2014年12月17日水曜日

第7回 「参火会」12月例会 (通算371回) 2014年12月16日(火) 実施

「昭和史研究の集い」 第5回目 「太平洋戦争勃発」 昭和16年

進行役・谷内秀夫氏

「NHKの映像をもとにしたDVDの視聴」



(おもな内容)

ニュース映画を全国で強制上映実施、東条陸相「戦陣訓」(生きて虜囚の辱を受けず…)を示達、松岡外相がソ連経由で独・伊訪問に出発、日ソ中立条約調印、ハル国務長官・野村吉三郎大使との日米交渉開始、日本軍・南部仏印進駐、米国在米日本資産を凍結、米英両首脳が大西洋憲章発表、「国民勤労報国協力令」公布、小学校を「国民学校」と改称、「生活必需物資(米・酒・木炭・塩・味噌・醤油・衣料品など)統制令」を布告、大学・専門学校修業年限短縮、李香蘭が日劇に出演、左翼出版物一括発禁、ゾルゲ事件で尾崎秀実検挙、全国一斉に防火演習を実施、東条英機内閣成立、御前会議、日米交渉決裂、御前会議が日米英蘭開戦決定、日本軍ハワイ真珠湾を攻撃、日本軍東南アジア海域を征圧、日・タイ同盟条約調印……など。

「この時代の概要」

昭和16年は、重苦しい雰囲気の中でスタートしました。中国との全面戦争はドロ沼化し、いつ解決するかの見通しの立たないまま、前年9月に「日独伊三国同盟」をむすび、同時に「北部仏印進駐」しました。これに対しアメリカは、航空燃料・鉄鋼などの対日輸出禁止の経済制裁に出ました。国民生活は戦争の長期化と拡大のため、経済困惑は激しさを増し、生活必需品の欠乏は目に余るものとなります。

近衛政府は4月、ハル米国務長官・野村吉三郎駐米大使との日米交渉を進めるいっぽう、日本軍は7月、石油、ゴム、アルミなどの資源を求めて南部仏印に進駐を開始しました。この行動はアメリカの態度をいっそう硬化させ、対日石油輸出禁止、在米日本人の資産凍結など強硬な手段に出ました。ハル国務長官・野村大使との日米交渉も行き詰まり、見通しを失って近衛内閣は総辞職、10月に日米開戦に強硬な東条英機内閣に代わりました。

こうして、昭和16年12月8日、日本は米英蘭に宣戦布告、海軍はハワイオアフ島の真珠湾を攻撃、陸軍はイギリス領マレー半島への上陸作戦に出ました。中国との戦いに大苦戦している上に、大国アメリカ・イギリスを敵にまわし、さらにチャンスがあれば、ドイツと手をつないでソ連を攻撃しようとする日本。ドイツの力を過信し、まさに破れかぶれの決断でした……。


DVDの視聴後、前回に引き続き、外務大臣松岡洋右の行動についての話し合いがもたれました。松岡は、3月から4月末まで、ソ連経由でドイツを訪問しヒトラーと会見して意気投合、独断でソ連スターリンと面談して「日ソ中立条約」に調印しました。いっぽう4月初めからスタートした日米交渉で、米ルーズベルト大統領と近衛首相がハワイかアラスカでトップ会談を行うことが決まり、近衛首相以下、陸・海相ほか全員が賛成しました。

ここですぐに了解の返事をだせば、歴史は変わったかもしれません。ところが近衛は「もうすぐ松岡が帰ってくる。松岡の意見もきこう」といい、帰国した松岡はこれに猛反対、「これは陸軍の陰謀。オレがアメリカとの交渉をうまくやる」という最悪の決断をしました。それから2か月後にドイツが550万人の大軍でソ連に侵攻を開始すると、「南進よりも北進してソ連と戦うべし」といい出します。これには昭和天皇もあきれ、独白録に「松岡は、ヒトラーに買収されてきたに違いない。国際信義を無視する松岡をクビにせよ」といったとされ、近衛は7月17日に総辞職し、松岡から豊田外相に代えただけの第3次近衛内閣を成立させたのでした。

