2017年4月19日水曜日

第31回「参火会」4月例会 (通算395回) 2017年4月18日(火) 実施

「現代史を考える集い」 25回目   昭和49・50年「高度成長の終焉」





今回は、NHK制作DVD25巻目の映像──
狂乱物価とインフレに悲鳴をあげる主婦たち・東京の三菱重工ビル爆破される(以後企業爆破事件続く)・原子力船「むつ」放射能もれ発見・サリドマイド訴訟和解成立・伊豆半島沖地震・台風16号襲来し東京多摩川の堤防が決壊・元陸軍少尉小野田寛郎ルパング島で救出される・佐藤前首相がノーベル平和賞受賞・モナリザ展開催・北の湖が史上最年少で横綱に・巨人軍の長島茂雄引退・フォード大統領来日・田中首相辞意表明・三木武夫内閣成立・南ベトナム政府軍無条件降伏・三木首相訪米し首脳会談・大阪高裁が大阪空港公害訴訟で住民側全面勝訴の判決・沖縄海洋博開催・新幹線が博多まで開通・国際婦人年世界会議がメキシコで開催・日本女子登山隊エベレスト初登頂・小林則子「リブ号」で太平洋単独無寄港横断・沢松和子ウインブルドンテニスでダブルス優勝・エリザベス女王来日・天皇と皇后が訪米ほか、約48分を視聴しました。

その後、この時代を振り返る話し合いをする予定でしたが、「ソフィアタワー新6号館」に移転した「ソフィアンズクラブ」のルールが大幅に変わり、、その説明や、新ルールにどう対応していくべきか、これからの「参火会」はどうあるべきかについての話し合いに終始しました。そこで、この時代についてのあらましや感想は、酒井義夫が以下に記述しましたので、参考にしてください。


「この時代の背景」

昭和48年10月、突如としておこった「石油ショック」から、49年1月には原油価格は約4倍の値上がりをし、冬を迎えてガソリン代や灯油の大幅値上げなど、物価の高騰、物不足、インフレが深刻化しました。物価高騰は、2月にピークに達して、卸売物価・消費者物価ともに前年同月比30%を越えるという異常事態となりました。戦後まもない時期をのぞけば、戦後最悪の状況となりました。ここ10数年間という長期にわたって、前年比10%もの成長をとげてきた日本経済も、一転して不況の真っただ中に陥ってしまったのです。

「日本列島改造論」を表看板にした田中角栄総理に大いに期待した国民も、依然として放漫な財政支出をしようとする姿勢に批判を浴びせるようになり、田中内閣の支持率は急速に低下していきました。同年7月、おりからの参議院選挙に命運をかけた田中は、ぼう大な選挙資金を使って全国を遊説し、全国区にタレント候補ら35人の候補者を立て、企業グループや有力会社などを割り当てる「企業ぐるみ選挙」という新戦術を行いました。しかし結果は、自民党の惨敗に終わり、参議院の与野党の勢力は、ほぼ伯仲することになりました。露骨ともいえる金権選挙と、強引な行動に怒り、自民党内の田中批判は、椎名副総裁を会長とする調査会にゆだねられました。

いっぽう、田中総理が金権選挙に使った資金は、500億円とも1000億円ともいわれ、この資金はどこから捻出したものなのか、この出どころを解明した人物が現れました。それが、10月10日に発売された「文藝春秋」11月号に掲載された「田中角栄研究━━その金脈と人脈」で、ジャーナリストの立花隆が執筆したものでした。「ユーレイ会社」を設立しては土地を買い占め、タイミングよく売りぬくしくみ、巧妙な政治献金ルートのからくりを、一つずつていねいに調べ上げたものでした。





この記事が掲載された直後に開かれた、日本外国特派員協会での田中総理講演会で、外国人記者から質問が集中し、いっきに大ニュースとなります。以後、マスコミと野党の集中砲火を浴びて政局は大混乱となり、11月26日に辞意を表明すると、まもなく椎名調査会は三木武夫を後任総裁に指名しました。こうして、田中内閣は12月9日に総辞職して2年5か月にわたる政権の座を降りたのでした。三木は、「クリーン三木」といわれるように、その政治姿勢は清潔で、田中政治を否定するかのように金のかかる政治を全廃するという政界浄化を看板に掲げました。

日本経済は、昭和50年に入ると、「石油ショック」に対処するための企業の動きが活発になってきました。企業の減量経営も本格化し、銀行からの借入金をできるだけ返済することによって金利負担の軽減をはかりました。また、人件費の節約、残業時間のカット、パート労働者の削減、配置転換、やがて希望退職者を募るなど、いちだんと厳しいものになっていきます。

いっぽう工場では、コンピューター技術を利用した(ME…マイクロエレクトロニクス)化やロボット化を急速に進展させていきます。これまでの鉄鋼や石油産業といった重産業に対し、半導体など新技術によるソフト産業に力を投入し、世界に先駆けて次々と新商品を登場させていきました。いわゆる情報化社会の出発で、コピー機、ファクシミリ、ワープロなどを多くの企業が採用、パーソナル電卓、家庭用VTRもこのころに普及させています。

今や、私たちの生活に欠かせない「コンビニ」も、昭和49年5月に、イトーヨーカドーと提携したセブンイレブンの1号店の開店からスタートしました。年中無休で長時間営業を特色とし、利便性を最大限に追求したミニ・スーパーは、共働き世帯や単身者、若者の生活スタイルにマッチしたのでしょう。以後、国民の生活そのものを全体的に変えていきました。後続のダイエー系のローソン、西武セゾン系のファミリーマートとともに、都市生活には欠かせない存在となっていきました。

あらためて昭和49年・50年という2年間を考えるとき、「石油ショック」といった外部的な要因により、たちまち窮地に立ってしまうことを知った日本人が、高度成長の水膨れ体質を反省し、やせガマンをしながら、「新しく生きる道」を探って、その方向性を見つけ出しかけた時代だったような気がします。

なお、当日は、これまでのルールが一変したため、その対応をどうしたらよいかに酒井の頭の中は終始混乱、撮ったはずの会場写真が見当たらず、出席したくれた皆さまに深くお詫びを申し上げます。


「参火会」4月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学 文新1962年卒
  • 小田靖忠 文新1966年卒
  • 草ヶ谷陽司文新1960年卒
  • 郡山千里 文新1961年卒
  • 酒井猛夫 外西1962年卒
  • 酒井義夫  文新1966年卒
  • 菅原 勉 文英1966年卒
  • 竹内  光 文新1962年卒
  • 谷内秀夫 文新1966年卒
  • 反畑誠一  文新1960年卒
  • 増田一也  文新1966年卒
  • 増田道子 外西1968年卒
  • 山本明夫 文新1971年卒