺…輪王寺の本堂で東日本最大の「三仏堂」、家光の霊廟である国宝の「大猷院」は本殿・拝殿・相の間ともに金箔や彩色がほどこされていることから「金閣殿」と呼ばれるなど、見どころ多数。

11-⑦ 石見銀山遺跡とその文化的景観
文化遺産 2007年登録・2010年範囲変更 登録基準②③⑤
● 17世紀に世界の銀の3分の1を産出した産業遺産
石見銀山遺跡は日本海に面する島根県のほぼ中央に位置し、石見銀の採掘・精錬から運搬・積み出しに至る鉱山開発の総体を表す「銀鉱山跡と鉱山町」「港と港町」「街道」からなり、面積は4.42㎢(東京ドームの95倍)もある。14世紀初頭に、この地を領していた大内氏が発見したといわれる石見銀山の開発は、1527年に九州博多の豪商神谷寿貞が朝鮮から導入した「灰吹法」という銀の精錬技術により銀の飛躍的増産を可能にした。そのため近隣豪族の争奪の的となり、1528年に邑智郡川本に本拠を持つ小笠原氏がこれを奪ったのを手始めに、出雲の尼子氏、安芸(広島)の毛利氏、周防(山口)の大内氏らが幾度となく戦火を交じえて銀山一帯を血で染めた。銀山に平和がよみがえるのは関ヶ原合戦以降で、徳川家康は石見銀山を直轄領とし、1601年に初代奉行大久保長安が着任。安原伝兵衛を右腕として、鉱床の発見、採鉱、精練など当時の技術を総動員させた。1700年前後の最盛期には石見銀山の年間産出量は、1万貫(約38トン)に達し、当時世界の銀産出量の1/3を占めるまでになった。しかし、17世紀後半には産出量は激減、明治期には銅を主体に再開発するが、1923年に閉山した。鉱山としての石見銀山は幕を閉じたが、2007年アジア初の産業遺産として、往時の姿をとどめながら覚醒した。
主な構成資産は、次の通り
■ 銀鉱山跡と鉱山町
◇銀山柵内(さくのうち)…採掘から選鉱、製練・精練まで銀生産の諸作業が行われいた場所で、柵で厳重に囲まれていたことから「柵内」と名づけられた。
◇龍源寺間部…間歩(まぶ)とは坑道のことで、江戸時代中期に開発され、全長600mのうち約270mが公開されている。
◇大久保間歩…石見銀山最大規模の間歩。約150mが公開されている。
◇熊谷家住宅…大森銀山の街路に面して建つ建築物の中でも最大(約1500㎡)の町家建築。有力商人の社会的地位や生活の変遷を伝える重要文化財。
◇代官所跡…江戸時代に銀山と周辺の領地を管理していた代官たちの屋敷跡。現在は「資料館」。
◇羅漢寺五百羅漢…銀山の安泰を願った真言宗の寺院。3つの石窟があり、中央窟に三尊仏、左右に250体ずつの石造五百羅漢坐像がある。
■ 街道(石見銀山街道)および港と港町
◇温泉津沖泊道…銀山と日本海に面した沖泊か、沖泊に隣接する温泉津までを結ぶ全長約12kmの道中には、苔むした石造の坂や石仏などがある。
◇鞆(とも)ケ浦道…銀山開発初期の16世紀前半に、銀山から博多へ運ぶ鞆ケ浦港までを結んだ約7kmの険しい街道。

後半は、講談社の「動く図鑑move・世界遺産」(本体2000円) を、年末に書店の店頭で見て感銘し、すぐに購入した酒井義夫が詳しく紹介。NHKのスペシャル映像を豊富に使ったDVD付の「動く図鑑move」シリーズはこれまでに22冊が刊行され、親子で親しめると評判となって累計300万部突破したそうで、「動く図鑑move・世界遺産」はこのシリーズの最新刊。




図鑑には、全体の約2/3は「日本の世界遺産」、後半の1/3は「海外の世界遺産」が取り上げられています。「日本の世界遺産」は、知床、白神山地、屋久島などの自然遺産から、日光、富士山、京都、熊野古道、原爆ドーム、琉球王国のグスクなどの文化遺産まで、日本の22ある世界遺産を北から順に南へと、それぞれ数ページにわたって豊富な写真とともに詳しく解説されています。さらに北海道・北東北の縄文文化、佐渡金山、鎌倉など世界遺産に申請中のエリアについても紹介されていて、大人がみても十分に満足できる内容になっています。文字は最小限なので、子どもでも興味がわきそう。「海外の世界遺産」は、エジプトのピラミッドからヴェルサイユ宮殿、モンサンミシェルなどの文化遺産から、グランドキャニオン、ガラパゴス諸島などの自然遺産まで代表的な世界遺産63か所を、迫力のある写真や臨場感あるイラストで紹介しています。
NHK制作のDVDを見ながら会は進められ、「チョー絶景な世界遺産」など次の5つのジャンルに分けた映像は、どれも興味深いものでした。
①「チョー絶景な世界遺産」…グランドキャニオン・イグアスの滝・エンジェルフォール(ベネズエラ) ・武陵源 ②「超アチチな世界遺産」…ハワイ火山国立公園・イエローストーン・ナミブ砂漠 ③ 「こんなところに生きもの発見」…セレンゲティ国立公園・ツインギティ(マダガスカル)・オオカバマダラ生物圏保護区(メキシコ) ④「アンビリーバブルな世界遺産」…バリアリーフ保護区(ベリーズ)・カカドゥ国立公園(オーストラリア)・ポンペイ遺跡・メテオラ修道院(ギリシャ) ⑤「ちょっとミステリーな世界遺産」…ストーンヘイジ(イギリス)・イースター島モアイ像・エボラ教会(ポルトガル)・聖母マリア教会(チェコ)・エディンバラ旧市街
時々「どちらが高いでしょう」自由の女神像(ニューヨーク)とビッグベン(ロンドンの国会議事堂)、タージマハル(インド)とピサの斜塔(イタリア)はほぼ互角。けっさくなのは、ケルンの大聖堂(ドイツ)157mとサグラダファミリア(スペイン)102m、でも、2026年の完成時には172mとなる「サグラダファミリアの勝」など、視聴者をあきさせない工夫があちこちにほどこされています。DVD後半は、日本の世界遺産の姫路城、平泉、厳島神社、日光東照宮、白川郷、富士山を取り上げあげています。とくに、富士山が過去の4回にわたる噴火を図示しながら、日本一の山になるまでの過程が描かれているのは驚きでもありました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」1月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫    文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一    文新1960年卒
  • 深澤雅子    文独1977年卒
  • 増田一也    文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