2017年11月22日水曜日

第37回「参火会」11月例会 (通算401回) 2017年11月21日(火) 実施

「現代史を考える集い」31回目  昭和61・62年「円高・国際化の中の日本」




今回は、NHK制作DVD31巻目の映像──
天皇在位60年記念式典・東京サミット開催・臨時国会召集も本会議なしで国会解散・衆参同日選で自民党圧勝・新自由クラブが結党10年で解散・社会党土井たか子委員長選出・自民党中曽根総裁の任期1年延長を決定・フィリピンアキノ大統領就任宣言・米スペースシャトル爆発乗員7人死亡・チェルノブイリ原発事故・英皇太子とダイアナ妃来日・男女雇用機会均等法施行・撚糸工連事件国会に波及・全国各地で大雨災害小貝川(利根川支流)決壊・三菱銀行有楽町支店前で現金輸送車3億円余強奪される・藤尾文相日韓合併をめぐる発言で罷免・日銀公定歩合3%へ引き下げ・防衛費GHP比1%枠突破・伊豆大島三原山大噴火で全島民東京へ避難・売上税法案国会提出・参院岩手補選で社会党勝利・売上税法案廃案へ・フィリピンで誘拐の若王子さん解放・帝銀事件の平沢貞通死刑囚死亡・広島の衣笠祥雄選手連続出場記録達成・利根川進氏にノーベル賞・JR発足・全日本民間労働組合連合会(連合)発足・天皇陛下慢性すい炎と発表・地価が東京で前年比平均85.7%上昇・朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲撃される・大韓航空機ビルマ上空で行方不明・米政府が半導体摩擦で対日制裁措置発表・東芝機械ココム違反で強制捜査・中曽根裁定で竹下幹事長を次期総裁に指名・竹下登内閣発足・米ソ首脳INS(中距離核戦力)全廃条約に調印・ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)・東京株式市場大暴落ほか約56分を視聴後、この時代を振りかえる説明がなされました(下記「この時代の背景」参照)。




後半は、メンバーの酒井義夫が、先週2泊3日で「厳島神社・原爆ドーム(共に世界遺産)・出雲大社・足立美術館・倉敷美観地区・錦帯橋・水木しげる妖怪散策ロード」へ出かけたことで、300枚以上の写真をスクリーンに投写しながら、この旅のリポートをさせてもらいました。また、来年1月から始まる「世界遺産を考える集い」の第1回目 ヨーロッパ篇①「スペイン・イギリス・クロアチア」は、酒井猛夫が講師役を、第2回目 ヨーロッパ篇②「ベルギー・スイス・フランス・スウェーデン」は、谷内秀夫氏が講師役を、酒井義夫が進行役をつとめることになったことを了承いただきました。




「この時代の背景」

前回の昭和60年、貿易の黒字高でも在外資産高でも世界一になった日本は、名実ともにアメリカと競う経済大国となり、昭和61年以降も、好調な経済発展を遂げていました。61年5月には、第12回先進国首脳会議が、2度目の「東京サミット」として開かれ、ここではドル安円高に揺れる国際通貨市場の安定をはかることや、同年4月28日にソ連のウクライナでおきたチェルノブイリ原発事故の情報提供を求めることなどが討議され、そのための西側諸国の協力と結束をうたった「東京宣言」が発表されました。

中曽根首相は、「東京サミット」を主催し「議長」としての外交手腕は各国から高く評価されたことで、この勢いを利用しようと衆院を解散、同年7月に衆参両院の同時選挙が行われました。その結果は、自民党が衆議院で304、参議院で非改選を含め142議席を獲得して大勝利し、首相の権威をさらに高めました。中曽根は、同年10月に2期目の自民党総裁任期を終えるはずでしたが、党則を改訂して1年間総裁任期を延長しました。いっぽう敗北した社会党は、石橋委員長以下執行部が総辞職すると、9月の全党員選挙で、土井たか子が上田哲に圧勝し、大政党では日本初の女性党首が誕生しました。のちに土井は、明確な発言や庶民的なキャラクターで、「おたかさんフィーバー」をまきおこしました。

中曽根は、首相として残された任期のうちに、国鉄の民営化と大平内閣以来懸案だった売上税の導入という2つの大仕事に取り組みます。国鉄は、すでに民営化された電電公社(今のNTT)や専売公社(今の日本たばこ)とちがって、大きな問題をかかえていました。経営赤字の累積(59年末までに22.1兆円)、労使関係の悪化による職場規律の荒廃などで、54年には人員を7万4千人削減して35万人とする「経営改善計画」が発足していましたが、実現にはほど遠いものがありました。これを61年11月、中曽根首相の裁断で、「国鉄改革関連法案」を成立させました。その要点は、旅客6社(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)と貨物1社など11法人によるJRグループと、16兆7千億円の負債や資産は9千人の従業員とともに国鉄清算事業団に引きつがれるというものでした。こうして、翌62年4月1日、国鉄は115年の歴史の幕を下ろし、かつての3公社はすべて姿を消しました。

中曽根の足元を揺るがしたのは、「売上税」導入問題でした。中曽根の発想は、5%の売上税を導入するかわりに、所得税・住民税・法人税の減税を行うというものでしたが、これに対し、百貨店協会・チェーンストア協会・小売業協会をふくむ日本商工会議所は反対を決議し、自民党支持グループは内部分裂。さらに62年3月の衆院岩手補欠選挙や、4月の北海道・福岡知事選に自民党が敗北し、内閣支持率が前年末39%から24%に低下すると、野党は新年度予算成立と引きかえに売上税廃棄を要求しました。これに応えたことで自民党は、売上税導入に失敗しました。中曽根は、ロン・ヤス関係を柱にタカ派の姿勢を取り続け、靖国神社公式参拝、防衛費1%枠突破、原子力空母の承認などを貫きましたが、この売上税導入失敗は中曽根内閣の命取りとなり、退陣へとつながりました。中曽根首相は62年夏、退陣の意思を表明すると、竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎の3名が立候補し、次期総裁の地位を争いました。その結果、その決定は中曽根の指名によることになり、中曽根は後継者に竹下を指名、同年11月に竹下登内閣がスタートしました。

この2、3年間に世界は、緊張緩和に動きだしていました。昭和60年3月に、ソ連の新しい指導者にゴルバチョフ書記長が就任し、11月にスイスのジュネーブで、米レーガン大統領と会談するなど、冷戦時代は終わりを告げようとしていました。ゴルバチョフは、ソ連国内に「ペレストロイカ」(再構築を意味する改革)や「グラスノスチ」(情報公開)など、民主的な方向に改良していきました。日本も大国の一つとして、世界平和の大きな責任を負うことになります。

なお、急速な円高基調に、輸出不振による「円高不況」を心配した日銀は、昭和61年1月30日、公定歩合を5%から4.5%に引き下げを試みると、以後翌62年2月の2.5%まで、7回にわたる引き下げを繰りかえしました。このような超低金利政策と、円高防止のためのドル買い行動は、「カネ余り現象」を引き起こしました。その結果として、土地や株の相場を押し上げ、高級ブランド商品、高級外車、ゴルフ会員権や絵画、リゾートマンション、はては外国の不動産に至るまで買いあさるブームを引き起こしたのでした。

(文責・酒井義夫)


「参火会」11月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