日本の不幸は、せっかくのルーズベルトとの会談をのがした貴族出身おぼっちゃま宰相近衛の行動の甘さ、自信過剰で饒舌家の松岡を内閣の中枢においたことではないかの指摘や、天皇の責任問題まで話が進みましたが、そのへんの議論は、今後の会のテーマとすることになりました。

~ ※ ~ ※ ~ ※ ~

後半30分間は、メンバーの反畑誠一氏から、監修者として11月18日に刊行した書籍についてのお話をうかがいました。

タイトル『うたのチカラ─JASRACリアルアカウントと日本の音楽の未来』(集英社刊)
著者─JASLAC創立75周年記念事業実行委員会
監修=反畑誠一



プロローグ それは"旋風"からはじまった 筆者・反畑誠一


  • 第1章「音楽著作権75年の物語」 筆者・反畑誠一
  • 第2章「すべてはあの創成期に始まった」: 現JASRAC会長の作曲家・都倉俊一(作詞家・阿久悠と組んで、山本リンダの「こまっちゃうな」をはじめ、「ペッパー警部」などピンクレディのすべての作品をてがけ、1000曲以上のヒット曲とレコード売上4000万枚のヒットメーカー)へのインタビュー
  • 第3章「リアルカウント32年と日本の大衆音楽」: 過去32年間の上位著作権料を獲得した曲一覧他
  • 第4章「ディアソングス─生まれてきてくれてありがとう」: 「東京ブギウギ」にはじまり、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「時代」「北国の春」「いい日旅立ち」「舟歌」「居酒屋」「天城越え」「涙そうそう」など、時代のエポックとなった歌が生まれた背景を、関係者に取材したレポート
  • 第5章「鼎談 愛される歌、日本人が本当に好きなうたとは?」


以上、400ページをこえる大作で、このような『現代音楽史』ともいえる本が、私たちのメンバーの中から生み出されたことが誇らしく思えるという印象です。時間の都合で、次の機会に、「『ユーチューブ』と著作権」をテーマにした話し合いをすることになりました。

「参加者」(五十音順・敬称略)

  • 岩崎学
  • 植田康夫
  • 小林宏之
  • 酒井猛夫
  • 酒井義夫
  • 菅原勉
  • 谷内秀夫
  • 反畑誠一
  • 鴇澤武彦
  • 増田一也
  • 山本明夫


2014年11月19日水曜日

第6回 「参火会」11月例会 (通算370回) 2014年11月18日(火) 実施

「昭和史研究の集い」第4回目「日中全面戦争」昭和13~15年

「NHKの映像をもとにしたDVDの視聴」



(おもな内容)
近衛文麿政府が中国蒋介石政府との和平交渉を打ち切る「国民政府を相手にせず」(第一次近衛声明)、国家総動員法公布、日本軍徐州占領、火野葦平「麦と兵隊」、日本軍武漢三鎮を占領、日本軍広東占領、近衛首相「東亜新秩序建設」声明(第二次近衛声明)、張鼓峰で日ソ両軍衝突、満蒙国境ノモンハンで日本軍と外蒙軍と衝突し1個師団壊滅、満蒙開拓青少年義勇軍2500人の壮行会挙行、大内兵衛ら教授グループ検挙、発禁書物多数、警視庁盛り場の学生狩り、「強力日本建設」に向け初の興亜奉公日、木炭自動車出現、横綱双葉山69連勝でストップ、近衛内閣総辞職し平沼騏一郎内閣成立、独ソ不可侵条約成立し「欧州情勢は複雑怪奇」と平沼内閣総辞職、ドイツ陸・空軍ポーランド進撃により「第2次世界大戦」始まる、独軍マジノ線突破、仏パリ陥落、独軍900機ロンドンを空襲するものの壊滅(以後上陸諦め)、米内光政内閣成立、日本軍宣昌占領、日本軍重慶占領・ドロ沼化、第2次近衛内閣成立、日本軍北部仏印進駐、日独伊三国同盟調印、大政翼賛会発会式、全国一斉に防火大演習、「ぜいたくは敵だ」の立看板・東京のダンスホール閉鎖、紀元2600年記念式典挙行……など約42分

