2017年6月21日水曜日

第33回「参火会」6月例会 (通算397回) 2017年6月20日(火) 実施

「現代史を考える集い」 27回目  昭和53・54年「景気低迷と省エネルギー」





今回は、NHK制作DVD27巻目の映像──
永大産業倒産・佐世保重工経営危機・原子力船「むつ」佐世保入港・成田空港反対派が空港管理室や管制室を占拠・宮城県沖地震・警官による女子大生絞殺事件・隅田川に花火復活・警視庁サラ金業者取調べ・嫌煙権運動始まる・青木功コルゲート世界マッチプレーで優勝・世界水泳選手権で藤原姉妹シンクロナイズド銀メダル・日本シリーズヤクルト初優勝・江川卓巨人軍入団発表で紛糾・日中平和友好条約調印と鄧小平中国副首相来日・大平正芳内閣成立・東京サミット開催(日 米 仏 英 伊 西独 加 EC各首脳参加)・米ダグラス-グラマン社航空機疑惑で海部八郎ら国会証人喚問・東京地検がKDDの密輸を告発・統一地方選挙 東京都知事選では保守勝利・第35回衆議院総選挙で自民党過半数を割る・三菱銀行大阪北畠支店に猟銃男押し入る・東名高速日本坂トンネル内で火災事故・千葉県神野寺のトラ2頭脱走・日本シリーズ広島カープ初優勝・世界柔道選手権で山下泰裕優勝・東京女子マラソン開催・NHK杯国際フィギュアスケート大会で渡部絵美優勝・国公立大学発の共通一次試験・SLが山口線に復活ほか、約52分を視聴しました。




その後、この時代を振りかえる話し合いをしました。足のひっぱりあいをする政治のドタバタに反し、「第1次オイルショック」をしっかり学習したことで、日本人の多くは、「第2次オイルショック」にそれほど驚くことなく、高度経済成長に慣れていい気になっていた自分たちのこれまでの生活を見直し、暴走をせず、節約と貯蓄にはげんで、世界的な石油ショックからいち早く脱することに成功したことを確認しました。(詳細は下記「この時代の背景」参照)

会の後半は、最近「12日間の南米旅行」から帰国したばかりの菅原勉氏に、その体験をUSBによる写真を投影しながら、わかりやすく語っていただきました。「ナスカの地上絵」をセスナ機上から見学し、ペルー第二の都市クスコから「マチュピチュ」の遺跡、世界三大瀑布のトップ「イグアスの滝」など、「世界遺産」の数々は、みんなを魅了するものでした。

そこで、来年1月から、12回にわたる勉強会のテーマに「世界遺産」が提案され、DVD「世界遺産 夢の旅100選+スペシャルバージョン(10巻)」「日本の世界遺産(2巻)」(各40~48分)の映像を見ながら話し合いをする企画が示され、出席メンバー全員から承認されました。

第1回目 ヨーロッパ篇① スペイン・イギリス・クロアチア
バルセロナのグエル公園とグエル邸・カサミラ/古都トレド/コルドバ歴史地区/セビーリャの大聖堂/グラナダのアルハンブラ/ロンドン塔/ドゥブロヴニク旧市街など

第2回目 ヨーロッパ篇② ベルギー・スイス・フランス・スウェーデン
ブリュッセルのグラン・プラス/ベルン旧市街/パリのセーヌ河岸/ヴェルサイユ宮殿と庭園/モン・サン・ミッシェルとその湾/アヴィニョン歴史地区など

第3回目 ヨーロッパ篇③ イタリア・バチカン・ギリシャ・オーストリア・ドイツ
ヴェネツィアその潟/フィレンツェ歴史地区/ビサのドゥオモ広場/バチカン市国/アテネのアクロポリス/シェーンブルン宮殿と庭園/ザルツブルク市街の歴史地区/ライン渓谷上流中部など

第4回目 ヨーロッパ篇④ ハンガリー・チェコ・ロシア・ノルウェー・デンマーク・トルコ・ポーランド
プラハ歴史地区/モスクワのクレムリンと赤の広場/ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群/ワルシャワ歴史地区など

第5回 アジア篇① インド・インドネシア・タイ・カンボジア・スリランカ
タージ・マハル/ボロブドゥール寺院遺跡群/古都アユタヤと周辺歴史地区群/アンコール/古代都市シギリヤなど

第6回 アジア篇② ベトナム・中国・韓国・ネパール・マレーシア
フエの建造物群/万里の長城/マカオ歴史地区/カトマンズの谷/グヌン・ムル国立公園など

第7回 アフリカ・オセアニア・中近東篇① エジプト・モロッコ・マダガスカル・ヨルダン
メンフィスとその墓地遺跡/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯/マラケシュ旧市街/ペトラなど

第8回 アフリカ・オセアニア・中近東篇② タンザニア・オーストラリア・ニュージーランド・シリア・レバノン
ンゴロンゴロ自然保護区/グレート・バリア・リーフ/古都ダマスカス/バールベックなど

