2015年6月17日水曜日

第13回「参火会」6月例会 (通算377回) 2015年6月16日(火) 実施

「昭和史を考える集い」10回目 昭和20年8~12月「焦土の中から」

今回は、NHK制作DVD10巻目の映像を視聴しました──




(おもな内容)

連合軍先遣隊厚木に到着、マッカーサー元帥厚木到着、横浜に連合軍総司令部設置、東京湾海上ミズーリ―号で降伏文書調印、東久邇宮稔彦内閣成立、米兵ギャング事件発生、女学校休校、進駐軍向け慰安施設開設、各地で国粋主義者自決、天皇マッカーサー訪問、GHQ次々と指令─治安維持法廃止・政治犯釈放・特高警察廃止、幣原喜重郎内閣成立、徳田球一ら政治犯釈放、GHQ東条英機ら戦犯容疑者逮捕命令(東条英機自殺未遂)、近衛文麿服毒自殺、横浜でBC級戦犯裁判、マニラ軍事裁判で山下奉文に死刑判決、日本社会党結成、衆議院議員選挙改正公布により婦人に参政権、財閥解体指令、農地解放指令、労働組合法公布、各地の中学・高校で同盟休校頻発、修身・日本歴史・地理の授業停止、東大の大内兵衛ら復職、国家と神道の分離、樺太からの引き上げ船撃沈、飢餓対策国民大会開催、中央線笹子駅で列車脱線など列車事故頻発、仇討物・心中物・剣劇物など上演禁止、スピードくじ・宝くじ人気、早慶戦復活、「リンゴの唄」大流行、「日米会話手帳」ベストセラーなど……。

「この時代の概要」

原爆投下とソ連の参戦により、日本はポツダム宣言を8月14日の夜に受諾して降伏しました。8月28日、日本占領のため米軍の先遣隊が厚木飛行場に到着、2日後には連合国最高司令官マッカーサーも到着し、以後、連合国軍最高司令官司令部(GHQ)の管理下におかれることになりました。敗戦直後、鈴木貫太郎内閣から代った東久邇宮稔彦内閣は、支配秩序の危機を皇族の権威で乗り越えようと、「国体維持」「一億総懺悔」を唱えて、旧体制維持を貫こうとしました。しかし、10月4日マッカーサーによる自由・民主化の指令に抗しきれずに総辞職、幣原喜重郎内閣に代るものの、矢継ぎ早やともいえる占領軍の民主化指令にとまどいました。いっぽう国民は飢えに苦しみながらも、初めて手にする自由の中で、焼け跡にバラックを建て、闇市などへ買い出しに明け暮れながら、懸命に生き抜く努力をするのでした……。





約50分の映像を視聴後、配布資料の補足説明が行われ、特に「敗戦・占領期の人びとの動き」の資料が好評でした。平凡社地図出版が制作したもので、①占領地からの復員・引き揚げ ②日本国内からの帰還・送還 ③日本人捕虜のシベリア抑留の3つが色分けされた労作です。たとえば①では、中国本土161万、満州127万、東南アジア71万、台湾48万など ③では、ソ連が8月7日に参戦し1週間後に戦争が終ったにもかかわらず、9月2日の降伏文書調印の前日まで戦闘行為を続け、57万5千人もの日本人捕虜をシベリアへ抑留して強制労働に従事させ、6万人も死亡させた行為には、あきれるとともに、こんな国に終戦のあっせんをしていた日本政府のなさけなさに憤る声もあがりました。
また、GHQの民主化「5大改革」 ①婦人解放 ②圧政的諸制度の撤廃 ③労働組合の助長 ④経済の民主化 ⑤自由主義教育 のうち「農地改革」「財閥解体」が、とくに話題になりました。また、この時代になると、参加者の中には、当時をはっきり記憶している方も多く、小林・草ヶ谷・反畑・郡山・岩崎・竹内・植田各氏らから、貴重なお話を聞くことができました。


「参火会」6月例会参加者 (50音順・敬称略)


  • 岩崎  学 文新1962年卒 
  • 植田康夫  文新1962年卒
  • 小田靖忠 文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司文新1960年卒
  • 郡山千里 文新1961年卒
  • 小林宏之 文新1960年卒
  • 酒井猛夫 外西1962年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 菅原  勉  文英1966年卒
  • 竹内 光 文新1962年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 深澤雅子 文独1973年卒
  • 増田一也  文新1966年卒
  • 増田道子 外西1968年卒
  • 向井昌子 文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