「この時代の概要」

2.26事件後、ますます発言権を強めた軍部は、陸・海軍の大拡張計画をスタートさせ、反対勢力を弾圧しながら、昭和12年の「盧溝橋事件」をきっかけに、中国全面戦争に突入しました。しかし中国との戦争は、当初軍部や政府がもくろんでいた早期に片づくものではなく、「国民政府」と「中国共産党」が内戦を休止し「抗日民族統一戦線」を結成させたことで、日中戦争は中国全土におよび、戦争は泥沼の長期戦となりました。戦争を引き起こした第一次近衛文麿内閣は、戦争の解決の見通しが立たなくなったことに嫌気をさして退陣、これに代わる平沼、阿部、米内内閣とも短命内閣に終わり、問題解決の糸口がみつかりません。この難局を突破しようとしたのが、第二次近衛内閣によるドイツ、イタリアとの提携強化でした。

当時ヒトラー率いるドイツは、オーストリア、チェコスロバキア併合後、昭和14年9月にはポーランドに進撃したことで「第2次世界大戦」を引きおこし、15年4月から5月にかけてデンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダを占領、6月にはパリを無血占領してフランスを支配下におくなど、破竹の進撃を続けていました。

近衛内閣は、ヒトラーの叫ぶ「ヨーロッパ新秩序」に呼応して「東亜新秩序」を表明。14年1月にヒトラーから提案された「日独伊三国同盟」締結に、最後まで反対し続けていた「海軍」も世の中の動きに屈服し、9月にイギリス・アメリカと敵対を決定づける「日独伊三国同盟調印」となったのでした。

DVD視聴後、なぜ、「日独伊三国同盟」が結ばれたかを中心に、話し合いがもたれました。

とくに、近衛内閣の外相を務めた松岡洋右(ようすけ)の存在が話題になり、松岡がアメリカのミッションスクールで教育を受けたことで、流暢な英語を話すこと。しかし、黄色人種として迫害に近い仕打ちを受けたことがトラウマになり、強硬な反米派になったこと、唯我独尊、反対意見を聞かない自信家のため、海軍が「何十回シュミレーションしても対アメリカ戦争には勝てない」と主張しても、聞く耳を持たなかったこと。さらに遡って昭和8年、リットン調査により「国際連盟」総会で「日本は満州から撤退」勧告案が42対1(反対日本のみ)で決議された際、日本全権主席だった松岡は「連盟と協力しようとする努力の限界に達した」と英語で演説し、席にもどることなく、代表団を率いて議場を退場(正式には3日後に通告)したことで、国際的孤立を深めた……といったような意見が出されました。

また、「三国同盟」の調印の少し前に、「イギリスよ、日本のいうことを聞け」という趣旨の「新聞の共同声明」がなされたこと。朝日・東京日日(毎日)・読売・同盟通信・報知。都・国民新聞など日本を代表する報道機関の姿勢が問題視されました。

~ ※ ~ ※ ~ ※ ~

その後、メンバーで「週刊読書人」社長の植田氏に、最近本紙とは別に、タブロイド版の『PONTO(ぽんと)』を発刊したことで、その刊行意図やねらいをお聞きしました。第1号のテーマは「日本の性(さが)・性(せい)」で、最近注目されている「葬送の自由をすすめる会」会長へのインタビュー、「秘宝館のマリリンモンロー」、鼎談「女子が読む官能的書物」など硬軟いりまじった斬新な企画に、多くメンバーが賛同しました。近く「季刊」となるようで、今後に注目したいと思います。



「参加者」(五十音順・敬称略)