第9回 南北アメリカ篇① カナダ・アメリカ・メキシコ・グアテマラ・ペルー・カナダ
グランド・キャニオン国立公園/マチュ・ピチュ/ナスカとフマナ平原の地上絵など

第10回 南北アメリカ篇②
コスタリカ・ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ・チリ・エクアドル・コロンビア
イグアス国立公園/ラパ・ヌイ国立公園(イースター島のモアイ像群)/ガラパゴス諸島など

第11回 日本の世界遺産①
古都京都の文化財/古都奈良の文化財/法隆寺地域の仏教建造物群/紀伊山地の霊場と参詣道/姫路城/日光の社寺/石見銀山遺跡とその文化的景観

第12回 日本の世界遺産②
白川郷と五箇山の合掌造り集落/原爆ドーム/琉球王国のグスク及び関連遺産群/厳島神社/白神山地/知床/屋久島




「この時代の背景」

昭和50年代の前半は、占領期以来の日米関係が、新しい時代に入った時期といえそうです。アメリカはベトナム戦争終了後も、財政赤字、国際収支の赤字に悩み続け、インフレと失業が深刻化していました。これに対し、日本は円高・ドル安のつづく不況に、財政再建が大きな課題となっていました。こうした中でアメリカは、対日貿易赤字の解消のため、日本の輸出規制と貿易自由化を求めただけでなく、防衛力の増強を要求し続けるなど、新たな様相を呈してきました。

昭和53年に入ると、日本とアメリカ、日本とEC間の経済関係閣僚会議が相次いで開かれ、福田赳夫政権は、貿易摩擦の解消、黒字減らしを約束させられました。また、この年のはじめから、永大産業、佐世保重工などの倒産が相次ぎ、内外ともに、経済環境は厳しさを増していきます。

53年8月、福田内閣は、田中内閣からの懸案だった「日中平和友好条約」に正式に調印したことで、政権は政治的な成功をおさめたかにみえました。ところが、10月になって総裁公選の予備選挙(党員・党友による初の予備選)が迫ってくると、最大派閥の田中派の応援をえた福田のライバルである大平正芳派のまきかえしは激しいものがあり、「赤ん坊や犬猫まで党費を納めて党友になった」といわれるほどでした。11月の開票結果は大平55万票、福田47万票と、大平が福田に大差をつけます。この予備選の結果をみた福田は、国会議員のみによる本選挙を辞退する決意を固めました。

こうして、昭和53年12月に第1次大平内閣が成立しますが、大平内閣も貿易摩擦、財政赤字に悩み続けるいっぽう、予備選以来の党内対立がいっそう深まりました。大平首相は、54年6月の「東京サミット」を無事に終えると、党内反主流派の福田・三木・中曽根派の解散反対を押し切って、10月に解散・総選挙を行います。しかし、一般消費税導入を選挙公約に掲げたのと、グラマン社の航空機疑惑事件、鉄道公団やKDDの不正事件が影響して、自民党は過半数を割り込みました。




この選挙敗北を首相の責任とした反主流三派は福田を首班指名の統一候補とし、大平・田中の主流派は大平を立てた議員総会では、大平135対福田125という僅差となりました。党内の分裂は公然のものとなりましたが、大平は、派閥均衡策と新自由クラブとの政策協定を行って11月に、なんとか第2次大平内閣を発足させたのでした。

今回(昭和53・54年)に特筆されるのは、「第2次オイルショック」が始まったことでしょう。54年の1月17日、国際石油資本のカルテックス社が日本に対し、原油供給の削減を通告してきたことが発端でした。その端緒は前年12月にOPEC(石油輸出国機構)が平均10%の値上げと、3か月ごとに原油価格の引き上げを通告してきたこと。また前年末には、日量500万バレルのイラン石油の生産・輸出が停止されたこと、さらに、イランのホメイニ師の指導による「イラン革命」が長期化すると予想されたことから、日本は再び大きなショックを受けました。

しかし日本は、前回の「第1次オイルショック」(昭和48~49年)で学習していました。深夜のテレビ番組放送の自粛・ガソリンスタンドの日曜祝日休業の復活に加え、官公庁・地方自治体の暖房制限や官用車の20%削減など「省エネ」の実行と、民間への協力を呼びかけました。日銀も、いち早く強い金融引き締め、それに応じて労働組合や企業も賃上げなどを抑え、労使協調路線を採用したことが功を奏しました。

54年1月の1バレル13.3ドルから、2年後には34ドルという大幅な値上げになったことで、石油化学産業に直接的打撃を与え、電力コストの上昇で重厚長大産業は後退するものの、アメリカをはじめ、イギリス、フランス、イタリアなどの先進諸国が大苦戦していたのに比べ、日本経済は、その影響を軽微なものにとどめました。また、日本の小型自動車がアメリカの大型車の生産をしのぐほどになり、省エネ・ハイテク化が重要視される「産業構造」の転換のきっかけとなった時代ともいえそうです。(文責・酒井義夫)



「参火会」6月例会 参加者
 (50音順・敬称略)


  • 岩崎 学  文新1962年卒
  • 植田康夫   文新1962年卒
  • 小田靖忠  文新1966年卒
  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 菅原 勉  文英1966年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 増田一也   文新1966年卒
  • 増田道子  外西1968年卒
  • 山本明夫  文新1971年卒