2020年2月19日水曜日

第63回「参火会」2月例会 (通算427回) 2020年2月18日(火) 実施

「世界遺産を考える集い」第23回目 「世界遺産 第2シリーズ」 ⑦ アジア・オセアニアⅢ─1

2019年4月から再スタートした「世界遺産第2シリーズ」(DVD10巻)は、2003年から数年間にわたってNHKがユネスコと共同しながら制作・放送してきたものを、小学館が地域別に再編集し「NHK世界遺産100」(1~5巻) 「NHK世界遺産100」(6~10巻) として刊行したもので、各巻20か所・計200か所を収録しています。第1シリーズ (本田技研の系列会社「ピーエスジー」制作の12巻) によるDVDと重複するものは約半分ありますが、重複するものは特に重要な世界遺産といっても過言ではありません。小学館版「NHK世界遺産100」は、各世界遺産へのアプローチの仕方に独自性があります。

会のはじまりは、下記資料「2-7-1~10」がすでにメンバーに渡され、全員がこれを読んだ上で、「NHK世界遺産100」第7巻目の映像約100分のうちの前半約50分を視聴しました。




2-7-1   古都奈良の文化財  既出1-11-2  
文化遺産 奈良県 1998年登録 登録基準②③④⑥
◇ 東大寺の大仏建立
古都奈良は、710年から74年間、平城京として古代日本の政治、経済、文化の中心として栄えた。724年に天皇となった聖武天皇は、仏教をもとに国を安定しようと考え、僧行基のもとに民衆の力を集め、国を挙げての大仏建立の大事業に取り組んだ。こうして752年に金銅の廬舎那仏坐像(大仏)が開眼し、安置する金堂(大仏殿)は、752年に完成した。その後東大寺は、12世紀の源平の争乱、16世紀の戦国時代と、2度にわたり焼失されて修復・再建されたが、戦国の兵火による焼失後は、大仏は雨ざらしのままだった。現在の姿になったのは1709年で、創建当時に比べると縮小されたものの、木造建築物としては世界最大の規模を誇る。
 
2-7-2   法隆寺  既出1-11-3
文化遺産 奈良県 1993年登録 登録基準①②④⑥
◇ 秘宝・2つの聖徳太子像
奈良市の南西にある斑鳩(いかるが)の里は、聖徳太子(574~622年)ゆかりの地であり、6世紀ころに大陸から渡来した仏教文化が花開いた場所でもある。ここには法隆寺、法起寺など7~8世紀に建立された木造建築物が集中して残っているが、特に法隆寺には、世界最古の木造建築物のほか、飛鳥時代の様式を今に伝える伽藍建築で構成される。法隆寺の起源は、607年に聖徳太子と推古天皇によって創建された「斑鳩寺」だが、670年に焼失し、8世紀初頭に再建されたのが現在の法隆寺。境内は金堂、五重塔、大講堂のある西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に2分される。秘宝聖徳太子像の一つは夢殿にある太子を写したとされる救世観音像と、聖霊院にある聖徳太子像。救世観音像は、明治時代までは拝めなかったが、フェノロサと岡倉天心の努力によりその姿を現した。
  
2-7-3   広島・原爆ドーム  既出1-12-2
文化遺産 広島県 1996年登録 登録基準⑥
◇ 一瞬の破壊による負の遺産
1945年8月6日早朝、アメリカ軍の爆撃機B29(エノラ・ゲイ)から投下された人類初の原子爆弾が広島市の上空で爆発。熱線と衝撃波、爆風と放射能によって市街はわずか1秒で焦土と化し、同年12月までに14万人が被爆死した。その象徴が原爆ドーム。この建物は、もともと1914年、チェコの建築家により設計された3階建てレンガ造りの広島県の物産陳列館だった。中央に銅製ドームを持ったモダンな建造物は、周囲の美しい庭園とともに市民に愛されてきた。しかし、爆心地の北西160mという至近距離で被爆したため、爆風と熱線により建物の屋根や床はすべて崩れ落ち、ドーム部分の鉄骨がむき出しになった無残な姿になってしまったもの。ドームの建つ3900㎡の爆心地域と平和記念公園、周辺の河川地域約42万㎡が登録範囲。

2-7-4   慶州歴史地区
文化遺産 韓国 2000年登録 登録基準②③
● 新羅の史跡が多数残る
韓国南東部にある慶州は、紀元935年まで、およそ1000年間栄えた新羅の都。朝鮮半島では、4世紀に、新羅のほか高句麗、百済の3国が鼎立していたが、676年に唐と手を組んだ新羅によって統一された。新羅が高麗によって滅ぼされるまで、慶州は繁栄をつづけた。新羅では、仏教は国をまとめる精神的な支柱として、王族から庶民まで篤く信仰された。慶州には石積みの古墳群や石造仏塔、古寺名刹が残る。
 