  • 植田康夫
  • 郡山千里
  • 小林宏之
  • 酒井義夫
  • 菅原勉
  • 竹内光
  • 鴇澤武彦
  • 山本明夫

2014年10月22日水曜日

第5回 「参火会」10月例会 (通算369回) 2014年10月21日(火) 実施

「昭和史研究の集い」第3回目「非常時日本」昭和8~12年

進行役 谷内秀夫氏

「NHKの映像をもとにしたDVDの視聴」



(おもな内容)
日本軍が山海関を占領、日本軍が熱河省承徳を占領、国際連盟は日本軍の満州撤退勧告を42対1で採択、国際連盟脱退の証書発表、日本軍華北へ侵入を開始し塘沽(タンクー)停戦協定成立、ヒトラーがドイツを支配、灯火管制演習、プロレタリア作家小林多喜二虐殺される、鳩山一郎文相が京大滝川幸辰教授の辞任を要求(京大事件)、共産党幹部佐野学・鍋山貞観ら獄中で転向表明、東京音頭・ヨーヨーが大ヒット、小学校国語読本サクラ読本に、皇太子明仁誕生、東郷平八郎元帥国葬、三陸地方に大津波死者・行方不明3064人、函館市大火、室戸台風関西を直撃死者・行方不明3246人、中国共産党「抗日教国統一戦線」を提唱、美濃部達吉の天皇機関説問題化、陸軍省軍務局長永田鉄山刺殺される、青年将校ら1400人以上がクーデタをおこし斎藤実内大臣、高橋是清蔵相らを暗殺(2.26事件)、岡田啓介内閣総辞職、広田弘毅内閣成立、首・外・陸・海・蔵5相会議「国策の基準」を決定、日独防共協定調印、第11回オリンピック・ベルリン大会開催、「国民歌謡」放送開始、阿部定事件、ヘレン・ケラー来日、朝日新聞社の「神風号」世界新記録でロンドン着、広田内閣総辞職、林銑十郎内閣成立、第1次近衛文麿内閣成立、盧溝橋で日中両軍が衝突し「日中戦争」始まる、日本軍杭州湾上陸、日本軍南京占領……など約45分

DVD視聴後、わが国最大のクーデタ「2.26事件」がなぜ起こり、軍部独走の道がどのように作られていったかについてを中心に、話し合いがもたれました。

国際連盟を脱退し、ドイツやイタリアに先駆けて戦争への道を突き進み、「非常時」のかけ声のもとに国内外の戦争準備体制が少しずつ整備されていきました。教育や文化の統制が強化され、思想弾圧も厳しく行われ、国民を戦争に動員する体制が作られていきます。「2.26事件」が、こうした体制の強化に拍車をかけることになり、事件後の広田弘毅内閣の下で軍部の発言権は一気に強まり、陸・海軍の軍備の大拡大計画かスタート。そして、「盧溝橋事件」をきっかけに中国との全面戦争に突入し、当時の中国の首都南京を占領して、3万人以上の市民を虐殺する悪名高き「南京事件」(中国発表は30万人)を引き起こすのでした……。

しかし実情は、連戦連勝いう大報道に対し、大都市やおもな交通網(いわゆる「点と線」のみ)の勝利で、中国側のゲリラ戦に大苦戦でした。そのころ在中ドイツ大使の停戦工作があり、参謀本部も乗り気だったのにもかかわらず、なぜか、近衛文麿総理はこれを拒否したのでした……等など。

こんな話し合いのあと、今の安倍政権下の日本は、当時の情況に似てきていないか、また「イスラム国」の存在をどのようにとらえるかといったところへ話題は広がり、活気ある話し合いがつづきました。


「参加者」(五十音順・敬称略)

  • 植田康夫
  • 郡山千里
  • 酒井猛夫
  • 酒井義夫
  • 菅原勉
  • 谷内秀夫
  • 反畑誠一
  • 鴇澤武彦
  • 増田一也
  • 山本明夫

2014年9月17日水曜日

第4回 「参火会」9月例会 (通算368回) 2014年9月16日(火) 実施

「昭和史研究の集い」第2回目「銀座の柳と軍靴の響き」昭和4~7年

進行役 谷内秀夫氏

「NHKの映像をもとにしたDVDの視聴」



(おもな内容)
説教強盗妻木松吉逮捕、ドイツ飛行船ツェッペリン号霞ヶ浦に着陸、リンドバーグ夫妻が太平洋を横断し来日、代議士山本宣治刺殺される、共産党員大検挙、田中義一内閣総辞職し浜口雄幸内閣成立、浜口首相緊縮政策を全国に放送、金輸出解禁実施、鐘紡争議各地へ波及、エントツ男出現、東北・北海道大凶作、ロンドン海軍軍縮条約調印、浜口首相東京駅で狙撃され重傷、浜口内閣総辞職し第2次若槻礼次郎内閣成立、満州事変勃発、日本軍錦州を爆撃、若槻内閣総辞職し犬養毅内閣成立、第1次上海事変勃発、リットン調査団報告書を政府に通達、満州国建国宣言、日満議定書調印し満州国成立、前蔵相井上準之助射殺される、団琢磨射殺され井上日召自首、海軍将校ら犬養毅首相を射殺(5.15事件)、日本橋白木屋デパート火災、第1回日本ダービー、第10回オリンピック・ロサンゼルス大会開催など……約50分。

DVD視聴後、対中国「15年戦争」の始まりとなる「満州事変」を中心に、話し合いがもたれました。

1919年に中国国民党、1921年に中国共産党が結成され、1920年代後半になると、少しずつ中国全土は統一されつつありました。これに危機感をいだいた旅順の日本陸軍(関東軍)は、石原莞爾、板垣征四郎を中心に、政府の方針を無視して、1931年9月、奉天郊外の「柳条湖」で満州鉄道を爆破。これを中国軍の仕業として、満州を支配下におこうと軍事行動を開始しました。

なぜ、こんな行動が可能になったのか。本来なら、大元帥(昭和天皇)の命令なく軍隊を動かすことは大犯罪で、陸軍刑法では死刑となる行為でした。しかし、閣議を開き、閣議決定をしたものには天皇は認可するというルールが適用され、これまで軍の満蒙問題に慎重だったマスコミもこれに同調。NHKラジオ(当時55万世帯契約)が臨時ニュースを連発して連戦連勝を伝え、大部数を競っていた朝日・毎日新聞も「号外」を連発して、「軍部の宣伝機関化」したかのように国民的熱狂をつくりあげていったのでした……。



「参加者」(五十音順・敬称略)

  • 岩崎学
  • 小林宏之
  • 小松久晃
  • 酒井猛夫
  • 酒井義夫
  • 竹内光
  • 谷内秀夫
  • 反畑誠一
  • 鴇澤武彦
  • 深澤雅子
  • 増田一也

2014年7月17日木曜日

第3回 「参火会」7月例会 (通算367回) 2014年7月15日(火) 実施

「昭和史研究の集い」第1回目「幕あける昭和の時代」大正~昭和3年

進行役 谷内秀夫氏

初めに、用意した「開国から昭和が始まるまで」(写真)をもとに解説。



1853年ペリーが4隻の黒船で浦賀に来航、翌54年おどしに屈した徳川幕府が「日米和親条約」を結んで下田・箱館を開港(英・露・蘭とも同様の条約) さらに1858年、大老井伊直弼が「日米修好通商条約」を結び、箱館・新潟・神奈川・兵庫・長崎の5港を開港。(英・蘭・仏・露とも同様の条約) これが「治外法権・関税自主権のない不平等条約」だったことから、開国に反対する学者や大名たちを処罰(安政の大獄)。

1860年3月「桜田門外の変」で井伊が殺害され、いっきに尊王攘夷運動が活発化。1863年の「薩英戦争」「下関戦争」で外国との戦力差をさとった薩摩藩と長州藩が、坂本龍馬の仲立ちにより66年に秘密同盟「薩長同盟」を結んで討幕を決断。67年に15代将軍慶喜の「大政奉還」を経て、「明治維新」となり版籍奉還・廃藩置県を実施して、「中央集権国家」をつくりあげます。