2-7-5   石窟庵と仏国寺
文化遺産 韓国 1995年登録 登録基準①④
● 新羅仏教建築を代表する至宝
韓国南東部の慶州山中にある石窟庵と仏国寺は、新羅が残した仏教芸術であるとともに極東の仏教芸術を代表する傑作。これらを建立したのは、統一新羅中期の宰相金大城で、751年に金は前世の父母のために石窟庵を、現世の父母のために仏国寺を建てたという。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で木造建築物はほとんど焼失したが、建立当時の石造部分は残り、新羅の技術の高さを物語る。今日の姿になったのは、1973年の大改修によるもの。

2-7-6   万里の長城  既出1-6-5
文化遺産 中国 1987年登録 登録基準①②③④⑥
◇ 人類が生んだ総長5万kmもの建造物
地球の円周は4万kmだから、万里の長城の総長はそれを上回る。東は渤海湾に臨む山海関から、西は敦煌に近い嘉峪関まで、険しい山脈や大河、渓谷を越えて築かれた世界最長・最大の城壁。中国では紀元前700~前403年の春秋時代から、北方の異民族の侵入に備え、防御壁が作られ、中国を統一した秦の始皇帝(在位前221~210)が、匈奴に対する防御のために完成させた長城が、現在の万里の長城の原型。現存する長城のほとんどは明時代(1368~1644年)に築かれ、主要部だけでも3000kmあるが、5万kmというのは、秦・漢時代などそれ以前の部分を含めた総長。城壁の高さは平均7.8m、頂部の幅は約4.5m。山海関から司馬大台へ、黄河を渡り、黄土高原を越え、最果ての嘉峪関までを追う。開放されている北京に近い八達嶺と居庸関が日本人によく知られている。

2-7-7   黄山
複合遺産 中国 1990年登録 登録基準②⑦⑩
● 山水のような雲海に包まれる山々
中国南東部にある黄山は、標高1800m級の69の峰、2つの湖、24の渓谷が点在する総面積1200㎢もの景勝地。光と雲が織りなす仙人が住むかのような世界は、古くから文人や画家を魅了し、中国文化そのものに大きな影響を与えてきた。この景色は1年で200日以上も霧や雲海に覆われる気象条件のたまもの。この一帯では、1650種を越える植物、コウノトリなどの希少種の生息が確認されている。

2-7-8   マカオ歴史地区  既出1-6-11
文化遺産 中国 2005年登録 登録基準②③④⑥
◇ 生きている大航海時代
中国南東部にある港町マカオに、ポルトガル人が正式に居住するようになったのは1557年のこと。旧市街には今もポルトガル時代の歴史的建物が残る。西洋風の街並みの間に関帝廟があるように、ポルトガルと中国人の血を引く1万人の人(マカイエンサ)が暮らす、東洋と西洋が出会う町でもある。マカオのシンボル聖ポール天主堂跡は、19世紀の火事で正面の壁だけが焼け残った。

2-7-9   フィリピンのバロック様式教会
文化遺産 フィリピン 1993年登録 登録基準②④
● 地震や台風、戦争に耐え抜いた堅牢な聖堂群
1571年、スペインはルソン島とその周辺を占拠、フィリピンを植民地化した。統治のための役所や総督の館などを建設するとともに、カトリックの宣教師を多数送り込み、各地に聖堂を築いた。現存する最古のものは、1606年に完成したマニラにあるサン・アウグスティン聖堂は、地震対策として天井を低くする工夫がほどこされている。バオアイにあるサン・アウグスティン聖堂は、300年の間に2度の大地震に見舞われたが、厚さ2.5mの補強壁により無事だった。これらの教会を含む4つの聖堂が登録されている。 

2-7-10 カトマンズ盆地  既出1-6-15
文化遺産 ネパール 1979年登録 登録基準③④⑥
◇ 神々が生きる古都
ネパール中央部にあるカトマンズを中心にラリトプル、バクタプルのある古都で、13世紀以来、美しい彫刻のある王宮や寺院が建立され、ヒンドゥー教と仏教をともに信仰する町として繁栄し、15~18世紀にはネパール文化が花開いた。しかし、急激な都市化によって伝統的建造物が老朽化して放置されたため、2003年に危機遺産となったが、保存状況の改善計画が提出され、2007年に危機遺産リストから脱出した。


今回の「参火会後半」は、谷内秀夫氏が進行役になり、今回初めて参加された渡辺智哉氏(文新1987年卒。卒業後日本経済新聞社に入り、多くの部署を経て、現在メディアビジネス・クロスメデイアウニット 紙面編成部担当次長)に自己紹介してもらいました。経歴につきましては、上記「参火会のメンバー紹介」をご覧ください。その後、メンバーの反畑誠一氏と草ヶ谷陽司に近況報告をしていただきました。
(文責・酒井義夫)


「参火会」2月例会 参加者
 (50音順・敬称略)



  • 郡山千里  文新1961年卒
  • 草ヶ谷陽司 文新1960年卒
  • 酒井猛夫  外西1962年卒
  • 酒井義夫   文新1966年卒
  • 竹内 光  文新1962年卒
  • 谷内秀夫  文新1966年卒
  • 反畑誠一   文新1960年卒
  • 深澤雅子   文独1977年卒
  • 向井昌子  文英1966年卒
  • 渡辺智哉  文新1987年卒
  • 蕨南暢雄  文新1959年卒

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