欧米視察・留学・「お雇い外国人」の採用など、背伸びをしながらも積極的に欧米から学んだ知識をもとに、短期間に近代国家建設に成功すると、1894・95年の「日清戦争」に勝利し、清の持っていた朝鮮権益を日本のものにし、「台湾の割譲」や、遼東半島への進出するきっかけを作り、1904・05年の「日露戦争」の勝利により、旅順・大連の入手、南満州鉄道(満鉄)・安奉鉄道の経営権・両鉄道を守るための軍隊駐留権などのほか、南樺太を入手しました。

1907年に日本による「満州の経営」が開始され、1910年には「韓国併合」、1915年にはヨーロッパ列強が「第一次世界大戦」に参戦しているすきに、「対華21か条の要求」を、まだ弱体の「中華民国」につきつけて、ドイツが山東省に持っていた権益や南洋諸島に持っていた権益を引き継ぎました。急に威張りだした日本に対し、中国や韓国民衆の反感が大きくなり、1919年には五・四運動(中国)・三・一独立運動(韓国)がおこり、抗日運動が激化しだしたことで、その国権回復、反帝国主義闘争の矢面に立つことになりました。

アメリカも日本を警戒しはじめ、1922年には「ワシントン海軍軍縮条約」を開き、主力艦(戦艦・空母)の持つ比率を、英・米・日を5・5・3としたほか、「日英同盟」の破棄、日本の山東省権益の返還をせまりました。

そして、1923年の「関東大震災」の打撃に襲われて経済不況が続き、都市では労働争議、農村では小作争議が激化しました。また、1917年の世界初の社会主義革命「ロシア革命」の成功に、世界的な社会運動が発展するなかで、日本共産党や、労働農民党など無産政党が生まれるなど、社会の矛盾の深まりと対立の中で、昭和の時代がスタートしたのでした。


「NHKの映像をもとにしたDVDの視聴」

大正天皇崩御、「昭和」の改元、関東大震災、裕仁親王ご成婚、東京放送局ラジオ仮放送開始、金融恐慌始まる、田中義一内閣成立、第1次山東出兵、日本軍と国民政党軍が衝突(済南事件)、関東軍が張作霖を爆殺、初の普通選挙、日本共産党員の全国的大検挙、北丹後地震、モガ・モボ流行、上野~浅草間に初の地下鉄開通、芥川龍之介服毒自殺、岩波文庫発刊、映画「血煙高田馬場」公開、流行歌レコード発売、ラジオ体操放送開始、第9回オリンピック アムステルダム大会開催、天皇即位の大礼挙行など……約50分。

参加者全員に、視聴したDVDや資料が配布されました。


「参加者」(五十音順・敬称略)
  • 岩崎学
  • 植田康夫
  • 郡山千里
  • 小林宏之
  • 酒井猛夫
  • 酒井義夫
  • 菅原勉
  • 竹内光
  • 反畑誠一
  • 谷内秀夫
  • 増田一也
  • 山本明夫

なお、8月は「ソフィアンズクラブ」が休みのため、8月下旬に「懇親旅行と懇親会」を計画しましたが、参加希望者が催行人数に満たなかったため、延期することになりました。

2014年6月20日金曜日

第2回 「参火会」6月例会 (通算366回目) 2014年6月17日(火) 実施

テーマ 「戦後の異色出版社S社 50年の盛衰史」

1. 素人集団による出版業界参入
2. GHQ推薦図書4点に25%という高率入札
3. 角川文庫の好売行に刺激されて「文庫」を開始
4. カバー、コート紙、写真など初ものがヒット
5. ユニークな編集方針
6. 平積み販売が学生に大人気
7. 全国2/3高校が「図書館セット」を採用した理由
8. 大ベストセラーはどのように生まれたか
9. なぜ破たんしたのか……

スピーカー 酒井義夫
高校・大学生時代からS社文庫の愛読者で、上智を卒業してからS社に7年半勤務、30歳で独立後も株主として破たんするまでS社と関わり、現在2000点もの同社の刊行物の大半と、資料本を保管しています。たくさんの実物を示しながら、50年の盛衰を語りました。



会の終了後、次のことが話し合われました。
① 「参火会」を「ソフィアンズクラブ」の正式クラブに登録してもらう。
② 「参火会」のブログを開設し、会の参加者、会がどんなテーマで進められたか、写真を入れながら毎回紹介することによって、若い人たちが参加したいと思うようなものにする。
③ 今後の「参火会」で、スピーカーの希望者がない場合は、当面「昭和史を研究する会」として、昭和元年(大正15年)から昭和64年(平成元年)まで、1回2年間分(32回)を、前半はNHK製作の映像を視聴、後半は2年分の資料を見ながら討論をする。
④ 8月は「ソフィアンズクラブ」が休みのため、「温泉地での懇親会」を行う。

その結果、いずれも承認されましたが、「ソフィアンズクラブ」の正式クラブに登録してもらうためには、「参火会」を正式クラブの規定通りとしなくてはなりません。そこで会長・酒井義夫、副会長・谷内秀夫(共に文新1966年卒)、会計・山本明夫(文新1971年卒)が提案され、承認されたことを報告いたします。



「参加者」(敬称略)
  • 植田康夫
  • 郡山千里
  • 小林宏之
  • 酒井猛夫
  • 酒井義夫
  • 竹内 光
  • 反畑誠一
  • 谷内秀夫
  • 増田一也
  • 山本明夫

第1回 「参火会」5月例会 (通算365回目) 2014年5月13日(火) 実施

テーマ 『アメリカの鏡・日本』(ヘレン・ミアーズ著) を読む

スピーカー 酒井猛夫氏

この本は、GHQ最高司令官マッカーサーが、日本での翻訳出版を禁じた衝撃的な書で、日本通の歴史学者である女史は、ペリー来航からマッカーサーによる占領まで92年間を分析し、列強はいかに日本の権利を認めずに孤立化させ、勝てない戦争へ追い込んでいったかを、日清・日露戦争、韓国併合、満州事変、国際連盟脱退など、数々の歴史的事実を例にあげながら明快に論じています。



「参加者」 (敬称略)
  • 岩崎 学
  • 小林宏之
  • 小松久晃 
  • 近藤修平
  • 酒井猛夫
  • 酒井義夫
  • 竹内 光
  • 反畑誠一
  • 谷内秀夫
  • 増田一也
  • 山本明夫

「参火会」 準備会 (通算364回目)  2014年4月1日(火)実施

2014年3月に終了した「壱火会」を、今後どうするかという話し合いをしました。

せっかく長くつづいてきた会を終了してしまうのは惜しい、継続しようということがまず決まり、現役のOB/OGにも多く参加してもらうには、一般的に月の前半や月末は忙しいはずで、できたらこの時期を避けたいと「ソフィアンズクラブ」に問い合わせたところ、6月以降は第3火曜日を予約することが可能ということがわかりました。

そこで、名称を「参火会」とし、新「世話人」として山本明夫(文新1971年卒)、酒井義夫(文新1966年卒)の2名を選出しました。

その後出席者の中から、「壱火会」時代はPRが足りなかったのではないか、新聞学科の最近開かれたクラス会で「壱火会」の話をしても、ほとんど誰も知らなかったという声があがりました。そこで、新聞学科のOB/OGへのPRをまずはじめに行動し、次に「ソフィア会」事務局を訪ねて「参火会」の存在を知ってもらうこと、会の性格をより明確にするため、当面は「現代史を考える集い」をテーマにするという方向性が決まりました。

「参加者」は、次の通り(敬称略)。
  • 岩崎 学
  • 植田康夫
  • 小林宏之
  • 酒井猛夫
  • 酒井義夫
  • 菅原 勉
  • 竹内 光
  • 反畑誠一
  • 増田一也
  • 山本明夫